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2011年1月9日 - 2011年1月15日

2011年1月15日 (土)

【映画】「海炭市叙景」

「海炭市叙景」

 佐藤泰志という作家のことを私は知らなかったが、不遇のうちに二十年ほど前に自殺してしまった人で、根強いファンもいるそうだ。未完になった彼の連作短編集をもとにしたオムニバス的な群像劇。海炭市とは彼の郷里・函館をイメージした架空の都市である。函館を観光地イメージとは違う角度で撮ってみるというのもこの企画の趣旨の一つらしい。

 造船所の閉鎖に伴い解雇された青年とその妹が一緒に初日の出を見に行くシーンから始まる。再開発で立ち退きを迫られている猫好きの老婆。水商売に出る妻への疑惑を募らせるプラネタリウムの寡黙な映写技師。ガス店経営の二代目社長は再婚したばかりだが浮気をしており、妻は腹いせに彼の息子をいじめている。仕事で郷里に戻ってきたが、父との折り合いが悪くて実家には戻らない男性。

 それぞれ、人生の歯車がどこかずれてしまった不全感を抱えながら戸惑う人々の姿が描かれていく。雪も降り積もる年の瀬、クリスマスから新年に向けての華やぎには縁遠い彼らのたたずまいは、寒々とした気候の中でいっそう際だつ。ただし、やるせないという印象だけを受けるわけではない。どうにもならないみじめさの中でもがくにしても、それでもやはりひたむきにもがくしかない。ストーリーそのものに激しさはなくとも、心中の葛藤は表情に自然と表れる。冷たさで張りつめた空気を如実に伝えるような映像には同時に緊張感があって、それが人々の心象風景と重なり合って見えてくるとき、パセティックな感傷も静かに浮かび上がってくる。それがまた哀しくも美しく感じられてくる。

【データ】
監督:熊切和嘉
原作:佐藤泰志
音楽:ジム・オルーク
出演:谷村美月、竹原ピストル、中里あき、小林薫、南果歩、加瀬亮、三浦誠己、山中崇、ほか
2010年/152分
(2011年1月15日、渋谷、ユーロスペースにて)

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2011年1月13日 (木)

前田愛『成島柳北』

前田愛『成島柳北』(朝日選書、1990年)

 成島柳北は1837(天保8)年、江戸は浅草に生まれ、儒家の家柄である成島家の養子となった。若くして将軍侍講を務めたが、率直に発言する性格であり、狂歌で幕閣を批判したりしたため解任された。早くから洋学を積極的に学び、江戸幕府瓦解直前の時期には外国奉行、会計副総裁に就任。江戸開城後は32歳にして隠居、以後、「天地間無用の人」と自ら称して文人として生きる。東本願寺法主の随行員として欧米旅行にも出かけた。1874(明治7)年には「朝野新聞」に入り、今風に言うならジャーナリストとなるが、明治新政府の讒謗律・新聞紙条例を批判したかどで4ヶ月間入獄させられることもあった。1884(明治17)年、48歳で病没。

 本書は、若くして幕閣枢要の座に就きつつも、維新後は典雅な詩文人として在野に生きた成島柳北の生涯をたどった評伝である。併せて明治という時代を見つめた彼の視点のありかをうかがい、例えばホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を引き合いに出しながら、薩長の田舎武士と対置された彼の江戸情緒濃厚なスタイルに闊達な自由の精神を見出す。

 本書でも初めに引用される「一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」とは福澤諭吉の言であるが、江戸時代から明治時代へと急激な社会的変化を目の当たりにした世代にとって、これは実感こもる共通体験をいみじくも言い当てているのかもしれない。時代をうまく泳ぎ渡った者もいたろうが、それ以上に多くの者は絶え間なく押し寄せる新しい時代の波間に漂い、流されるままただ茫然と追随していくよりほかに術はなかったであろう。そうした中、旧幕時代への懐旧は退嬰的なアナクロニズムに陥るかと言えば、必ずしもそうではない。洗練された眼識さえあれば、むしろ新しい時代のひずみを見据える文明批評の鋭利な眼差しともなり得た。成島柳北はまさしくそうした一人であった。柳北の系譜は、やはり江戸趣味に韜晦しながら一個の反時代的精神として生きようとした永井荷風へとつながっていく。

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2011年1月12日 (水)

《光影詩人──李屏賓》

《光影詩人──李屏賓》(台北:田園城市文化、2009年)

