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2011年1月16日 - 2011年1月22日

2011年1月22日 (土)

ジョン・J・ミアシャイマー『リーダーはなぜウソをつくのか?:国際政治学からみた「ウソ」の真実』

John J. Mearsheimer, Why Leaders Lie: The Truth about Lying in International Politics, Oxford University Press, 2011

 著者は国際政治学でネオリアリズムの理論家として知られている。本書が着目するのは対外交渉における政治的ツールとしてのウソであって、そこからは倫理的な意味合いは排除され、ウソを使った結果として政治目標にプラスとなるか、マイナスとなるのかを判断基準として議論は進められる。

 本書の要点は、一般的に政治指導者が対外交渉におけるカウンターパートナーに対してウソをつくケースは意外と少ない一方で、対外政策を進めるにあたっての必要から自国民に対してウソをつくケースが多いという指摘にある。

 国内政治と国際政治との相違を端的に言うなら、前者が一定のヒエラルキー的秩序の中で行われるのに対し、後者はさらに上位の審級がない、従ってアナーキーなホッブズ的世界観が通用するところにある。もちろん、国際関係認識のあり方は論者の立場によって様々であるが、著者はリアリズムの理論家なのでこれが前提とされている。アナーキーな世界の中で自己の生き残りを図るには暴力、策略、欺瞞、ありとあらゆる手段の行使が可能である。そうであるなら、交渉にあたってウソも頻繁に使われて当然のはずだが、著者が実際に国際政治史の事例を調べてみても、手段としてウソを用いた交渉は意外に少ないという。この場合のウソ(lies)とは事実とは明白に異なるストーリーをでっち上げることで、誇張(spinning)や情報の秘匿(concealing)とは区別される。もちろん、具体例は一定数あるにしても、実際の対外交渉について理論的一般化ができるほどには十分なサンプルがないということである。アナーキーな世界の中では互いに猜疑心を抱いているのでウソをついても効果があがらないこと、コストの割りに成果が乏しいことなどに理由が求められる。

 本書で項目として挙げられている通常の対外交渉におけるウソ、ナショナリスト神話(nationalist mythology、例えば、イスラエルは建国に際してのパレスチナ人への蛮行をナショナル・ヒストリーの構築によって無視、正当化した)、リベラルなウソ(liberal lies、つまりリベラルな規範を口実に自国の野心的行動を正当化、「リアリストとして振舞いながらリベラルに語る」)などは政治史的にみて珍しいことではない。本書がとりわけ問題意識の重点を置くのは、「政策の隠蔽」(covering up)と「恐怖の売り込み」(fearmongering)である。

 「政策の隠蔽」は、第一に戦時下にあって政策失敗の露呈が国益を損なうことを回避するため、第二に民主主義国家にあって国民には不評だが将来的に必要な政策を採用するために行われる。こうした場合のウソは時として必要なこともあるが、合理的な政治運営ができなくなってしまうリスクがある。

 「恐怖の売り込み」とは、指導者が国家の安全保障に重大な危機が迫っていると認識しているのに対して国民はそう思っていないとき、国民を政治目標に向けて動員するため危機感を意図的に煽ることである。著者はリアリズムの立場からブッシュ政権によるイラク戦争を批判したことで知られているが、サダム・フセインの核開発施設はないという主張は意外と正しかったこと、ブッシュ政権が戦争開始のきっかけをつくるためアメリカ国民にウソをついたことは、本書の議論に適合的な事例として示されている。

 「政策の隠蔽」にせよ、「恐怖の売り込み」にせよ、将来的に必要な政策や安全保障上の危機に対して国民が無関心であるというギャップを目の当たりにした政治指導者が政策遂行の正当性を確信してついたウソである。これを必要悪として許容するか、愚民観だとして批判するか、判断は難しい。もちろん、ブッシュ政権のように指導者自身の認識が間違っていることもあるし、こうした形でウソが露見した場合には政権基盤は崩壊する。いずれにせよ、民主主義国家における政策決定上のアポリアをウソという切り口から取り上げた議論として興味深い。

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2011年1月21日 (金)

王甫昌《當代台灣社會的族群想像》

王甫昌《當代台灣社會的族群想像》(台北:群学出版、2003年)

