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2011年4月24日 - 2011年4月30日

2011年4月28日 (木)

ハオ・チャン『梁啓超と中国における精神史的変遷:1890─1907』

Hao Chang, Liang Ch’i-ch’ao and Intellectual Transition in China, 1890─1907, Harvard University Press, 1971

・科挙受験者としてエリートになることが期待されながらも康有為に傾倒して変法運動に身を投じ、戊戌政変では命からがら日本へ亡命、その後も時に政治家として、時にジャーナリストとして独特な存在感を示した梁啓超。 西洋列強の進出による清朝の政治的動揺、いわゆるウェスタン・インパクトによって自覚された中国伝統思想と西洋近代とをどのように折り合いをつけたらいいのかという戸惑い。大きな転換期にあって近代中国の行方を模索した梁啓超の幅広い言論活動からは、こうした問題意識の一つの縮図を見て取ることができる。彼の発言には時代的に一貫性がないとも言われる。しかし、逆に考えるなら、手探りしながら西洋近代の知見を摂取(日本の明治啓蒙思想も介在)、情勢の変転を見ながら試行錯誤でロジックを組み立てようとしていた苦闘には、むしろ一貫性がないからこそ生身の知的格闘が醸し出す真摯な迫力が見出されるだろう。

・先週、検索中にたまたま存在を知って古書店に注文した本。ざっと目を通したが、何だか風邪気味で頭がぼんやりしているので、読みながらとった簡単なメモだけ。
・彼の言論は時代によっても、どこに力点を置いて理解するかによっても、浮かび上がってくるイメージは違ってくる。本書は、新儒学や康有為から受けた影響に始まり、西洋文明を摂取しながら彼の中でも変転していく内在的な思想展開を整理(侵害革命前まで)。1960年代半ばに提出された博士論文がもとになっており、指導教官はベンジャミン・シュウォルツらしい。
・停滞した伝統中国→変革するには?→西洋近代を成り立たせている活発で活動的な個人モデル、進取の精神と比較、運命屈従ではなく人間の努力によって切りひらく人間観→伝統思想における静寂主義を批判する一方、個人の内面において活動への動機を促すダイナミズムとして新儒学(とりわけ陽明学)の唯心論的発想に注目、公共心(日本の武士道、幕末の志士たちは陽明学の影響を受けていたとする指摘は、例えば蒋介石などにも受け継がれている)。
・社会ダーウィニズムの摂取→闘争による世界の進歩という観念→弱肉強食の世界の中で生き残るには?→「群」としての凝集力(加藤弘之の影響→功利主義的人間観を受け容れた一方で、闘争のために個人同士が助け合うという考え方、と梁は理解)、国民国家の形成。国民主権による民主主義+国民国家。新たな国民像を「新民」と表現。集団としての「自由」を重視。ただし、外的契機への反応として「国家」と「個人」を結びつける視点が中心となったため、「国家」と「個人」/publicとprivateとの緊張関係という課題までは考えが及ばず。
・政体の正統性は、伝統儒教では「天」に由来したが、梁は「民」に転換→国民主権、公共性。ただし、共和制への移行は簡単ではない→過渡期における制度的手段として君主制。
・文化的アイデンティティを保持しながら西洋文明と伍していけるだけの近代化、国民国家形成という課題。
・世紀の変わり目の頃、革命派には反帝国主義よりも排満主義の方が大きくなってきた→満州人排除という偏狭なナショナリズムに梁は反対。漢人だけでなく他の民族も一緒に→民族主義(nationalism)ではなく理性的で幅広い国家主義(statism)。
・梁は革命家か、改革者か?→両方の要素があるが、おそらく後者。五四運動世代は伝統を全否定したのに対し、梁は部分否定。

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2011年4月26日 (火)

園田茂人編『中国社会はどこへ行くか──中国人社会学者の発言』、ふるまいよしこ『中国新声代』

園田茂人編『中国社会はどこへ行くか──中国人社会学者の発言』(岩波書店、2008年)

