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2011年7月10日 - 2011年7月16日

2011年7月16日 (土)

丸山直起『太平洋戦争と上海のユダヤ難民』、関根真保『日本占領下の〈上海ユダヤ人ゲットー〉──「避難」と「監視」の狭間で』、ウルスラ・ベーコン『ナチスから逃れたユダヤ人少女の上海日記』

 かつて上海にいたユダヤ人はおおまかに言って3つのグループに分けられる。第一に中東から来たセファルディ系ユダヤ人。上海に租界が設定されたのとほぼ同時期で、バグダード出身のサッスーン家など商人として活躍、上海の経済界で大きな勢力を築いた。第二に、ロシア革命がおこるとロシア系ユダヤ人が流入。第三に、ドイツでナチス政権が成立すると、中央ヨーロッパ系ユダヤ人難民が迫害を逃れて査証なしで上陸できる上海へとたどり着いた。太平洋戦争が勃発すると、第一のセファルディ系はイギリスとつながりがあったため上海から事実上追い出され、第三の中央ヨーロッパ系は1943年に設定された楊樹浦の指定区域、いわゆる「上海ゲットー」に集められた。

 丸山直起『太平洋戦争と上海のユダヤ難民』(法政大学出版局、2005年)は、日中戦争・太平洋戦争時、上海にいたユダヤ人難民に対する日本の政策的対応の分析が主要テーマであるが、上海租界におけるユダヤ人社会の成立から、国共内戦や中華人民共和国成立と同時にイスラエル独立という時代状況の中で彼らがイスラエルへ渡航するまでのタイムスパンにわたって上海にいたユダヤ人社会の歴史を描き出している。国際関係史的な視点をとっている。
 日本軍はユダヤ人「ゲットー」を設定はしたが、ナチスが意図した「最終的解決」まではやっていない。ユダヤ人問題に関しては日独間に協力はなかった。例えば、1937年12月、ハルビンで第1回極東ユダヤ人大会が開催され、満洲国政府やハルビン特務機関のバックアップを受けていた。アメリカ資本導入による産業振興のため日米関係改善手段の一つとしてユダヤ人問題を捉える人々が軍部や財界の一部にいたようだが、これに対してドイツ側は不快感を示していた。ワルシャワ・ゲットーで辣腕をふるったゲシュタポのマイジンガーが上海や日本に来てユダヤ人狩りを要求したとも言われるが、その頃ゾルゲ事件がおこり、ドイツ大使館も巻き込まれていたため日本側はドイツ側に不信感を抱いており、マイジンガーの要求など通る雰囲気ではなかったという事情もある。ただし、安江仙弘の離任以降、日本でも反ユダヤ主義系の人々の主導権が強まったらしい。

 関根真保『日本占領下の〈上海ユダヤ人ゲットー〉──「避難」と「監視」の狭間で』(昭和堂、2010年)は「上海ゲットー」そのものをめぐる構造的力学を分析することで、ユダヤ人難民たちを翻弄した日本側の政治的思惑の背景を浮き彫りにしていく。
・日本のユダヤ問題専門家として知られた陸軍の安江仙弘と海軍の犬塚惟重。ユダヤ人救出を図ったとして評価する向きもあるが、ただし前半生では反ユダヤ主義を鼓吹した過去もあって矛盾が交錯しており、評価は複雑そうだ。二人の間でも対ユダヤ観に相違があり、安江が接点を持ったのが日本に協力したハルビンのユダヤ人であったのに対し、犬塚が接点を持ったのがイギリスに協力的な上海のユダヤ人だった点も指摘されている。二人とも基本的には裕福なユダヤ人を親日に転向させて利用するのが主目的ではあっても、難民としてやってきた人々の窮状も考慮、彼らに生きる場を提供するために自治州の構想も出したが、これは政府や軍部から拒否される。二人は担当から外され、その後に久保田勤が担当者として着任して以降、隔離・監視の体制が強められる。
・1943年2月18日に「上海ゲットー」設置、無国籍避難民=具体的にはナチスの迫害を逃れて来た中央ヨーロッパ系ユダヤ人を集める。
・①ナチスの圧力によるという説、②日本政府自身のユダヤ人監視政策とする説→ユダヤ人だけを特殊とみなした「ゲットー」というよりも、より広い意味で外国人を対象とした治安対策の一環であったと指摘。
・「上海無国籍避難民処理事務所」の分析が本書の中心。パスシステムによる囲い込み→管理システム。外人保甲自警団(Foreign Pao Chia)による監視。
・ロシア系ユダヤ人はソ連成立以降、無国籍者→上海アシュケナジ系ユダヤ人救済協力協会(Shanghai Ashkenazi Collaborating Relief Association=SACRA)が対応。
・「国際政経学会」の反ユダヤ主義や「フリーメーソンの陰謀」言説が国策と連動。メンバーは久保田勤(通敦)、赤池濃、四王天延孝、増田正雄、顧問的に白鳥敏夫など。