 台湾の政治的・社会的な変動力学を考察する上でどうしても避けては通れないのが「族群」という現象である。本書は戦後台湾社会においてこの「族群」意識が芽生えてきた社会的条件の検討を通して、いわゆる「四大族群」それぞれの成立経緯を整理してくれる。「族群」問題の格好な手引きとなる本だ。

 「族群」(ethnic group)の第一の条件は「我々」と「他者」との区別であり、その際には来歴・文化的共通性が指標となる。ただし、その共通性とは本質主義的に自明なものというわけではなく、歴史的・社会的・政治的条件に応じて選択的に構築された側面が強い。その点に本書は着目して「族群想像」(ethnic imagination)という表現を用いている。とりわけ自分たちは社会的に不公平な立場を強いられているという弱勢意識を抱いているときに集団行動の必要性が自覚される。その際に集団的凝集力を強める「神話」として「族群想像」は作用するわけだが、自分たちの権利の公的認知を求める動きとして表れる点で現代的性格の強いことが指摘される。

 台湾の「四大族群」は重層的な構造となっており、第一に漢人と南島語族系の原住民、第二に漢人の中でも本省人と外省人、第三に本省人の中でも閩南人と客家人の区別がある。それぞれの内部でも方言的・習俗的差異があって決して一つにまとまっているわけではない。特に原住民に関しては、本書執筆の時点では十族とされているが、アイデンティティ・ポリティクスの進展により、さらに「族群」としての認知を求める動きがあって増加傾向にあり、数字は流動的だ。

 それぞれの「族群意識」を成立させる種族的・文化的条件は過去に遡ることができるにしても、政治意識としての自覚が芽生えたのは実はそれほど古いことではない。国民政府の遷台、とりわけ二・二八事件をはじめとする恐怖政治によって、台湾在来の人々には外省人から抑圧されているという思いから本省人アイデンティティが生まれた(省籍矛盾)。そして1970年代以降、台湾内外の情勢変化に応じて民主化運動が本格化、ここから台湾民族主義の言説が表面化し始める。

 漢族優位の社会経済システムの中で原住民は最底辺に置かれていたが、1980年代になって大学に学ぶ原住民青年たちを中心に自覚的な動きが始まり、これが民主化運動と結び付く中で原住民アイデンティティの回復を目指す運動が本格化した。

 他方で、台湾民族主義言説が人口的に多数派の閩南人中心の動きであったため、同じ本省人でも少数派として飲み込まれかねない危機意識を募らせた客家人は閩南人への対抗意識から客家アイデンティティの主張を強める。これは1987年の「客家権益促進会」結成が起点とされる。

 外省人は中国各地から逃げ込んできた人々の総称で、出身地も方言もばらばらであったが、国民党政権との結びつきによって本省人とは異なるグループとして一体感が形成された。外省人もまた客家人と同様に、閩南人中心の台湾民族主義言説によって自分たちの拠り所である中華民族主義が消え去ってしまうという危機意識を抱き始め、1990年代に国民党主流派や民進党に反対して国民党を離党した新党の結成が一つのメルクマールとなる。この時点では外省人の方が閩南人に対して弱勢意識を持ったと言える。

 「族群」間の抗争は不毛な泥仕合に陥ってしまうおそれがある一方で、権利を主張する社会運動の手段として一定の有効性があることも指摘される。以上の「四大族群」の成立経緯からは、不平等意識、弱勢意識をきっかけとした対抗言説が連鎖的に相互反応を示しながら「族群意識」が展開してきたことが見て取れる。これはそれぞれの社会的権利やアイデンティティの回復・維持を目指して表面化した動きなのだから、「族群」としての主義主張の内容如何に目を奪われるのではなく、こうした社会的コンテクストそのものにどのような問題点が伏在しているのかを改めて問い直す必要があるのだろう。

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2011年1月20日 (木)