・中国人社会学者7人へのインタビューを通して現代中国社会が抱えている問題点をそれぞれの調査対象に即して浮かび上がらせていく構成。
・李春玲(中国社会科学院社会学研究所研究員):マルクス主義的な「階級」概念がいまだに根強い中、社会学的な「階層」概念で分析。教育格差による不平等拡大、都市中間層のフラストレーションなどを指摘。
・陳光金(中国社会科学院社会学研究所副所長):共産党に入党しない私営企業家に注目。「ニューリッチ」への「二重の評価」(羨望の対象であると同時に、不正をしていると批判)。
・王春光(中国社会科学院社会学研究所研究員):農民工の社会的地位の低さや階層的アイデンティティー→新しい労働者階級を形成していると指摘。受け容れる大都市側の消極的姿勢、戸籍制度の問題。
・関信平(南開大学社会工作与社会政策系教授):改革開放以降、労働市場の成立→セーフティーネットの問題。社会福祉を担うNGOの位置づけ。社会保障は政府の責任とする意識が中国では強い。
・劉能(北京大学社会学系副教授):ライフスタイル調査。インターネットの普及による世代間ギャップ。公共空間における社会的スキルの欠如。サイバー・スペースの中に根強く残るポスト冷戦型心性。不満を表出するチャネルとしての集合行動。
・康暁光(中国人民大学農業与農村発展学院教授):伝統回帰の趨勢を指摘。マルクス主義理念の空疎化→共産党も統治正統性獲得のため宗教としての儒教を重視すべきと主張。
・李培林(中国社会科学院社会学研究所所長):客観的状況と主観的意味づけとのギャップ。政府による資源配分の一方、「見えざる手」としての「社会」の領域が曖昧。海外と比較して社会は不平等だという意識が強い→「不平等の制度化」(不平等を生み出すゲームのルールに対する合意形成)の不在、言い換えると公正なルールを作り上げなければならない。

ふるまいよしこ『中国新声代(しんしょんだい)』(集広舎、2010年)

・単に中国というよりも広く華語圏(従って香港、台湾を含む)の様々なジャンルで活躍する18人へのインタビューを集めている。それぞれの立場から変貌する中国社会をどのように見ているのかを聞き出し、彼らの語りを切り口にして複眼的に中国を見ていく糸口となり得るところが興味深い。
・登場するのは、王小峰(ブロガー)、李銀河(性問題で積極的に発言する社会学者)、郎咸平(経済学者、何となく大前研一的なタイプだな)、連岳(ブロガー)、徐静蕾(女優)、芮成鋼(テレビキャスター)、袁偉時(歴史学者)、孫大午(農村企業経営者)、梁文道(コラムニスト)、邱震海(国際問題研究家)、曹景行(時事評論家)、尊子(風刺漫画家)、梁家傑(民主党派から香港特別行政区行政長官選挙に立候補)、龍応台(台湾出身の作家)、林清發(北京で活躍する台湾出身企業家)、賈樟柯(映画監督)、胡戈(ウェブビデオクリエイター)、欧寧(文化プロデューサー)。
・読む人の関心に応じてどこに興味を感ずるかはそれぞれだろうが、私としては、歴史学者・袁偉時と作家・龍応台の発言に興味を引かれた(二人ともいわゆる『氷点』事件に関わっている)。「正史」すなわち統治者側から提示される公定史観だけでなく「野史」の必要性。「正しい」歴史観への疑問から探究を重ねた結果、「野史」にならざるを得なくなった袁偉時、大陸に比べて台湾の「野史」の豊かさ、さらには混乱をも語る龍応台。いずれにせよ、歴史の語りを吟味・識別する判断力の広がりが必要という指摘に収斂してくる。それから、梁文道のように現体制に批判の眼差しを向けつつ現実的な判断も示すバランスのとれた姿勢にも興味。

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2011年4月25日 (月)

許介麟《日本殖民統治的後遺症──台灣VS朝鮮》

許介麟《日本殖民統治的後遺症──台灣VS朝鮮》(台北:文英堂出版社、2011年)

 台湾および朝鮮半島における日本の植民地支配を比較検討するのが本書のテーマである。台湾の読者に向けて日本による朝鮮半島侵略の経緯を紹介し、台湾との比較を促す構成になっている。50ページそこそこのブックレットという分量を考えれば、概説的な内容としては要領よくまとまっている。

