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2011年4月10日 - 2011年4月16日

2011年4月16日 (土)

安達正勝『物語 フランス革命──バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』『死刑執行人サンソン──国王ルイ十六世の首を刎ねた男』、他

 フランス革命はアメリカ独立革命と共に、いま我々が暮らしている近代社会の基本的理念が政治の現実の中で具体化された初めてのケースとして画期的な出来事であったが、そればかりでなく、矛盾や暴力も絡まりあって変転する革命のプロセスそのものにドラマとしての迫力がある。日本でも例えば幕末・維新期の動乱は時代劇的エピソードの豊かな宝庫となっているが、それと同様の面白さがあると言っていいだろうか。

 安達正勝『物語 フランス革命──バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』(中公新書、2008年)は革命の進展をまさにそうした多様な人物群像の織り成すドラマとして描き出してくれる。個々の登場人物それぞれに思惑を抱きつつも、意図せざる相互反応の連鎖が大きなうねりをなして、その中で意に沿わぬ成り行きに当惑したり、裏切られたり、或いは図らずも頂点に立ったり、翻弄される悲喜こもごもの凄み。もともと開明的な君主であったからこそ革命に巻き込まれていくルイ16世、「腐敗し得ぬ」潔癖な理想主義者だったからこそ恐怖政治に突っ走っていくロベスピエール、結果として革命を成就するナポレオン等々、多彩な登場人物それぞれの内在的ロジックを明らかにしながら描かれるからこそ、この大きなうねりに巻き込まれていく姿はドラマチックだ。本来ならば歴史の表舞台に立つことのなかったはずの女性や低階層出身者が、革命をきっかけになったからこそ活躍し始めたところに注目しているのが特色と言える。エピソード豊富で面白い。

 こうした人物群像の一人として興味がひかれるのが安達正勝『死刑執行人サンソン──国王ルイ十六世の首を刎ねた男』(集英社新書、2003年)の主人公、シャルル‐アンリ・サンソンだ。身分が固定されて職業選択の自由などあり得なかった時代、人々から蔑まれながらも親から死刑執行人の家業を継いだ彼は、やはり家柄ゆえに断頭台に立つことになったルイ16世の死刑を執行する立場になる。立憲君主制支持者として、かつルイの温厚な人柄に触れたことがあって敬愛していたにもかかわらず手を下さざるを得なくなった煩悶。旧体制では身分ごとに死刑執行方法は異なり、貴族は斬首、庶民は絞首刑と決まっていた。ところが、革命ですべての人間は平等であるという理念から斬首刑に一本化された。また、従来は執行人が刀を振り下ろして首を斬っていたが、失敗して余計に苦痛を与えるケースも多かった。そこで、苦痛をできるだけ少なく機械的に迅速かつ確実に執行するという人道的配慮から考案されたのがギロチンであった(刃渡りを斜めにして確実さを高めたのは、ルイ16世自らの提案によるという。彼は刑罰の人道主義化に熱心であった上に、錠前作りという趣味からうかがえるように精密科学への造詣が深かったことも指摘される)。ところが、革命の進展につれて死刑判決を受ける政治犯が急増、本来、刑罰の人道化を目指したギロチンが、その機械的使いやすさから死刑執行数の増加に拍車をかけてしまった。サンソンはやりたくて死刑執行人をやっているのではない。凶悪犯を処刑するならばまだしも自分の仕事への納得のしようもあったが、大義名分も何もなく多くの人々が断頭台へと送られてくる状況は精神的にも耐えがたく、彼は死刑廃止を訴えるようになる。

 佐藤賢一『フランス革命の肖像』(集英社新書ヴィジュアル版、2010年)はフランス革命に登場した人物の肖像画を集め、合わせてそのプロフィールをつづった歴史エッセイ。意外とイメージと異なる風貌の持ち主もいたりして、この革命ドラマを見ていく上で奥行きが出てきて面白い。佐藤さんの『小説フランス革命』シリーズ(集英社)はいずれ時間をみつけてゆっくり読んでみたいと思っている。