 ウルスラ・ベーコン(和田まゆ子訳)『ナチスから逃れたユダヤ人少女の上海日記』(祥伝社、2006年)は、1939年にナチスの迫害を逃れて家族と一緒に上海へ逃れ、戦後アメリカへ渡るまで上海に滞在した経験を回想。上海に逃れてきてもナチスの影におびえ、1943年には指定区域へ移住させられる。ゲットー内での厳しい生活を描写。オクラ(オオクラ?)とゴヤ(合屋)という二人の乱暴な日本人役人も出てくる。ゴヤは自ら「ユダヤの王」と名乗る尊大な態度で嫌われたらしい。

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2011年7月14日 (木)

ポーターとかプラハラードとか適当に経営戦略論

 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2011年6月号の特集は「マイケル・E.ポーター 戦略と競争優位」。ポーターの理論のエッセンスや最近の議論がわかる論文を6本収録。有名な競争優位の戦略論は、要するに、業界構造を正確に把握→差異化により自らを負けないポジションに置くことを戦略の本質と捉え、この応用で議論を展開していると言えるだろうか。

 業界構造におけるポジショニングで優位に立とうとするポーターの戦略論が静態的であるとするなら、これに対して企業が自らの能力を活かしながら市場機会を創出、業界構造そのものを変えていく、そうした動態的な側面に注目しながら戦略論を構築したのが、ゲイリー・ハメル&C・K・プラハラード(一條和生訳)『コアコンピタンスの経営──未来への競争戦略』(日経ビジネス人文庫、2001年)である。コアコンピタンスとは要するに企業の優位性を持続させる核心的・総合的な競争力の源泉のことだが、単に技術力などのハードを指すだけでなく、経営資源のマネジメントなども含め、結果として競争優位をもたらした要因を幅広く捉える概念である。長期的なタイムスパンの中でようやく捉えられる動態的なものであり、業界構造分析の静態的視点とは異なる。ただし、沼上幹『経営戦略の思考法──時間展開・相互作用・ダイナミクス』(日本経済新聞出版社、2009年)でも指摘されているように、両者を排他的な概念と捉えるのではなく、戦略行動のどの側面に重きを置くかによって表れた相違であって、むしろ両者を相補的に考えるのがベストであろう。