 日本の植民地支配をめぐって韓国でよく見受けられる批判のロジックを台湾に当てはめ、台湾の「媚日派」はいまだに過去の清算を済ませていない、その点で韓国に比べて「脱植民地化」が終わっていない、とするのが基本的な視点である。さらに李登輝はストックホルム症候群(立てこもり事件の人質が犯人に抱く同情を指す精神分析用語)だ、八田與一を顕彰するなんて「白痴化」した奴隷根性だ、などと感情的に激しい表現も出てきて、議論としてはバランスを失している印象を受けた。親日派批判そのものについては、それぞれ立場があるわけだから私が異議を唱える筋合いはない。ただ、「べき」論から糾弾するのではなく、そういったメンタリティーがどのような歴史的・構造的背景から生み出されたのかを汲み取っていく論理的手続きがしっかりしていなければ説得力は持たないだろう。具体的な論点をめぐって実証するというよりは歴史解釈の問題が前面に出されてくるので、読者の立場によっては異論が色々と出てくるかもしれない。

 私自身としては、日本統治に近代化という一定の側面があったとしても、そもそも植民地支配そのものがその地の人々の自尊心を著しく傷つける行為なのだからやはり肯定されてはならない。その点で日本人として常に自己批判の眼を持ってバランスをとるに越したことはない、と考えている。「親日」的とされる台湾でも本書のように日本に厳しい見解もあることはきちんと了解しておく必要はあるだろう。ただし、本書の場合には学術的論証というよりも政治主張的パンフレットという性格が感じられるので、その点は割り引いて読む方がいいかもしれない。もう1点、註を見ると朝鮮半島関連の文献は主に日本人研究者のものに依拠して、韓国人研究者による研究はほとんど参照されていないことも気にかかった。

 台湾人研究者による本書のようなテーマの議論としては、他に周婉窈《海行兮的年代──日本殖民統治末期臺灣史論集》(台北:允晨文化出版、2003年)所収の第3章〈従比較的観点看台湾與韓国的皇民化運動〉を以前に読んだことがある。試論的だと断りつつも、対象時期と論点を絞って比較検討を行っており、こちらの筆致の方がバランスがとれている。なお、「海行兮」とは「海ゆかば」のことで、この本は以前にこちらで取り上げた。

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2011年4月24日 (日)

リンダ・ヤーコブソン/ディーン・ノックス『中国の新しい対外政策──誰がどのように決定しているのか』

リンダ・ヤーコブソン/ディーン・ノックス(岡部達味監修、辻康吾訳)『中国の新しい対外政策──誰がどのように決定しているのか』(岩波現代文庫、2011年)

・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の報告書(2010年)を訳出したもの。綿密な文献調査や関係者へのインタビューを踏まえて中国の対外・安全保障政策の形成過程に関与するアクターを分析。
・中国社会における多元化の進展と国際社会との相互依存関係の深まりとによって、中国の対外政策決定過程に何らかの形で関与するアクターも多元化・細分化されている。党幹部、政府官僚、軍幹部、知識人・研究者、メディア関係者、企業経営者、さらにはネチズンなど公式・非公式に多様なアクターがそれぞれの見解や利害に基づいてせめぎ合っており、外交部はこれらの中のあくまでも一つであるに過ぎない。さらにネットを通して表れた一般世論の動向も無視できず、各アクターはそれぞれ世論に向けて影響を与えたり統制したりしようとする一方、ネット世論から制約を受けることもある(例えば、アメリカ、日本、台湾、チベット問題等)。こうした複雑な政策決定過程となっている以上、外国が中国に対して働きかけを行なう場合には、中国内部の多様な集団の利害関係を勘案しなければ話が進まない、という趣旨。
・中国の国際化という方向性については各アクターによって態度が異なる。商務部、地方政府、大企業、研究者などは積極的である一方、国家発展改革委員会(エネルギー安全保障を重視)、国家安全部(人権問題、情報の透明性など西側の価値観の浸透によって秩序が乱れることを憂慮)、人民解放軍などは消極的。
・国益を積極的に主張すべきという見解は全体的に優勢。

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