 フランス革命関連で私が初めて読んだのは桑原武夫編『世界の歴史10 フランス革命とナポレオン』(中公文庫)だった。高校三年生のとき、受験世界史の勉強に役立っただけでなく、息抜きにも面白かった覚えがある。それから大学一年のとき、高名な歴史家の定評ある古典的史書を読もうと思って最初に手に取ったのがジュール・ミシュレ(桑原武夫編)『フランス革命史』(中公バックス)。手に取る前は何となく敷居の高そうな感じもしていたが、いざ読み始めるとこれがまた小説的に面白くて一気に読み通した(抄訳ではあるが)。そういえば、第二外国語でとったフランス語の授業のうち1コマはレチフ・ド・ラ・ブルトンヌ『パリの夜』の講読だった。

 アルベール・ソブール『フランス革命』(上下、岩波新書)、ガリーナ・セレブリャコワ『フランス革命期の女たち』(岩波新書)、平岡昇『平等に憑かれた人々』(岩波新書)といった本もその頃古本屋で買って蔵書にあるはずだが、すぐには見つからない。

 ロベスピエールなどの理想主義者が、まさにその理想を追求するがゆえに常軌を逸していくという逆説は、私がとりわけ関心をひくところだった。アナトール・フランス『神々は渇く』(岩波文庫)は、ジャコバン派支持者となったある貧乏画家の変貌を通してそうしたあたりをよく描き出しており、興味を持った覚えがある。

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石島紀之『雲南と近代中国──“周辺”の視点から』

石島紀之『雲南と近代中国──“周辺”の視点から』(青木書店、2004年)

・中央中心の歴史の見方では見落としてしまうもの→雲南という周辺部に視軸を置いて中国近代史を捉えなおしてみる試み。辺境とされる地域でも政治史全体の動向に関わるダイナミズムが見えてくるのが興味深い。
・山間盆地を単位として少数民族や漢族が雑居する地域。
・フビライが大理国を滅ぼして雲南行省を設置。明代に漢族系が大量に移民。清代に社会経済的変動、改土帰流政策→土司勢力の縮小。19世紀に回民起義→独立政権も成立。しかし、少数民族の漢族化傾向あり。
・イギリス・フランスの勢力進出→外国商品の流入。1870年代初め、昆明にフランス人技術者による官営軍需工場→雲南における近代工業化の始まり。
・対外的危機と清朝地方官僚の腐敗→東京への留学青年(1906年に東京で『雲南雑誌』刊行)と新式軍隊が反清革命の担い手。とりわけ、雲南講武堂の教官では留学経験者や革命支持者が多数派→蔡鍔(かつて梁啓超や譚嗣同に学び、日本へも留学)が中心となる。彼は強力な中央政府を支持する国家主義者だが、他方で省内には地方主義や他省との対立意識も胚胎していた。蔡鍔は第二革命では袁世凱を支持したが、袁が帝政運動を始めると反発→蔡鍔、梁啓超、唐継尭(日本留学経験あり)らは雲南を反袁世凱の護国戦争の基地とした。蔡鍔は1916年に病死→唐が雲南を支配(1913~27年)。
・1910年、滇越鉄道の開通→対外交易の拡大。東南アジアとの経済的交流が活発になる一方、広東商人が貿易の担い手であったため華南商業圏に組み込まれた。
・貧困、土地問題。漢族と少数民族、また少数民族同士の大きな経済的・社会的格差。
・キリスト教の普及。
・新文化運動の波及→五・四運動、日貨ボイコットが昆明で盛り上がる。
・国民革命と連動する形で雲南でも政変→龍雲(イ族出身)が台頭。蒋介石の国民政府を支持しつつも、実質的には半独立状態。1938年に汪兆銘がハノイへ脱出、日本との「和平」を唱えた際に途中で昆明に寄り、龍雲と会談。彼は曖昧な態度をとっていたが、最終的に蒋介石を支持、ただし関係は微妙なものとなる。
・抗日戦争の基地。日本軍の空襲。昆明には西南連合大学(1938~46年)。
・戦後、ベトナム北部の日本軍の武装解除のため、蒋介石の命令で雲南軍(龍雲の部下の慮漢が指揮)を派遣→雲南の主力部隊がいなくなったスキをついて蒋介石側が龍雲政権崩壊の策動→龍雲はいったん失脚したが、混乱の中で慮漢が政権を樹立。二人とも最終的には共産党側につく。

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2011年4月15日 (金)

