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2011年3月27日 - 2011年4月2日

2011年4月 2日 (土)

柿崎一郎『東南アジアを学ぼう──「メコン圏」入門』

柿崎一郎『東南アジアを学ぼう──「メコン圏」入門』(ちくまプリマー新書、2011年)

 東南アジアは大まかに言って大陸部と島嶼部とに二分される。大陸部を構成するベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマーの五カ国のいずれをもメコン川が流れており、さらに上流にあたる中国の雲南省なども含めてメコン圏と呼ばれる。本書はメコン圏を横断的につなぐルートを旅しながら、この多様で活気に満ちた地域の歴史や社会を紹介してくれる。国境を越えた人や物の動きはそれだけ経済関係の進展がうかがえるが、他方で中国とタイの存在感が突出するばかりで、他の取り残されがちな国との関係のあり方は気になるところだ。いずれにせよ、旅人の視点でスケッチする構成には臨場感があって入門書としてとても読みやすい。著者は鉄道に関心のある人らしく、『王国の鉄路──タイ鉄道の歴史』(京都大学学術出版会、2010年)という著作もある。鉄道という切り口からタイの歴史や社会をうかがうところは私としては興味深いのだが、こちらは一般読者層を意識している割には読みづらい本だった。版元の性格の違いゆえか。

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河内信幸編『グローバル・クライシス──世界化する社会的危機』

河内信幸編『グローバル・クライシス──世界化する社会的危機』(風媒社、2011年)

 執筆者の一人である友人からいただいた本です。執筆者各自の研究関心による視点から現代の国際社会における問題点を見通す内容になっています。ちゃんと読んでからコメントしようと思っていたのですが、なかなか全部を読み通す時間がとれず(すみません)、とりあえず目次を以下に掲げておきます。

序章「グローバル・クライシス:危機の広がりと連鎖」(河内信幸)
第1章「地球的軍縮措置の現状と課題:非核(兵器)地帯の構成要素の変容を通して」(福島崇弘)
第2章「アフリカ地域機構への主要国による協力支援」(滝澤美佐子)
第3章「現代テロリズム研究の展望」(福田州平)
第4章「オバマ政権と「グリーン・ニューディール」(河内信幸)
第5章「台頭する中国と日米中関係」(三船恵美)
第6章「日本の安全保障」(加藤謙一)
第7章「アメリカ政治とネオコンのリンケージ」(河内信幸)
第8章「オバマ演説の情と理」(三浦陽一)
第9章「ソ連の溶解、ロシアの迷走:体験的グローバリゼーション考」(高山智)

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2011年3月31日 (木)

白川静『字書を作る』

白川静『字書を作る』(平凡社ライブラリー、2011年)

 白川静が畢生の研究集大成として成し遂げた字書三部作『字統』『字訓』『字通』、それぞれで編集方針を明示するため序文として書かれた文章が本書に収録されている。凡例や字書の使い方を示すというレベルではない。辞典・字書には、それを編纂する上で確固たる思想がなければならないと白川は言っており、序文とは言ってもそれぞれが堂々たる論文になっている。

 漢字の形成過程には古代の象形文字以来豊かな精神史的ドラマが展開されており、『字統』では甲骨金文の研究を踏まえて古代文字に込められた精神世界の解明が意図されている。漢字は日本に移植されてはるか昔から使い続けている以上、日本人にとってもやはり国字、日本人自身の文字である。『字訓』ではそうした考え方から国語の問題として漢字を捉え、中国生まれの漢字と日本語とが切り結ぶ緊張感に日本文化を豊かにしてきた契機を見いだし、それを見つめなおす糸口を求めようとしている。『字統』『字訓』双方の研究を基に一般辞書として編纂された『字通』は、漢字の用法を広く見渡すことで中国の古典が日本文化の中で占めている意味を提起し、さらにはそうした漢字のあり方を通して“東洋”的なものを改めて見直していこうという白川自身の若い頃からの情熱が込められているのだという。

 白川の学問には古代以来の漢字形成過程からうかがえる精神史的探求を通して“東洋”なるものを見つめなおしてみようという問題意識が根底に伏流しており、それは言語学や古代研究の枠には収まらない。“東洋”への回帰と言っても、白川の緻密に実証的な研究姿勢からうかがわれるように決してファナティックなものではないわけで、私としてはそうした彼の動機の部分に思想史的な関心がかき立てられてくる。

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2011年3月30日 (水)

白川静『回思九十年』

白川静『回思九十年』(平凡社ライブラリー、2011年)

 本書は、日本経済新聞連載の「私の履歴書」でつづられた生い立ちにプラスして、いくつかの対談を通して自らの学問観を語る構成になっている。対談とはいっても、それぞれに問題意識を持つ対談相手が白川先生に質問するという形式。白川漢字学の格好な手引きとなるし、何よりも面白い。