 プラハラードはBOPビジネス、つまり貧困層をターゲットとしたビジネスモデルを提起したことでもよく知られている。C・K・プラハラード(スカイライン コンサルティング株式会社訳)『ネクスト・マーケット──「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略』(増補改訂版、英治出版・ウォートン経営戦略シリーズ、2010年)を読みながらメモ。
・BOP(Bottom of the Pyramid)の一日2ドル未満で暮らしている40億人を市場として開発する。大企業の投資力をいかに活用できるのか? 収益を上げつつ貧困を撲滅するという発想。
・貧困者一人一人を個人として尊重するのが出発点。商取引の民主化、一人一人をマイクロ生産者、マイクロ起業家、マイクロ投資家と考える。「貧しい人は犠牲者であり、重荷である」→「彼らは内に力を秘めた創造的な起業家であり、価値を重視する消費者である」と認識を改める。
・BOPの潜在力に働きかけて消費力を創出、ビジネスを展開→新たな製品やサービス開発のチャンス(イノベーション)→貧困者が消費者へと変わると購買のために自ら選択するという行為→「貧困層が自ら選択し、自尊心を養う機会を創り出す」ところにこうしたアプローチの長所。
・BOP市場におけるイノベーション12の原則:①コストパフォーマンスを劇的に向上、②最新の技術を活用して複合型で解決、③規模の拡大を前提、④環境資源を浪費しない、⑤富裕層向けの考えを捨て、求められる機能を一から考え直す、⑥提供するプロセスを革新する(流通の問題)、⑦BOP市場の人々は作業スキルが高くない→現地での作業を単純化、⑧顧客の教育を工夫、⑨劣悪な環境にも適応させる、⑩消費特性に合うユーザー・インターフェースを設計、⑪貧困層にアプローチする手段を構築、⑫これまでの常識を捨てる。
・入手できる情報、選択の自由、契約施行の力、社会的地位における非対称性→貧困層自身の取引統治力を培う。民間企業は資源活用・市場対応力を高めるために市場特性に合わせたシステムを創ろうとする→社会的にもプラスの影響。
・BOPビジネスのケーススタディを豊富に収録。

 なお、上掲『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』「マイケル・E.ポーター 戦略と競争優位」特集の冒頭に掲載された論文、マイケル・E.ポーター、マーク・R.クラマー「共通価値の戦略」は、事業活動と社会的課題とをトレードオフではなく、営利・非営利という境界を越えてビジネス戦略のロジックで捉える。社会のニーズや問題に取り組む→社会的価値を創造→経済的価値へと結びつける。企業の目的は、単なる利益ではなく、共通価値の創出と再定義すべきと言う。

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2011年7月13日 (水)

J・M・ブキャナン、G・タロック『公共選択の理論──合意の経済論理』

J・M・ブキャナン、G・タロック(宇田川璋仁監訳、米原淳七郎、田中清和、黒川和美訳)『公共選択の理論──合意の経済論理』(東洋経済新報社、1979年)

・国家の有機体概念を排除、方法的個人主義を仮定した上で、意思決定において社会の構成員がいかに合意に至るかを経済学的手法で分析した古典的理論書。パレート最適とかゲーム理論とかを私は正確に理解しているわけではないので数式分析の箇所は飛ばし読みしてしまったのだが、要するに、アトム的個人を出発点とした社会秩序形成の論理的可能性を数理モデルを使って検証するのが基本的な趣旨である。言い換えると、社会契約論を数理モデルで構成しなおした議論であり、序文ではロールズの公正としての正議論と同じ方向性を持つと言及している。
・一個人の選択計算は費用のかかるプロセスであり、費用よりも便益の方が大きいと期待できる場合に同意するという効用拡大化仮説をとる。外部費用+意思決定費用=社会的相互依存費用、これが最小になるように、言い換えると期待効用を最大化するように個人は振舞う。
・同意によって成立した秩序構成をconstitutionと呼び、本書では「憲法」と訳されている。もちろん字義通り「憲法」と訳すべき箇所もあるが、人間が一定の振舞いを行なう際に準拠する前もって合意された一連のルールと考えれば、より広く「制度」と解した方が分かりやすいように思った。
・同質性が高い社会→制限の少ないルールを受け入れる。他方、鋭い対立を内包した社会→全会一致に近いルールを伴う意思決定費用の余裕なし。
・所得再配分の共同行為が実際に行なわれていることをどのように説明するかという問題意識。
・一方の得は他方の損というゼロサムゲームではなく、当事者すべてが相互的に得をする経済的交換過程として捉える→相互利益があれば全会一致に基づく社会契約は可能であることを論証。
・合理的個人モデルを議論の出発点としつつも、それは複雑な事象を単純化して人間の社会行動の一側面を把握、モデル化するための方法論に過ぎず、決して万能ではないことを強調している。
・道徳規範的な「べき」論からトップダウン的に政治秩序を構成するのではなく、仮定モデルに基づくにしても実際にいかに「ある」かというところからボトムアップ的な論理構成を目指す議論も特徴と言えるだろうか。