アニア・シーザドゥロ『デイ・オブ・ハニー:食べ物、愛、戦争の思い出』

Annia Ciezadlo, Day of Honey: A Memoir of Food, Love, and War, Free Press, 2011

・著者は「クリスチャン・サイエンス・モニター」「ザ・ニュー・レパブリック」など各紙と契約して中東で活動しているフリーランスのジャーナリスト。
・レバノン出身のやはりジャーナリストである夫と共にバグダッド、ベイルートで暮らしながら取材活動。フセイン政権崩壊後、アメリカへの反発から混乱するイラク。宗派対立やシリア、イスラエルとの関係も絡まって自爆テロや要人暗殺が相次ぎ再び内戦の危機が高まるレバノン。緊迫した政治情勢下でも親しく交わった人々との思い出がつづられる。
・本書のカギとなるのは、文中で折に触れて紹介される、現地で出会った料理の数々。古代以来、紛争の絶え間のない地域ではあるが、人の移動と同時に食材やレシピの交流の広がりもあり、民族や宗派は違っても知らずしらず似たような料理を食べていることもある。互いに憎悪を向け合うような緊張状態だからこそ、食事を共に分かち合うことの意義が改めて確認される。著者がアメリカに戻っても、思い出されるのは戦争ではない。料理をめぐって想起される味、におい、光景、その場に居合わせた友人たちの思い出。巻末にはレシピ付。

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2011年4月13日 (水)

堀江邦夫『原発ジプシー』

堀江邦夫『原発ジプシー』(現代書館、1979年)

・1978~79年にかけて美浜原発、福島第一原発、敦賀原発の現場作業員として働いた潜入ルポ。たとえて言うと、鎌田慧『自動車絶望工場』『死に絶えた風景』の原発労働者版といった感じだ。日記風の記述で、その日その日の被曝線量が克明に記されているのが生々しい。
・ケガをしたら労わられるどころか、どなられる。「ケガをしたら電力会社に申し訳ない」「労災を適用すると日当は6割になるが、労災扱いしなければ全額面倒をみてやる」といった雇用者側の発言。事故隠し、労災隠し。電力会社は原発の安全性を主張するための「配慮」、しかしそれが現場作業員を集める下請け会社、さらには労働者自身にしわ寄せされた構造。釜ヶ崎の日雇い労働者の待遇から抜け出したくてもがく人々の苦衷。ピンはねされた低賃金の上、放射線被曝による遺伝に不安、さらには恐怖を感じながら働く日々。
・設備管理のためアメリカのGE社から派遣されてきた黒人労働者の姿も見える。ろくに英語も話せない人もいて、こちらも明らかに底辺労働者が危険な作業をやらされている。
・1979年にはちょうどスリーマイル島で原発事故が発生。「あっちの労働者は、ずいぶん放射能を食ったろうなあ」といった会話。
・原発のいわゆる「協力会社」の現場作業員に対する待遇は現在では改善されているのだろうか? いずれにせよ、電力供給をまかなうため、こうした人々に身体上の不安もある過酷な作業を押し付けてきたことには考え込んでしまった。

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プロチノス『善なるもの一なるもの』

プロチノス(田中美知太郎訳)『善なるもの一なるもの』(岩波文庫、1961年)

・プロチノス(Plotinos、3世紀)は、プラトン哲学におけるイデア論を彼岸と此岸とに分断して捉えるような二元論には陥らせず、世界を根源的に一つのものとして解釈しなおしたところから新プラトン主義と呼ばれる。彼が主張していたイデアをも成り立たせる究極的に一なるもの(仮に「一者」と呼ぶ)が後に「神」と比定されることで、結果として古代ギリシア哲学をキリスト教神学へと媒介したとも位置付けられる。
・存在そのものとしか言いようのない、言語的表現を絶する究極的な何か、そこから流出した知性の働きによって我々はこの現世界を見ようとしている存在であるとして解釈する。ただし、本源的に「私」も含めてすべてが世界そのもの、すなわち一つのものなのだから、「私」が対他的に対象としての「一者」を見るという関係にあるのではない。論理整合的に理解するというのではなく、感覚を研ぎ澄まして直接的につかみとるしかないという意味で神秘主義とされる。
・井筒俊彦が人間の思惟構造の共時的把握という試みの中でしばしばプロチノスに言及している。つまり、人間の意識の深みにある存在の普遍性としか言いようのないレベルへと向けてギリギリまで推し進められる思索の中で、例えばスーフィズム、古代ユダヤ思想、古代インド哲学、老荘思想、禅の思想などと共にプロチノスの哲学も並べられている。「一者」とその反映としてのこの世との両方を捉える眼差しのとり方は、意識のゼロポイントと現世とを往還する思索のあり方と共鳴していると言ったらいいのだろうか。