嵯峨隆『近代中国の革命幻想──劉師培の思想と生涯』

嵯峨隆『近代中国の革命幻想──劉師培の思想と生涯』研文出版、1996年

・民族主義、アナキズム、帝政支持論とそれぞれ異質な政治的立場を経た劉師培の名前は以前から気になっていたので手に取った。本書は彼の生涯をたどりながら、彼の思想の展開とそれを内在的に支えていた伝統的価値観による独自の思想解釈のあり方とを把握しようと試みる。
・劉師培は1884年、揚州の生まれ。幼少から神童の誉れ高く、社会問題にも関心。科挙に挫折して失意のとき、章炳麟の招きで1907年に東京へ行き、中国革命同盟会に加入。
・反帝国主義と排満革命との結び付き。当初、ユートピア社会を目指すアナキズムは否定しつつ、テロリズムは礼讃(主義と手段の分離)。
・中国思想史における『春秋』の解釈の違い:今文派=『公羊伝』→異民族との融和を前提→立憲主義→改良を目指した(康有為、梁啓超など)のに対して、古文派=『左氏伝』→漢民族と異民族との差異を強調→民族主義→革命(章炳麟など)。劉師培は後者であり、中国の伝統的学問を踏まえて排満民族主義の主張を展開。
・東京では、『民報』『天義』『衡報』などで論説を次々と発表。この頃は、排満民族主義とアナキズムとが並存した状況だったが、同盟会内部の権力闘争の渦中にあってアナキズムの方を選択的に突出させる。
・封建的桎梏からの解放、同時に「群」としての中国が生き残らなければならない→個人主義ではなく、合群主義(集団主義)的アナキズム、クロポトキンの連合主義を重視。清末の課題を反映した議論だったと指摘される。
・アナキズム思想受容において、中国の伝統思想の中から革命的要素とみなしたものを再構成しながら解釈。伝統思想の中から理想社会を見出し、それを未来の無権力社会へと再現させようという発想→文化的保守主義と政治的急進主義との結び付き。
・社会主義講習会を張継と共に主宰→講師には日本人の幸徳秋水、堺利彦、山川均、大杉栄、宮崎民蔵、竹内善朔、守田有秋、中国人の章炳麟、景梅九など。幸徳とは北一輝を介して知り合った可能性。
・アジア各国の亡命者と共に亜洲和親会→中国、日本、インド、フィリピン、ベトナムの革命家(確かファン・ボイ・チャウもいたはず)、ただし朝鮮人は出席せず。堺利彦、山川均、大杉栄、森近運平、守田有秋、竹内善朔、汪精衛など。
・「亜洲現勢論」→弱小民族の独立→政府を廃止し、人民大同の思想、連邦主義。日本の侵略主義への批判。
・大杉栄からエスペラントを習う。
・1908年に帰国。同時に転向して清朝帝政派のスパイとなる→金銭問題や人間関係的な不和(妻の問題、章炳麟との仲違い)、清朝側とのもともとの人脈(端方など)、文化的価値観の持続。
・辛亥革命時に逮捕されたが、劉師培の考証学者としての深い学識を惜しんだ章炳麟・蔡元培らが「彼を処刑したら中国の学術界にとって一大損失だ」とアピールして救出、釈放。彼は学問に専念するつもりだったが、やがて閻錫山の顧問となり、さらに袁世凱のもとに送り込まれ、帝政復活支持の言論活動→楊度、厳復らと共に籌安会の発起人となる。この時点ではアナキズムを社会的混乱の思想と捉え、伝統思想を君主制復活と中央集権的政治体制確立の論拠として援用する。
・袁世凱の死後は没落、しかし彼の学識を惜しんだ蔡元培の招聘により北京大学で中国文学担当教授となる。1919年、五四運動後の11月に結核で病死。享年35歳。
・劉師培が目の当たりにしたのは「革命」という幻想、しかし唯一幻ではなかったのは中国伝統の歴史であり、学問であったのだろうと総括される。

・劉師培という人の思想的変遷は、自国の伝統思想と海外からの近代思想とが出会ったときにどのような形で継受が試みられたのかという葛藤の一例として興味深い。彼の場合、第一に内面において深い学殖に支えられた伝統的価値が確固としてあるのが大前提で、第二に外面において急進主義から保守主義まで政治的言説が二転三転していく、その都度内面における伝統思想が参照点として求められたという構図がうかがえる。言い換えれば、現実局面での政治的立場の変化に応じて、後知恵的に正当化するために伝統的教養をもってきたという印象があり、その点では意外と魅力は乏しい。外来思想は代替可能な表皮であり、根っこというか碇というか、そうした重しとしての伝統思想との接続がうまくいくかどうかという問題が彼には端的に表れていると言える。