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2011年7月12日 (火)

関志雄『中国を動かす経済学者たち──改革開放の水先案内人』、胡鞍鋼『国情報告 経済大国中国の課題』、樊鋼『中国 未完の経済改革』

関志雄『中国を動かす経済学者たち──改革開放の水先案内人』(東洋経済新報社、2007年)
・計画経済の壁→自由な経済活動は個人の違法行為だが黙認→地方レベルで部分的合法化→全面的合法化、こうしたプロセスの中で経済活動正当化のための理論的サポートを求められて経済学者の需要。
・中国政府に政策提言をしている主流派は効率重視の新自由主義者。他方、格差拡大への懸念から、結果の平等重視の新左派も非主流派ながら庶民の間では人気。両者は経済問題に関してはタブーなく議論。本書では、政策目標を効率に置く新自由主義者→機会の平等重視→結果の平等重視の新左派というグラデーションの中で著名な経済学者を分類。
・計画経済から市場経済への制度移行という問題意識→安定的な市場を暗黙の前提として資源配分のあり方を研究する新古典派経済学ではなく、新制度経済学を導入。例えば、ロナルド・コースの取引費用の理論、ダグラス・ノースの新経済史の理論、ジェームズ・ブキャナンの公共選択の理論など。
・価格改革か(呉敬璉)、所有制改革か(厲以寧)
・張五常(香港大学):所有権を軸に中国経済分析、民営化を主張→新自由主義による経済改革の方向性を示す。経済随筆というスタイルを確立。
・楊小凱(モナッシュ大学):ジェフリー・サックスと共著あり。技術模倣(ex洋務運動)よりも制度革新(ex明治維新)の方が重要→技術模倣に終わって制度設計ができなければ先に進めない(後発性の劣位)→憲政とビッグバン・アプローチを主張。また、銭頴一(カリフォルニア大学バークレー校→清華大学)は健全な市場のために政府を抑制→法治の確立を主張。
・林毅夫(台湾出身で大陸へ亡命、北京大学):民営化よりも前に企業の「自生能力」の育成が前提。漸進的改革を主張。技術移転により低コストでキャッチアップ→後発性の優位。競争的市場では価格が製品と生産要素の希少性・需給関係を正確に反映する→その情報に基づいて比較優位の戦略を立てる。
・胡鞍鋼(清華大学):国情研究。効率重視の市場競争と同時に公平性を確保するため政府の役割→第三の道。
・樊鋼(民間学術機構である中国経済改革研究基金会国民経済研究所所長):市場移行と経済発展の同時進行過程として中国の経済改革を把握。
・朗咸平(台湾出身、アメリカで活躍→香港中文大学)は民営化による国有資産の不当な流出を公平性の観点から批判。対して、周其仁(北京大学)は効率性重視の観点から、そういった問題があっても改革の中止ではなく加速化を主張。

胡鞍鋼(王京濱・訳)『国情報告 経済大国中国の課題』(岩波書店、2007年)
・中国経済が各方面で抱える問題点を概観しながら課題と方向性を示すのが趣旨。
・中国経済の不均衡な発展→環境とのバランス、人を中心としたサステイナビリティなど緑色発展への転換が必要。
・経済成長を牽引するのは都市であり、内需拡大、三農問題の解決などの問題意識→都市化の進展が重要。
・かつては宗族、人民公社といった横のつながり→市場経済化の進展により個体の分断傾向。また、社会的格差の二極化傾向→ソーシャル・ガバナンスの機能不全という問題意識。
・経済環境安定のためには政治の安定、つまり政策決定の制度化が必要。その中に専門家・有識者による諮問メカニズムを確立させる必要。中央集権と地方分権の混合型の公共安全システム構築の必要→国民を第一に、制度化建設を中心に、多様な社会問題に対応できるソーシャル・ガバナンス能力の引き上げを図る。官民摩擦、官の腐敗→クリーンな政治として共産党の施政能力を高める必要。グッド・ガバナンス。
・中国の台頭は平和的台頭・内需型台頭。国際社会の中で中国台頭のインパクト→5つの規模の経済性。巨大人口、労働力と就業の問題、経済規模による誘発効果、対外開放による市場拡大、他方で資源消費の問題は規模の不経済。

