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2011年10月30日 - 2011年11月5日

2011年10月30日 (日)

川本三郎『銀幕の銀座──懐かしの風景とスターたち』

川本三郎『銀幕の銀座──懐かしの風景とスターたち』(中公新書、2011年)

 東京にながらく暮らしてきた者としてこの街には愛着がある。とは言っても、私自身が実際に目にしてきた東京は1980年代以降、バブル期の地上げ等によって再開発が進んだ光景であって、それ以前の「東京らしい東京」というのは写真や映像資料などでしか見たことがない。普段見慣れたつもりの街並も、かつてはこんな光景だったんだという新鮮な驚きがあって興味が尽きない。

 私は映画を観るとき、いつも風景に注目する。たとえストーリーはつまらない場合でも、映し出された風景に味わいを感じることがある。かつての東京の風景を見るには、CGを駆使してノスタルジックな雰囲気を再現した「Always──三丁目の夕日」も悪くないけど、やはり同時代のロケで撮影された昭和の古き映画で見てみるのも面白い。

 本書は『銀座百点』に連載された映画エッセイを基にしており、昭和11年の「東京ラプソディ」から昭和42年の「二人の銀座」まで計36本が取り上げられている。『銀幕の東京──映画でよみがえる昭和』(中公新書、1999年)の続編という位置付けになる。

 作品それぞれのプロットをたどりながら、目についたランドマークとなる建物やその界隈の風景について言及される。著者自身がまだ若き頃に目の当たりにした印象、さらには時代背景も語られ、いつもながらに穏やかな筆致から当時の雰囲気が浮かび上がってくるところは読んでいて心地よい。取り上げられた映画のほとんどを私は知らなかったが、それでも十分に楽しめた。

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【映画】「サウダーヂ」

「サウダーヂ」

 地方都市の沈滞が言われ始めてしばらく経つ。どこを訪れてもシャッター通りの光景を目にすることがしばしばだ。活気がない。しかしながら、そこで生活している人々も確かにいる。甲府を舞台としたこの映画で描かれているのは地方都市独特の“多文化”的な人間模様である。いまや斜陽産業の代表格とも言うべき建設業。ヒップホップをしながら生計を立てるため派遣で働く若者。失業した日系ブラジル人たち。パブで働くタイ人ホステス。彼らが織り成す悲喜こもごもは、グローバルな経済社会の動向を一つの視点から照らし出している。

 サウダーヂ(saudade)とはポルトガル語で「故郷」という意味らしい。映画中で山王団地というのが出てくるのだが、そこが事実上日系ブラジル人コミュニティーとなっているという話題のやり取りで、山王団地→saudadeと聞き違えるシーンがあった。

 日本人男性とのハーフのタイ人女性(「バブルの遺産だな」というセリフがあった)は来日したものの父親は亡くなり、ホステスをしている。タイか日本か、国籍選択を迫られているのだが、故郷のタイに残してきた家族へ送金し続けるため日本国籍を選ぼうと考えている。しかし、そのホステスに入れ込んだ土方の男は「こんな日本なんかイヤだ、一緒にタイに行こう」と持ちかける。タイに行ったところで事態は何も変わらないのに。

 日雇い労働をしながらヒップホップをしている若者は、日系ブラジル人のヒップホップ・グループの実力を見せつけられた。かなわない自分たちへの焦り、さらに女をとられた腹いせもあって、そのグループのリーダー格の男を殺してしまう。家族が崩壊した生活苦の中でやり場のない鬱屈感が排外主義的感情と結び付いてしまった姿が彼を通して示されている。

 日本人同士の会話では他人への悪口がやたらと目立つ。また、土方の男がタイへと逃げ出したいという動機には自立して働く妻への不満もあった。仲間や家族との結びつきがほどけてしまっている姿は、日系ブラジル人たちの仲間意識の強さや、故郷へ送金するために働くタイ人ホステスの家族愛と際立った対照として印象付けられる。故郷から離れて異国で暮らす彼らとは違い、いま故郷に暮らしているにもかかわらず、何もなくなってしまったこの平板な土地に愛着がなくなり、文字通り地に足が着かない様子は痛々しい。

 逃亡願望の男。やけっぱちになってしまった若者。「ラブ・アンド・ピース」とうすっぺらな理想論ばかり饒舌に語る女。何かが遊離して空回りするばかりで、足元が見えなくなってしまっている。単に生活苦というだけでなく、先が見えない気だるい絶望感。苦しくても何かのために今を踏ん張るという考え方ができればいい。しかし、自分たちの将来に希望が持てないという無力感に苛まれている現実を直視することはいっそう過酷なことだ。実にきつい。観ながら、言い知れぬ居たたまれなさを感じていた。

【データ】
監督:富田克也
2011年/167分
(2011年10月30日、渋谷、ユーロスペースにて)

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【映画】「ゴモラ」

「ゴモラ」

 原作を私は未読だが、ナポリに拠点を置く利益至上主義的な犯罪組織「カモッラ」の暗部をあばいたノンフィクションに基づくという。著者は命を狙われ、常に警護を必要とする状況にあるらしい。