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2011年1月18日 (火)

張文環『地に這うもの』

張文環『地に這うもの』(現代文化社、1975年)

 舞台は台湾南部・嘉義に近い山村。日本の植民地支配下、やがて皇民化政策が強められていく時代。村の顔役として台湾土着社会と統治者側との接点にあって改姓名を選択した家族・陳家をめぐる人々を中心に、彼らの暮らした生活光景と各人各様の心理的葛藤とを描いた大河小説的構成の小説である。なお、本書は日本語で書かれている。

 かつて台湾社会には“媳婦仔”と呼ばれる習慣があった。息子の嫁にすることを前提によそから幼女をもらい受けるのだが、幼い頃から事実上の労働力としてこき使われることにもなった。本書の主人公の一人である陳啓敏が駆け落ち同然に一緒になった秀英及びその連れ子の阿蘭の二人の姿からは、そうした陋習の束縛から女性としての自立を目指す葛藤が描かれている。当時の台湾における日常生活の中で “伝統”と“近代”との相克が最も明瞭な形で表れていたテーマだったと言えるだろうか。

 “近代”のもう一つの問題はコロニアリズムであり、それは日常生活レベルでは言語の問題で直面した。公学校を中心とした「国語」(=日本語)教育、「国語」常用家庭の顕彰、改姓名、さらに一連の皇民化政策。日本人になろうとしてもなれず、かと言って台湾人にも戻れず、宙ぶらりんの葛藤。例えば、次のような一文があった。「台湾はいたるところで、言葉上のまちがいが、日本人と台湾人のあいだのギャップになっていることが非常に多い。そのうえ台湾人は日本語があまり上達しない反面、繊細な感情をあらわす台湾語もやがてなくなるであろう。いつまでも蜜柑皮式な日本語をつかいながら、台湾語の語彙が失われつつある」(120ページ)。蜜柑皮式な日本語とは本書中のエピソードで、日本人に向かって「蜜柑の皮をむいてください」という意味のことを伝えるのに「蜜柑、皮、サヨナラ」とたどたどしい言葉遣いを指す。また、陳啓敏の義弟・陳武章はエリートとなり、敢えて改姓名を選んだため兄の陳啓敏まで日本名を名乗らざるを得なくなってしまったが、彼は日本語が苦手なのでいつもハラハラして落ち着かず、精神的負担が大きかった。植民地における統治階級には近づくものの、それにはなりきれず、同時に土着感覚からも切り離されてしまった不安感が吐露される。

 張文環(1909~1978年)は日本統治期台湾における代表的な作家の一人で、重厚なリアリズムが作風の特徴とされる。嘉義に生まれ、公学校卒業後は日本へ渡り、東洋大学へ入学。東京で台湾人の民族主義・社会主義の思潮に触れ、王白淵・巫永福らと共に台湾芸術研究会を組織、文学雑誌『フォルモサ』を刊行。1938年に台湾へ戻り、台湾映画株式会社に入社、かたわら文筆活動も続けた。西川満を中心とした雑誌『文藝台湾』に対抗する形で雑誌『台湾文学』を立ち上げる。1942年には西川満、浜田隼雄、龍瑛宗と共に第一回大東亜文学者大会に参加、1943年には皇民奉公会第一回台湾文学賞を受賞。戦後は創作活動をやめて実業に専念し、彰化銀行などに務めた後、日月潭観光大飯店を経営。本書『地に這うもの』は絶筆後30年を経て刊行された。

 彼の経歴には大東亜文学者大会、皇民奉公会などとの関連も見られるが、それは時代状況の中で逃れられないものであった。彼の作品を読めば、自身の自然な感情表現が植民地的状況の中で難しくなっている葛藤を、他ならぬ押しつけられた外国語=「国語」=日本語で表現せざるを得ないという二重の困難がうかがえる。さらに彼を作家として苦しめたのは、戦後、新たに「国語」となった中国語の問題である。当時、台湾の作家は書き言葉としての日本語から中国語への転換に随分苦労したと言われる。台湾語は書き言葉として洗練されていなかったし、急激な中国語化政策には台湾人における中華民族イデンティティ確立という政治的意図もあった。その上、張文環は1947年の二・二八事件で逃亡生活せざるを得なくなったことがあり、そうした体験から国民党政権と共にやって来た北京語を抑圧の象徴とみなして拒絶したとも指摘される(周婉窈《海行兮的年代──日本殖民統治末期臺灣史論集》允晨文化出版、2003年→こちら)。日本語・中国語、いずれにしても素直に自身の感情表現をしていける言語的手段を獲得すること自体が難しかった悲劇。彼が日本語で創作を行なった裏にはそうした心情表現と使用言語との葛藤が常につきまとっていたことを見逃してはならないし、それは彼に限らず同世代の多くの台湾人についても言えることであろう。