樊鋼(関志雄・訳)『中国 未完の経済改革』(岩波書店、2003年)
・いきなり高度な産業は無理。まず付加価値は低くても労働集約的な部門から後発性優位を活かしながら。自力更生よりも海外からの技術移転。国際競争力強化のためには、蛙飛びでハイテクを目指すよりも適正技術。
・地域格差、とりわけ労働移動の障害。大都市の発展→他地域への波及を期待。
・農業問題。自給自足を強調するよりも、低価格の食糧の輸入も考慮すべき。工業化による余剰労働力の吸収。
・市場メカニズムの導入→担い手は専門家の指導(人治)から民衆の自発的行為(制度による調整、契約→法治)へ。
・中国の漸進的改革の特徴阿、旧体制に対する改革が多くの障害によって実施困難な中、旧体制の周辺で新しい経済主体を育成・発展、新体制へ向けた環境整備によって徐々に旧体制を改革→ソ連・東欧のビッグバン・アプローチとは違う。改革の進行過程に応じて目標を常に修正・調整。
・双軌制(二重価格制→既存製品は計画価格、新たに生産された製品は市場価格→市場取引が増えるにつれて計画価格は駆逐、市場価格へ収斂)。
・経済改革が先行、政治改革は遅れている。
・所有制改革では国有企業改革がカギ。「放権譲利」(下級政府や企業に権限を委譲して利益を分ける)→所有者の権限と責任が不明確で失敗。非国有企業の発展による環境変化が前提。
・銀行の不良債権は実質的には国有企業に対する財政補助の役割。中国経済の特徴は、銀行の不良債権の金額が大きく、政府債務と対外債務が相対的に小さいこと。
・改革は政府自らの意志で設計した発展戦略というよりも、多くの主体の利益衝突を反映した「公共選択」の結果。

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2011年7月11日 (月)

李大同『『氷点』停刊の舞台裏』

李大同(三潴正道・監訳、而立会・訳)『『氷点』停刊の舞台裏』日本僑報社、2006年

・共産主義青年団の機関紙・中国青年報の折込附属紙「氷点週刊」は率直な問題提起で本紙よりも人気があったが、2006年1月、当局の指示で停刊させられた。本書は、編集者として当事者であった著者が停刊前後にどのようなやり取りがあったのか、その経過を記した手記である。中国では刊行できないことを見越してだろうか、中文の原文も収録されている。

・停刊の理由は、袁偉時(中山大学教授)の論文「現代化と歴史教科書」の掲載が当局から問題視されたこと。中国の歴史教科書では義和団を帝国主義に抵抗した愛国主義として称賛する一方、彼らの非理性的な性格がかえって欧米列強につけ込まれるきっかけになったマイナス面を無視していると袁教授は指摘、歴史を客観的に考察できない硬直した教科書記述について問題提起をしていた。ところが、中国では歴史の解釈権は共産党にあり、この論文は党や国家の方針に反するものだと批判された。

・学術的議論を一方的に封殺するのは言論の自由に対する圧迫だとして、一般読者や党内改革派も含めて多くの人々が反発。同時期、「氷点週刊」に「你可能不知道的台湾」を掲載したばかりの台湾の作家・龍応台が早速「请用文明来说明我」というタイトルの胡錦濤宛公開書簡を発表(中台統一を妨げているのは台湾の独立派ではなく、言論の自由が許されず「価値観のアイデンティティー」が保障されない中国の社会体制にあると指摘)したのをはじめ、国外のメディアからも批判を受けた。