 現在公開中の映画、村上春樹原作でトラン・アン・ユン監督の「ノルウェイの森」を観に行ったが、私にとって一番のお目当ては撮影監督・李屏賓(Mark Lee Ping-Bing)による映像だったと言っても言い過ぎではない。例えば、侯孝賢監督「百年恋歌」「珈琲時光」、トラン・アン・ユン監督「夏至」、是枝裕和監督「空気人形」──思わずため息が出るほど本当に美しい映像だなあと感じた映画がいくつかあり、エンドクレジットを眺めていて、それぞれ監督は違っても撮影:李屏賓という名前が共通して出てくることに気づいたのは、それほど前のことでもなかった。自覚的に彼の映像を観に行こうと考えたのは今回が初めてだ。

 今や台湾を代表する撮影監督、李屏賓。掲題書は、彼が撮影の合間に撮った作品を集めた写真集であり、先日、台北の書店の美術書コーナーで面陳されているのを見かけて購入した。

 本人の風貌を見ると、まるで山賊か鬼軍曹かといった感じのいかつい強面だ。この人が、あのカラフルだが落ち着きがあり、繊細で叙情的に美しい映像をつくっているのかと思うと、正直、あまりのギャップに驚いた(序文を寄せている映画監督何人かもそういう趣旨のコメントをしている)。巻末には彼へのインタビューが収録されており、生い立ちからこれまで関わった映画作品について語っている。パーソナリティーとしては風貌通りに一徹な職人肌という印象も受ける。水墨画に関心があるというのが意外だった。とりわけ李可染の山水画が好きだという。李屏賓の奇を衒わないのに印象が強く迫ってくる風景の撮り方は、山水画の落ち着き払った美しさと相通ずるものがあると言えるだろうか。

 彼は侯孝賢をはじめ東アジアを中心に著名な監督たちと一緒に仕事をしており、フィルモグラフィーからいくつか下に書き抜いておく。
1984「策馬入林」(「逃亡」)王童監督
1985「童年往事」侯孝賢監督
1986「恋恋風塵」侯孝賢監督
1987「稲草人」(「村と爆弾」)王童監督
1989「悲情城市」侯孝賢監督
1993「戲夢人生」侯孝賢監督
1994「女人四十」許鞍華監督
1998「海上花」(「フラワーズ・オブ・シャンハイ)侯孝賢監督
1999「心動」(「君のいた永遠」) 張艾嘉監督 
2000「夏天的滋味」(「夏至」)トラン・アン・ユン監督   
2001「花様年華」王家衛(ウォン・カーワイ)監督
2001「千禧曼波」(「ミレニアム・マンボ)侯孝賢監督
2002「小城之春」(「春の惑い」)田壮壮監督   
2002「想飛」(「プリンセスD」)張艾嘉監督   
2004「珈啡時光」侯孝賢監督   
2004「一個陌生女人的來信」(「見知らぬ女からの手紙」)徐靜蕾監督
2005「春の雪」行定勲監督
2005「最好的時光」(「百年恋歌」)侯孝賢監督
2006「父子」譚家明監督
2007「紅気球之旅」(ホウ・シャオシエンのレッド・バルーン)侯孝賢監督
2007「太陽照常升起」姜文監督
2007「不能說的•秘密」(「言えない秘密」)周杰倫(ジェイ・チョウ)監督
2007「心中有鬼」騰華濤監督
2008「今生,緣未了」(「Afterwards」)Gilles Bourdos(吉爾布都)監督
2008「親密」岸西監督   
2009「トロッコ」川口浩史監督
2009「空気人形」是枝裕和監督   
2009「殺人犯」周顯揚監督
2009「ノルウェイの森」トラン・アン・ユン監督

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2011年1月11日 (火)

陸羯南について

 羯南陸実(くが・みのる)は1857年、弘前藩士の家に生まれた。東奥義塾、宮城高等師範学校を経て司法省法学校に入ったが、いわゆる賄征伐で同期生の原敬、福本日南、国分青厓らと共に退学処分を受けた。学んだ法学知識とフランス語を武器に新聞記者としてやっていこうとしたが、生活が貧窮する中、品川弥二郎のすすめで政府の文書局・官報局に出仕。この頃、フランスの保守主義思想家ド・メストル『主権原論』の訳述もしている。32歳で依願退職、『東京電報』さらに新聞『日本』を創刊(1889年)。1906年には経営不振のため『日本』を実業家の伊藤欽亮に売却、健康も思わしくなかったため引退。伊藤経営の『日本』が営業重視の編集方針を示したため、それと対立した記者たちは一斉退社、三宅雪嶺、古島一雄、長谷川如是閑、千葉亀雄らは政教社に合流して翌1907年に『日本及日本人』刊行の運びとなった。ここに羯南も名前を列ねたが、同年51歳で病没した。