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2011年1月16日 (日)

松本三之介『近世日本の思想像──歴史的考察』『明治思想における伝統と近代』『明治精神の構造』『明治思想史──近代国家の創設から個の覚醒まで』

 明治思想史をもう一度頭の中で整理しなおしたいと思い、以前読んだのも含めて何冊か松本三之介の本に今日一日でざっと目を通した。江戸期思想からの流れの中で伝統思想の近代思想に対する接合、対外危機を契機に国家中心の政治傾向→社会的にある程度まで成熟して富国強兵路線が国家目標として機能しなくなってきた→個の覚醒という流れ、政府主導による上からの欧化路線の一方で思想と現実生活との乖離、以上の問題点について当時の人々はどのように思想課題として取り組もうとしたのかがポイントになるだろう。

松本三之介『近世日本の思想像──歴史的考察』(研文出版、1984年)
「近世における歴史叙述とその思想」
・安積澹泊『大日本史賛藪』→歴史に「勢」や「機」を見出し、儒教的な名分論など自己の主観的意図ではどうにもならない客観的な事実の力を認める、「人心」「衆心」「民心」などに歴史を動かす力。
・伊達千広『大勢三転考』→客観的歴史叙述、歴史的必然(「止事をえぬ理」)を見出す。

「天賦人権論と天の観念──思想史的整理のためのひとつの試み」
・明治啓蒙思想において個人の自由権は伝統的な観念としての「天意」の読み替え→「天」の観念の二つの傾向:①自然的欲求そのものは非社会的→道徳的抑制が条件。②両者の対置論はとらず、自己中心性も肯定→国家すら奪えない固有の自然的権利。
・「生」を「天」へと結び付ける発想の系譜を、伊藤仁斎、安藤昌益などにさかのぼって考察。

「幕末国学の思想史的意義──主として政治思想の側面について」
・幕末国学における具体的な日常的生活倫理への傾斜→被治者論として庶民生活内部まで入り込む。

「近代思想の萌芽」
・政治を道徳への従属性から解放した荻生徂徠→政治の理性(丸山眞男の指摘)
・詩歌の本質を人間の感情表現に求めた国学→文学という私的領域の自立化。生身の人間像の躍動を認める「事実」への志向、主情主義から儒教的規範を攻撃。
・徳川吉宗の実学奨励→洋学の勃興。
・こうした趨勢の中で封建的価値優位性を批判的に見る態度が芽生える。
・佐久間象山、吉田松陰のリアリズム。横井小楠の「公共の政」。明六社の近代性。

「安藤昌益──その思想像の構造と特質」
「広瀬淡窓の哲学──状況の動態化と思想の対応」:経世論では荻生徂徠と共通する点が多い一方で、正しいあり方としての自愛心を肯定→明治期天賦人権論へとつながり得た。
「勝海舟における政治的思考の特質」
「思想史の方法としての文学──小林秀雄著『本居宣長』をめぐって」

松本三之介『明治思想における伝統と近代』(東京大学出版会、1996年)
「天皇制国家像の一断面──若干の思想史的整理について」
・政治的機能の他の社会的機能に対する価値的優越→「個人」「私」<「国家」「公」とする規範意識が広く国民に浸透→天皇制国家において権力悪の発想、権力の抑制、国民の政治参加などの近代国家固有の問題意識が希薄。