・「すべての存在は、一つであることによって存在なのである。」(11ページ)
・…「われわれの求めているものは一なるものであって、われわれが考察しているのは、万物の始めをなすところの善であり、第一者なのであるから、万物の末梢に堕して、その根源にあるものから遠ざかるようなことがあってはならない。むしろ努めて第一者の方へと自己を向上復帰させ、末梢に過ぎない感覚物からは遠ざかり、いっさいの劣悪から解放されていなければならない。なぜなら、懸命な努力の目標は善にあるからである。そして自己自身のうちにある始元にまで上りつめて、多から一となるようにしなければならない。ひとはそれによってやがて始元の一者を観るであろう。すなわち知性になりきって、自己の精神をこれにまかせて、その下におき、知性の見るところのものを正覚の精神が受け容れるようになし、一者をこの知性によって観るようにしなければならない。」(19ページ)
・「それはちょうど昼間の光明がいずれも太陽から発しているようなものである。そしてこの故に「語られもせず、記されもせず」というようなことが言われるのである。これをしかし我々が語ったり、書いたりするのは、ただかのものの方へと送りつけて、語ることから観ることへと目ざめさせるだけなのであって、それはちょうど何かを観ようと意う人のために道を指し示すようなものである。すなわち道や行程は教えられるけれども、実地を観ることは、すでに見ようと意った者の仕事なのである。」(23ページ)
・「本当をいえば、一者には合う名前が一つもないのである。しかし何らかの名前で呼ばなければならないとすれば、これを共通に一者というのが適当であろう。…またそれは知性を存在性へと導くものであって、それの本性はおよそ最善なるものの源泉となるがごときものであり、存在を生む力として、自己自身のうちにそのまま止まって、減少することのないようなものであり、またそれによって生ぜしめられるもののうちに存在するということもないものなのである。なぜなら、それはそれらが生ぜしめられるより先のものだからである。われわれがこれを一者と名づけるのは、互いにこのものを表示するための必要に出ずるのであって、われわれはこの名称によって、不可分なるものの思念に導き、精神の統一を計ろうとするのである。」(27~28ページ)
・…「かくて、もし本当に何か自足的なものがなければならないとすれば、一者こそそれでなければならぬ。なぜなら、ひとり一者のみが自己自身に対しても、また他に対しても不足を訴えたり、求めたりするようなことのないものだからである。すなわちそれは、自分がただあるためにも、またよくあるためにも、何ら他に求めるところのないものであって、自分がそこに座を与えられるために何かを必要とするようなことも決してないものなのである。なぜならば、自分以外のものに対して、それらの存在因となっているものが、自己の正にあるところのものを他から授けられてもつということはないし、またそのよくあるということにしたところで、一者にとって一者以外の何がそれであり得ようか。すなわち一者にとっては、よきということは外から附加されるようなものではないのである。それはつまり自己自身がまさにそれだからである。」…「かくて一者にとっては、それが求めなければならない善というものは一つもないのである。また従ってそれは何ものも欲しないのである。むしろそれは善を超越したものであって、他のものに対しては、それらのものが何かそれの一分を共有することが出来る場合においては、善となるけれども、自分が自己自身に対して善であるということはないのである。」(30~32ページ)
・…「われわれの存在は、われわれがかのものの方に傾きさえすれば、それだけ存在度が多くなるのであって、その存在をよき存在たらしめるものもまたかしこにあるのである。そして存在がかのものから遠ざかれば、それだけで存在度は少くなるのである。かしここそ精神のいこい場なにであって、いっさいの邪悪から清められたその場所へ馳けのぼることによって、精神は邪悪を脱するからである。精神が知性にめざめるのもそこにおいてであり、もろもろの悩みを受けずにすむのもそこにおいてなのである。否、真実の生というものもそこにおいてこそ生きられるのである。なぜなら、現在の生、神なき生というものは、実は生命の影に過ぎないのであって、かしこの生を模したものなのである。これに対して、かしこの生はすなわち知性の活動なのであって、この活動あることによって、それは神々を生むのであるが、これはまたかのものへの静かなる接触によるのである。そして美を生み、正を生み、徳を生むのである。つまりこれらは、精神が神にみたされることによって、うちに孕むところのものだからである。そしてこれが精神の終始するところのものなのである。始めというのは、精神はかしこから出て来たものだからであり、終りというのは、究極において求められる善がかしこにあるからであって、精神はかしこに生ずることによって、自分自身が本来あったところのものになるからである。というのは、この世にあって、この世のものによって生きるというのは、脱落の結果であり、追放のためであり、天かける翅を失ったからなのである。」(41~42ページ)
・…「見るはたらきも、またそのはたらきによってすでに見るところのものも、もはや論理ではない。むしろそれは論理以上に大いなるものであり、論理に先立ち、論理の上に君臨するものなのであって、そのことは見られる側のものについても同様である。」(45ページ)
・「…見る者は見られたものと相対して二つになっていたのではなくて、見られたものと自分で直接に一つになっていたのであるから、相手は見られたものというよりは、むしろ自分と一つになっているものというべきであったろう。」(47ページ)
・「すなわちそれは没我(エクスタシス)であり、一体化であり、自己放棄であり、接触への努力であって、また静止であり、思念を凝らしてかれへの順応をはかることなのであって、いやしくもひとが玄宮内部のものを観ようとするならば、このようにするより外はないのである。」(48ページ)
・「すなわち精神というものは、元来全くの非存在にいたるというようなことはむろんないのであって、それは下降によって劣悪なものにいたり、またその意味において非存在にいたることはあるにしても、全然の非存在にいたることはないはずなのである。また急いで逆の方途に引き返すにしても、精神は自分と違ったものの中へ入りこむことになるのではなく、自分自身のうちにかえることとなるのである。」(49ページ)