・こうした批判を当局も気にしてであろうか、3月には「氷点週刊」復刊の許可が出た。ただし、袁偉時批判論文の掲載が条件とされた。これを読んだ袁偉時は早速反論の論文を執筆したが、掲載は許可されなかった。他方で、当局は袁偉時には反論の機会は保障されており中国では言論の自由はゆるやかになっていると声明を出しているという矛盾。

・なお、ふるまいよしこ『中国新声代(しんしょんだい)』(集広舎、2010年)に袁偉時と龍応台の二人へのインタビューが収録されており、この事件を通して考えるべき問題点について語っている。

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2011年7月10日 (日)

トーマス・フリードマン『フラット化する世界』

トーマス・フリードマン(伏見威蕃訳)『フラット化する世界〔増補改訂版〕』上下、日本経済新聞出版社、2008年

・インターネットの普及をはじめ飛躍的な技術革新によって、個人レベルでできる仕事の可能性が大幅に拡大、市場・ビジネス環境を制約していた国境を乗り越えていく趨勢、これによって個人を束縛していたヒエラルキーが水平化しつつある現状を本書はフラット化と呼ぶ。
・すでにおなじみの議論で新味はないと思うが、グローバリゼーションの拡大深化に伴う個人の役割拡大という側面について様々な事例を列挙しながら「フラット」というキーワードで括ってみせたところに本書のアピール・ポイントがあるようだ。
・国際的なフラット化は仕事のルーティンを急速に流動化させる。できることの可能性が広がる→他人も同様→流動化しつつある環境に適応しつつ、コア・コンピテンシーはどこに求められるのか?→個人の創発的な能力。
・フラット化されていない途上国の人々は可能性を奪われている状態。個人にとって必要なのは金銭ではなく自らの可能性を試す自尊心、そのチャンスを広げるべきという指摘には共感できる。
・他方で、フラット化が進むと、個人レベルでの負荷が極端なまでに高まること、またモラル上の自律もますます重要になるのだろう。
・流動的な環境に適応する個人レベルの創発的能力が重要になる見通しを持っている点で、ジグムント・バウマンの『リキッド・モダニティ』をはじめとした一連の議論と基本的な方向は同じだという印象を受けた。フリードマンが技術革新に理由を求め、個人のチャンス拡大を肯定的に受け止めビジネス親和的な議論を展開する一方、バウマンの議論は近代化の進展というパースペクティブの中で捉え、流動的な環境に適応しようと右往左往する個人の負荷が極端に強まっていく悲観的な側面に注目するというところが違う。

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古田和子『上海ネットワークと近代東アジア』

古田和子『上海ネットワークと近代東アジア』(東京大学出版会、2000年)

・19世紀後半、上海は世界経済と東アジア地域経済とを接合する位置にあり、中国という枠組みにはとらわれず東アジア全体にとってのディストリビューション・センター。中国を一つの自己完結的な国民経済と捉えると国境を超えた動態が分からないという問題意識から上海ネットワークに注目。
・上海を中心に放射線状にのびたネットワークの一つとして、例えば神戸(1868年開港)も位置付けられる。イギリス製綿製品→上海で中国商人が仕入れて神戸へ輸出というルート。
・イギリス製綿製品→上海→長崎→朝鮮の開港地というルート(統計上は日朝二国間交易のように見えても上海ネットワークの一環という側面)。
・やがて上海─仁川ルート:山東系の中国商人が仁川へ進出、長崎に居留していた浙江系の中国商人に打撃。
・1870年代にインドのボンベイで近代紡績業→80年代に中国・日本向けに綿糸を輸出。他方、1880年代以降、日本でも紡績工場設立→上海は中国綿花の日本向け輸出元。→「インド紡績業─上海綿糸市場」対「上海綿花市場─日本紡績業」という対立構図。
・上海ネットワークを成り立たせていたのは客幇ネットワーク(新規参入の取引コストを逓減、取引の不確実性を低減)。
・19世紀末~20世紀初頭にかけて日本が国家的バックアップにより黄海交易圏(朝鮮半島・北京方面)を主導、上海ネットワークと対抗する構図に。

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