「家族国家観の構造と特質」
・君臣=父子観念→治者の仁政原理と同時に、臣民の随順倫理として援用。政治的観念を共同体的道徳によって補強。

「新しい学問の形成と知識人──阪谷素・中村敬宇・福沢諭吉を中心に」
・西欧文明導入に際して、有形/物質の世界に対する無形/精神の世界を重視する点では共通。ただし、後者について阪谷が儒教的理、中村が造物主への畏敬を強調するのに対して、福沢は西洋の文明、「日用に近き実学」へと転換、形而上学的にも西欧化・世俗化を推進。

「福沢諭吉の政治観──国家・政府・国民について」
「福沢諭吉における「公」と「私」──「瘠我慢の説」を手がかりに」
・精神の働きが「古習の惑溺」から免れて自由に発揮しうるには既存の権威や価値に対して己れ自身の精神に忠実であろうとする勇気が必要。「独立自尊」の精神の担い手として士族の気風に着目。

「中江兆民における伝統と近代──その思想構築と儒学の役割」
・思想と生活の乖離という日本思想史における課題を念頭に置きながら、理論と実践との結合に向けて細かい配慮をしていた人物として兆民を取り上げる。すなわち、欧米近代思想を学びながら、同時にいかに伝統的な東洋の儒学思想を読み替え接合させながら思想の血肉かを図ろうとしたか。

「政教社──人と思想」→志賀重昂、杉浦重剛、陸羯南、福本日南、長沢別天、内藤湖南。
「陸羯南における「国家」と「社会」」
・政治的領野としての「国家」に対して「社会」を弁別→共同生活の中で歴史的に形成された風俗・習慣・道徳感情・文芸などの有機的人間関係を指し(天皇も含まれる)、志賀重昂の言う「国粋=ナショナリティ」概念と共通する。→羯南の立憲政治論はこうした国家と社会との二元論の上で構築、「社会」によって「国家」は基礎付けられていると認識。

松本三之介『明治精神の構造』(岩波書店・同時代ライブラリー、1993年)
・代表的な人物を取り上げながらコンパクトにまとめた明治思想史概論。
・明治期精神の特徴→①国家的精神、②進取の精神、③武士的精神。
・福沢諭吉:文明の精神、科学的思考、明治ナショナリスト→「一身独立して一国独立す」。
・民権思想のナショナリズムには国家の対外的独立、国家権力との一体性、国民的連帯の意識。植木枝盛の思想には、ナショナリスティックな側面とリベラリスティックな側面とが未整理に共存。
・中江兆民:彼の民権論の深化は、現実へと柔軟に対応できる政治的思考の深まり。立憲政治論→国民不在で制定された憲法を国民の手に取り戻すために国会。
・明治期における政治への批判として、徳富蘇峰の平民主義、政教社グループの国粋主義、内村鑑三の愛国と平和主義、平民社の社会主義。
・日露戦争講和反対の大衆運動、煩悶青年の登場、富国強兵という国是が機能しなくなった時代→明治の終焉。

松本三之介『明治思想史──近代国家の創設から個の覚醒まで』(新曜社、1996年)
・対外危機→幕藩体制の割拠性から挙国意識。維新をどのように位置付けるかという議論→新しい国家構想の模索。明六社など啓蒙思想家たちの議論。自由民権運動→国民の政治参加を媒介とした国民的一体感の醸成という意図、下からのナショナリズム。憲法制定の思想像。明治憲法体制を内面において支える役割として教育勅語(1890年)→新しい政治的人間像を提示。上からの欧化路線に対する批判→徳富蘇峰の平民主義は下からの欧化主義、政教社グループは国粋重視の批判。政治優位の風潮の中、政治社会を担う「平民」一人ひとりの日常的生活利益へと議論の重点の推移。日清戦争後、社会問題の顕在化。幸徳秋水たち初期社会主義の問題意識の根底には、維新以来の文明開化のひずみへの批判。また、個人的意識の台頭→国家と個人との乖離という傾向。高山樗牛の日本主義には「個」の満たされざる内面を支えるものとして「国家」を捉え、個人の精神的渇きを満たすための国家という発想。苦悩する個→藤村操の自殺。天皇機関説をめぐる上杉・美濃部の論争→富国強兵を支えてきた国家主義的個別主義と、開かれた世界へ向けた普遍主義・立憲主義という二つの潮流の衝突として把握。

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三澤真美恵『「帝国」と「祖国」のはざま──植民地期台湾映画人の交渉と越境』