 羯南の政治的主張は、対外的には国民精神の発揚、対内的には国民的一致を説き、日本主義、国民主義などと呼ばれる。ただしそれは決して排外主義を意味するのではなく、明治期において急激な欧化が進行するのを目の当たりにする中、外国文化を摂取するにしても日本固有の文化的背景を基準として実用本位に進めるべきだという穏当なものであった。明治の社会的変革期において近代的国民国家形成を如何に進めるかという課題に応じた議論だったと言える。

 羯南再評価の先鞭をきったのは丸山眞男である。『中央公論』1947年2月号に発表された「陸羯南──人と思想」(『丸山眞男集 第三巻』[岩波書店、1995年]所収)では、彼の国粋保存の立場が封建的伝統の温存につながってしまう点を時代的制約と指摘する一方、日本主義のフレーズが昭和期において反動的なアナクロニズムを示したのとは著しく異なり、羯南のそれはナショナリズムとデモクラシーの綜合を意図した健康的・進歩的なものであったと総括している。司馬遼太郎『坂の上の雲』(文春文庫)でも正岡子規との関わりで陸羯南が登場し(NHKのドラマでは佐野史郎が演じていた)、明治期における健全なナショナリズムを代表する知性として描かれていたが、それはこうした丸山による再評価を受けたものであろう。

 小山文雄『陸羯南──「国民」の創出』(みすず書房、1990年〕は彼の伝記を描きながら、明治の政治史的な動向の中、それに応じて羯南の政論が思想としていかに展開していったのかをたどっていく。理想と現実との狭間としての「常」の立場を重視した彼のバランス感覚を高く評価している。

 有山輝雄『陸羯南』(吉川弘文館、2007年)と松田宏一郎『陸羯南──自由に公論を代表す』(ミネルヴァ書房、2008年)は、それぞれ彼のジャーナリストとしての側面を重視する。彼は新聞紙たるの職分として私利や党派ではなく、「一定の義」(羯南の場合には国民主義)のみに立脚すべきことを主張。「独立」の意見が現実を踏まえながら互いに「理」を争う「相関的議論」に新聞の役割がある。理性に基づいた議論を行わねばならず、羯南は例えば自由民権論等に現れた粗暴な「壮士」的議論を否定し、批判的思考の材料を提供するためのいわば高級オピニオン誌としての職分を自覚的に追求していた。有山書では、こうした理想的なやり方は職業政治家と有産有識選挙民中心の政治空間では一定の有効性を持ちつつも、「民衆的」政治空間の出現、その過激な「情」の議論(例えば、日露講和の反対論)に対して大勢順応を拒む彼のやり方はもはや難しくなってきたことが指摘される。また、松田書は、志操高潔な孤高の言論人として羯南を理想化する傾向に対しては異議を唱え、当時、『東京朝日』の池辺三山や『大阪毎日』の原敬らは読者層の変化を敏感に捉えながら経営手腕を発揮、対して、大衆迎合を拒む羯南は、言論の商品化として読者に売りたくないのであれば資金提供先を求めて政治家に売り込む選択肢をとらざるを得なくなってしまった点を指摘する。羯南は当初は品川弥二郎、谷干城、杉浦重剛、後に近衛篤麿らのバックアップを受けていた。

 朴羊信『陸羯南──政治認識と対外論』(岩波書店、2008年)は、先行研究ではあまり大きくは取り上げられていなかった羯南の対外論に注目、彼の論説の検討を通して、自衛的国民主義、国民の公益のための経済的膨張主義から侵略的な国民主義への転換を読み取っていく。大雑把で粗雑なまとめ方になってしまうが、デモクラシーやリベラリズムとナショナリズムとが両立していたとする従来の羯南再評価で(ただし、松田書は羯南の国民主義にあまり好意的ではない)、両者の比重の置き方についてデモクラシー≧ナショナリズムとして捉えているとするなら、朴羊信書ではデモクラシー<ナショナリズムという捉え方になっていると言えるだろうか。なお、羯南の台湾論についても言及があり、「北守南進」策における南進の基地、大陸進出の足がかりとして台湾を位置付けていたこと、他方、内地延長主義の立場から六三法は違憲だという議論を展開していたことが指摘される。