 一人前の大人になりたくて組織入りを志願する少年。自信過剰で組織に楯突き、結局消されてしまう向こう見ずな青年二人組み。抗争から距離を置きたいと願う小心者の運び屋。非合法の産業廃棄物ビジネスに手を染める男とその部下の若者。工場経営者との折り合いが悪いベテランの仕立て職人。様々な人物群像を通して、この犯罪組織のみならず、現代の社会的矛盾を浮き彫りにしていく構成。映画宣伝のキャッチコピーでは「ゴッドファーザー」+「シティ・オブ・ゴッド」となっているが、むしろアメリカにおける麻薬戦争を様々な当事者の織り成す群像劇として立体的に描き出したスティーブン・ソダーバーグ監督「トラフィック」の方に雰囲気は似ているという印象を持った。

 マフィアの抗争は非情である。ただし、例えば「ゴッドファーザー」などでは確かに殺しのシーンは非情であるにしても、そこには家族の結びつきや義理人情などが絡み、裏切りと復讐、そうしたウェットな動機がドラマを盛り立てる要因となっていた。しかし、この映画に現れる「組織」ではそうしたウェットなものが感じられないところに一つの特徴があるように思った。

 こうした点で、仕立て職人のパスクワーレをめぐるエピソードが並行して描かれていることが目を引く。工場経営者は売上の落ち込みをカバーするため格安の価格と納期の早さで強引に仕事を受注してきたが、残業を強いられることになる従業員との信頼関係は冷え切っている。現場責任者として悩んでいるパスクワーレは、たどたどしいイタリア語を話す中国人から、縫製の講習会の講師をして欲しいと頼まれた。連れて行かれた工場には、おそらく非合法に入国したのだろうが多数の中国人労働者たちが集まっていた。最初は胡散臭く感じていた彼だが、敬意をもって教えを請われ、彼らの熱心さを見ているうちに表情が明るくなってくる(その直後でストーリーは暗転するのだが…)。つまり、職人としてのプライドややりがいを取り戻したということだ。

 裏社会であっても、職人の世界であっても、本来その人間関係を成り立たせていたはずの義理人情による信頼関係、プライド、やりがい、そうした感覚が失われている様子がこの映画から見えてくる。残るのはただのつぶし合いということになるのではないか。単に犯罪組織の暴力性というだけでない。私自身は資本主義経済に対して必ずしも反感は持っていないが、他方でそのロジックが一人歩きを始めてマイナス面で作用してしまった時に現れる関係性の非人格化という問題はなかなか解きがたい。経済先進地域であるイタリア北部で出された産業廃棄物を農業地帯の南部に投棄する非合法の仕事に疑問を感じた若者が、上司に抗議してやめるシーンもここにつながってくるだろう。そして、「組織」に消された若者二人組みは、まさに産業廃棄物のように浜辺に捨てられる。物理的な暴力以上の、目に見えないからこそ一層ハードな暴力性がこの映画のテーマと言えるだろうか。

【データ】
監督:マッテオ・ガッローネ
135分/イタリア/2008年
(2011年10月29日、渋谷、シアター・イメージフォーラムにて)

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【映画】「東京オアシス」

「東京オアシス」

 深夜の首都高速。最終上映が終わった後の映画館。平日の動物園。本来なら人出でにぎわっているはずの空間なのに人の姿がまばらだと、たまたま居合わせた別人の姿は際立つ。そうしたシチュエーションで出会った四人を三つのエピソードのオムニバス形式で描いている。

 映画館でのあるエピソード。もたいまさこ演じるおばあさんが、連れに置いていかれてしまった、と言う。実際には、たまたま隣に座っただけの人を連れと勘違いしたらしい。ボケていると言ってしまえばそれまで。しかし、映画館スタッフの女性(原田知代)は「そういう考え方もあるんだなあ」と納得する。

 都会的孤独ということがよく言われる。周囲に人間はたくさんいる。にもかかわらず、関係性が疎遠なため、孤独感がいっそう迫ってくる感覚。確かにそうだ。でも、よく考えてみると、当たり前のことだが近くに人がいることもまた事実。ほんのひとときでも居合わせた偶然、それをちょっと努力して自覚化すれば一つの人間関係が出来上がる。そうしたささやかなシーンを描き出した映画である。

 狂言回しとなる小林聡美は「どこかで会ったような気がするけど誰だか思い出せない」「特徴がつかみづらくて似顔絵が描けない」などど言われてしまう。ある意味、匿名性を具象化したキャラクターと言ったらいいか。しかし、彼女の示す表情をみんなしっかり感じ取っている。匿名の第三者のように見えても、きっかけさえあれば印象に残る関係となる。そういうものだ。

 どうでもいいけど、小林聡美、加瀬亮、ちょい役のもたいまさこ、光石研、市川実日子といった顔触れや全体的にまったりした空気感は、いかにも荻上直子系の映画だな。

【データ】
監督:松本佳奈、中村佳代
83分/2011年
(2011年10月28日、新宿ピカデリーにて)

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