三澤真美恵『「帝国」と「祖国」のはざま──植民地期台湾映画人の交渉と越境』(岩波書店、2010年)

 リュミエール兄弟によって商業的上映が行なわれた1895年を映画史の起点とするなら、台湾における映画受容は日本による植民地支配とほぼ同時に始まったと言える。本書は、この映画というある種の近代性を表象するメディアを台湾の人々が主体的に摂取して自らを語る手段としたくとも、日本による植民地的抑圧性と中国において国民国家的枠組みを前提とした台湾の周縁化というそれぞれの政治性によって翻弄されてしまった葛藤を主題としている。

 1920年代後半から台湾へ大陸の中国映画輸入が始まり、それが人気を博していることに台湾総督府は警戒を強めていた。当時の台湾人が総督府による映画統制をもちろん快く受け入れたわけではない。ただし、映画のコンテンツよりも、映画という仕掛けそのものに物珍しい魅力があって、抗日意識からそれを排除するよりも、娯楽として楽しむ状況があったという。従って、「中国映画の歓迎」と「日本映画の排斥」とが必ずしもワンセットとして表面化したわけではなかった。仮に台湾人自身が映画製作に乗り出そうとしても、「抵抗」を前面に出すと弾圧されるし、「交渉」によって妥協すれば「抵抗」の契機は薄れて観客への訴求力が弱まってしまう。ところで、台湾製映画がなかったため日本・中国・欧米など輸入ものが上映されることになるが、一般の台湾人には言葉が分からない。そのため台湾人弁士による解説が入るわけだが、そこには即興の風刺も交えられ、娯楽受容の場でささやかながらも民族的主張が表れることになり、そうした形で映画の臨場的土着化が行なわれたという指摘が興味深い。

 台湾で映画づくりが無理ならば外に行ってつくるしかない。本書では大陸へと越境した劉吶鷗(1905~1940年)と何非光(1913~1997年)という二人の台湾出身映画人に注目される。

 劉吶鷗については田村志津枝『李香蘭の恋人──キネマと戦争』(筑摩書房、2007年)でも取り上げられていたが、新感覚派の作家でもあり、日本留学を経て上海に渡った。彼にはとにかく映画をつくりたいという情熱こそあったが、祖国意識=ナショナリズムなどの政治意識は希薄であった。映画製作の手段と割り切って国民党にも日本軍にも接近していたため漢奸とみなされ、1940年に暗殺されてしまう。「越境先での中国のナショナリズム」と、彼を追いかけて「越境してきた日本の帝国主義」とが激突するはざまにあってつぶされてしまった彼の宿命を本書は浮彫りにするが、そうした悲劇は戦後、タブーとなった。

 他方、劉吶鷗とは対照的に祖国意識=ナショナリズムを胸に熱く秘めて大陸に渡った何非光は「抗日」映画の製作に邁進したが、彼もまた悲劇に見舞われた。台湾出身者が「日本のスパイ」とみなされた大陸において彼もその偏見から免れず反右派闘争、文化大革命と続く中で不遇を余儀なくされた。同時に台湾へと逃れた中華民国では、彼は共産主義中国に残留した裏切り者とみなされた。つまり、共産党と国民党というかつての抗日勢力が分裂した後も、それぞれの正統的革命史観から外れた者として戦後はタブー視されたことになる。彼の映画語法にうかがえる「敵である彼ら(日本人)にも顔がある」という語り方が「日本情結」(日本コンプレックス)と解釈されたのではないかとも指摘される。

 台湾・中国・日本の三角関係の中、越境的な軌跡をたどった彼らのような台湾人は極めて難しいアイデンティティの矛盾に直面した。それは当時の政治状況だけでなく、共産党・国民党ぞれぞれの正統的革命史観、また日本におけるかつての植民地支配の捉え方など、戦後における歴史叙述のあり方そのものとも絡まりあって、国民国家的枠組みには収まらない彼らの存在はタブー視されざるを得なくなった。そのように二重に錯綜した困難に、本書は映画というテーマを通して果敢に切り込んでいく。博士論文をもとにした学術書という性格から必ずしも読みやすい本ではないが、丁寧に読み進めるなら、まさにその複雑さそのものが圧倒的に迫ってきて、さらなる関心が触発されてくる。

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