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【映画】「モンガに散る」

「モンガに散る」

 1980年代後半の台北、日本でたとえると浅草とも言うべきコテコテの下町・艋舺(モンガ)が舞台。気弱な転校生が不良仲間と出会って高校を中退、義兄弟の契りを結んで極道の世界に入っていく。ところが、この台湾人中心の下町に外省人系の組織暴力団が進出を図り、いくつかの事件をきっかけに抗争が勃発、この混乱の中で義兄弟の契りを結んだはずの彼らも義理と裏切りの葛藤に直面する、という筋立て。いわば「ゴットファーザー」の台湾黒社会版にほろ苦い青春ストーリーを加味した感じだ。二時間以上の長丁場だが映像転換のテンポはスムーズで観ていて飽きさせない。

 映画中の字幕で1986─87年の出来事であることが明示される。台湾はすでに高度な経済成長を遂げつつあった上に、長年続いた戒厳令が解除、間もなく蒋経国が死んで李登輝が総統に昇格、民主化も本格化しようという時期である。台湾史上、最も高揚感のあった時期と言ってもいいだろう。だが、この映画で描かれるのは、高校をドロップアウトした若者たち、報われないアウトロー、組織暴力団の攻勢を前に揺れる時代遅れのヤクザ、借金のかたに娼婦に身を落とした少女。上昇気分のあった時代にはかえって影が際立つ人々の姿、彼らはだからこそ互いに密な関わりを持とうともがく。それが報われるかどうかはともかく。

 外省人暴力団の進出を受けて「大陸の奴らと手なんか組めるか!」「俺は北京語なんてしゃべれないよ」といったセリフからは、近年の台湾映画でよく見受けられるモチーフの一つ、族群政治(エスニック・ポリティクス)の影もうかがえる。ただし、監督自身は外省籍のようである。映画プログラムにある野林厚志氏の背景解説では、外省人ヤクザが艋舺のような下町に入り込もうとしている思惑には台湾本土化の趨勢にあって彼らも土着化を選択せざるを得なくなっていることが示されているという趣旨の指摘があり、興味を持った。

 監督のニウ・チェンザー(鈕承澤)はもともと侯孝賢映画で子役としてデビュー、その後テレビ・ディレクターとして人気を博したが、スランプに陥った自分自身を題材にした映画「ビバ!監督人生!!」で復活、映画二作目の今作は台湾で「海角七号」に次ぐヒットとなったらしい。両作とも映画中に日本を示すモチーフが入っているのはどういう偶然か。ニウ監督は大の日本贔屓だという。艋舺の極道のゲタ親分には日本統治期世代の精神造型が表現されているというのだが、いまいちピンとこなかった(ちなみにゲタ親分役は「海角七号」にも出演、コテコテ“台湾オヤジ”として人気を博した馬如龍)。それから主人公の青年は、会ったことのない父親が日本から送ってきた絵葉書を形見として大切にして日本への憧憬を語るが、その絵柄は富士山と桜。ラストで血しぶきがその桜に変わるシーン、色合いがピンクの桜色ではなく、むしろ梅の赤色に近いのは、いかにも台湾的に解釈された日本イメージが象徴されているとも言えるか。

【データ】
原題:艋舺
監督・脚本:ニウ・チェンザー(鈕承澤)
2010年/台湾/141分
(2011年1月11日、新宿、シネマスクエアとうきゅうにて)

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2011年1月 9日 (日)

【映画】「ノルウェイの森」

「ノルウェイの森」

 原作の村上春樹よりもトラン・アン・ユン監督と李屏賓(リー・ピンビン)撮影という二人の組み合わせに関心があり、ストーリーではなく映像そのものを鑑賞するつもりで観に行った。この二人による「夏至」という作品を以前に観たことがあり、色合いが瑞々しく静かな叙情性が私は好きだった。そうした映像感覚は今回の「ノルウェイの森」にもよく生きている。日本の四季の移り変わりが映像的にしっかり織り込まれており、その点では南国ベトナムを舞台とした「夏至」よりも劇的変化を感じさせる緊張感も醸し出され、それが登場人物の心象風景と見事に呼応している。