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2011年4月10日 (日)

奥波一秀『フルトヴェングラー』、中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』、川口マーン恵美『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』

 芸術表現として世俗の汚穢から超越した至高の価値が認められるべきはずの音楽、それが時に政治性をもはらんでしまうという緊張関係は、ドイツ第三帝国期における音楽家たちをめぐって問われ続けてきた問題である。例えば、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。彼は当時の政治状況の然らしむる中で第三帝国音楽局副総裁、枢密顧問官などの役職を引き受けざるを得なかった。だからと言ってナチス・シンパではなく、むしろユダヤ人音楽家やヒンデミットのようにナチスから睨まれた人々に対する迫害を何とか抑えようとしていた。綱渡りのように危ない駆け引きが必要であったわけで、世間知らずどころかそれなりの政治感覚があったこともうかがえる。では、音楽家ではないユダヤ人は無視しても良かったのか。そもそも機会はあったのになぜ亡命しなかったのか。彼はナチズム信奉者ではなかったにせよ、ドイツ音楽の至高性への確信は一種のナショナリズムとして共鳴する部分はなかったのか。いずれにせよ肯定・否定という単純な二分法では捉えることはできない。奥波一秀『フルトヴェングラー』(筑摩選書、2011年)はそうした彼をめぐって錯綜する複雑な機微をたどり返していく。

 世界の頂点に立つオーケストラ、ベルリン・フィル──この常任指揮者の座をめぐってフルトヴェングラーとカラヤンとが火花を散らした確執は音楽史ではあまりに有名なトピックだろう。中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』(幻冬舎新書、2007年)は、さらに戦後の非ナチ化政策で演奏活動のできなかった時期に二人にかわってベルリン・フィル再生に活躍したセルジュ・チェリビダッケを合わせた三人が三つ巴になって繰り広げた人間ドラマを描き出している。

 フルトヴェングラーとカラヤン、どちらの音楽の方が優れていたのか? 川口マーン恵美『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書、2008年)は、双方のタクトで実際に演奏し、それぞれの迫力を実体験したベルリン・フィルの元楽団員を訪ねて聞き書きした記録である。人それぞれに言い方のニュアンスは異なるにしても、二人の演奏にはその演奏なりの素晴らしさがあるのであって、一律なことは言えない、比較すること自体がナンセンスだ、という趣旨の返答をする人が大半だ。カラヤンから排斥されて徹底して憎悪する人もいれば、家族ぐるみで親しかった人もいる。そうした立場的相違によるのか、各人それぞれに感性が違うからなのか、同じポイントを尋ねても答え方が多種多様なのが面白い。ある意味、藪の中。ただし、往時を回想しながら答える語り口にはその人なりの音楽観、組織観、人間観が自ずとにじみ出てきて、中には含蓄深い表現もある。フルトヴェングラーとカラヤン、どちらに軍配をあげるかと結論を出すのはどうでもいいことで、むしろインタビューのプロセス自体がとても面白い。

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