 村上作品にはどこか乾いた気だるさが漂っている。その中で描かれている他者とのつながりを望みながらもなかなかうまくいかないもどかしさは、もしドラマに仕立て上げようとする場合、下手すると内向きに甘ったれたものになりかねない。ところが、この二人による映像を背景にすると、感傷的な切なさにも奥行きの広がりが浮かび上がってきて、そこが実に良い。

 1970年代の日本が舞台、セリフは日本語、撮影も日本で行なわれているが、時折カメラアングルによってはどこか別の国というか、我々が見知ったのとは異なるもう一つの日本のように感じられる瞬間があるのも面白い。日本を意識しながら撮影しても目のつけ所が違うからだろう。例えば、水辺で読書しているシーンとか。ミドリ役・水原希子の静かな微笑みはベトナム美人のように見えてくる。ちょい役で糸井重里、細野晴臣、高橋幸宏も出ていた。

 村上春樹作品の世界的ブームはよく知られているが、欧米では『羊をめぐる冒険』の人気が高い一方、東アジアでは『ノルウェイの森』の方が人気があると言われている(藤井省三『村上春樹のなかの中国』朝日選書)。例えば、つい先日台湾へ行ってきたばかりだが、この映画は台湾でもほぼ同時に上映が始まっており、駅構内やテレビでは広告をよく見かけたし、書店のベストセラー棚では『挪威的森林(ノルウェイの森)』が外国文学の1位になっていた。台湾大学近くの学生街では挪威的森林という名前のカフェを見かけた覚えもある。日本人原作の作品をベトナム人(フランス在住)監督と台湾人撮影監督が撮り、東アジア全般で見られているというこの状況が今や当たり前となっていること自体が少々感慨深い。

【データ】
監督・脚本:トラン・アン・ユン
撮影監督:李屏賓(リー・ピンビン)
原作:村上春樹
出演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、高良健吾、玉山鉄二、霧島れいか、ほか。
(2011年1月9日、日比谷、TOHOシネマズ・スカラ座にて)

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黒岩比佐子『パンとペン──社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』

黒岩比佐子『パンとペン──社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社、2010年)

 先ごろ亡くなられた黒岩比佐子さんの遺作となってしまった。

 外国語の翻訳や論説から広告文、果ては卒業論文や恋文の代筆まで、文章という文章ならなんでもござれ──今風に言うなら編集プロダクションの草分けとも言うべき会社が大正時代にあった。その名も、売文社。大逆事件後のいわゆる社会主義運動“冬の時代”、厳しい風雪をしのぐため堺利彦が同志と共に設立した。彼らは高い教養と卓抜した語学力を持ちながらも、正規の高等教育を卒えていない上に社会主義者として逮捕・服役の前科もあるため、まともな職に就くことはできない。自分たちの能力を活かしながら生計の手段を立てるため、売文社というのは実に見事なアイデアであった。本書はまさにこの売文社に光を当てながら堺利彦の生涯を描き出している。著者の古書店通いの成果であろう、なかなか珍しい本もよく発掘しており、当時の出版史をうかがう上でも興味深い。

 堺利彦の名前は歴史の教科書でも社会主義者として登場するが、幸徳秋水とはパーソナリティーが異なる。幸徳がどこか漢学者然とした険しいオーラを放つのに対して堺は人情の機微に通じた人柄であり、軽妙洒脱なユーモリストとしておもしろおかしく読める戯文もたくみに書ける人であった。売文社に集った面々もそれぞれにクセが強く、そうした個性的な群像劇としても面白い。

 社会主義運動の展開を主とするかつての思想史叙述において、売文社の位置付けはあくまでも脇役に過ぎなかった。実は私自身、だいぶ以前のことではあるが、ある関心から初期社会主義運動について少々調べたことがあり、そのときに売文社から刊行されていた雑誌『へちまの花』『新社会』なども全ページに目を通したことがあった。おふざけや遊び心もあっていわゆる“主義者”のしかめっつらしい相貌とは全く異なり、意外に面白いと思っていた。しかしながら、ユーモリスト堺と個性豊かな売文社の面白さはアカデミックな思想史家で描ける人はいないだろうとあきらめていたところ、本書の登場を迎え、読みたかったのはまさにこういうのなんだよ、と半ばジェラシーも混じりながら興奮した。読み進めながら色々と思い出すこともあり、この時代について私ももう一度調べなおしてみようかという思いを刺激された。

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