 そもそも漢字研究に一生を捧げるに至った契機をたどると「東洋」なるものは一体何なのかという問いに行き着くところには大いに興味がそそられる。もちろん、中国語で言う「東洋」とは日本を指してしまうので表現的には問題がある。ただ、漢字を共有する文化圏の中でも一元化はされず、それぞれに独自の文化が花開いた。そうしたパースペクティブから中国との比較を通して日本をも捉え返していこうという発想、それは詩経と万葉集との比較によって「東洋」なるものの古代における生活意識を探っていこうという関心につながっている。他方で近代に入って日本が大陸を侵略したという不幸な経緯があり、この負い目を白川はかなり深刻に受け止めている。同じ漢字文化圏=「東洋」にある者同士がいがみ合う不幸。軍事ではなく、学問によって中国から尊敬をかち得なければならない、こうした気負いもまた白川の漢字研究への情熱の中に伏在していた。

 漢字ひとつひとつの形成過程からもそれぞれの思想的系譜がうかがわれてくる視点はやはり興味深い。対談者の一人、江藤淳は折口信夫を引き合いに出しているが、文学的・思想的感覚の原点を探求して古代へさかのぼっていく発想という点で白川と折口とを比較してみるのも面白そうだ。

 実は特に深い意図もなく書店で見かけて購入しただけだったのだが、いざ読み始めると最後までやめられない。白川という碩学の強烈な気迫にうたれると、何と言うかすがすがしい気分になってくる。改めて読み直してみたいと思い、本棚の奥から引っ張りだしてきたり、持っていない著作は新たに買い求めたり、白川静がしばらくマイブームになりそうな予感。

 私は必ずしも白川静の良い読者ではなかったが、それでも『孔子伝』(中公文庫)などは大好きな一冊である。孔子をしゃちほこばったリゴリスティックな道学者イメージから解き放ち、彼の思想的系譜をむしろ荘子に求めるところなど私が敏感に反応したポイントだった。独りよがりな話になってしまうが、荘子に共感を示すタイプの思想家が私の肌によく合う。例えば、井筒俊彦、辻潤など、それぞれタイプは全く違う思想家を私は贔屓にしているが、共通点は老荘思想。私にとって白川さんもそう。伝統思想を現代の我々が受け止めるとき、過去の頭のあまり宜しくない訓詁学者によって概念的枠組みを狭めてしまうような修飾がかけられているためどうしても古くさくて退屈だという印象を持ってしまうが、他方で思想に内在する生き生きとしたダイナミズムが途切れず、目を凝らせば汲み取れるのは、やはり荘子(だけではないが)のように概念の固定化を常に拒否する思想的流れが常に並行してそちらからの刺激を受け続けてきたからだと言っても良いだろう。

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2011年3月28日 (月)

菊地章太『義和団事件風雲録──ペリオの見た北京』

菊地章太『義和団事件風雲録──ペリオの見た北京』(大修館書店、2011年)

 むかし、チャールトン・へストン主演、柴五郎役で伊丹十三も出演していた「北京の55日」というオリエンタリズム丸出しのトンデモ映画があったが、あれは1900年、いわゆる義和団事件(北清事変)で北京城内東交民巷に篭城した各国公使館員の戦いを題材としていた。本書の話題はもちろんタイトル通りにこの義和団事件が中心だが、実はもう一つ別のテーマもある。敦煌文書発見をはじめとした東洋学である。どういうつながりがあるのか。接点は、フランスにおける東洋学の泰斗ポール・ペリオである。

 インドシナ考古学調査団の研究員となったぺリオはちょうど義和団事件がおこったとき、漢籍調査のため北京出張中であった。自身で目撃した事件の経過を克明に記した手帳が発見されており、本書は彼のメモを軸に、やはり事件に居合わせた服部宇之吉、柴五郎、守田利遠、ジョージ・モリソンなどの資料も活用、篭城生活の様子をドラマティックに描き出す。合わせて義和団、西太后について一般に流布されたイメージの修正も図られる。

 それにしても若き日のペリオ、敵方の軍旗を奪い取ったり、単身敵陣へとのこのこ入り込んで栄禄とお茶を飲んだり、度胸があるというのか、ワケが分からん奴というか…。実際、彼の行動は事態の収拾に役立つどころか、かえって敵方の憤激をかって猛反撃をくらってしまう結果にもなってしまったらしい。ペリオについてはもちろん文献でしか知らない。東洋学の大学者というイメージしかなかったのだが、意外と破天荒なところがあったのはちょっと驚いた。パーソナリティの一端がうかがえると、彼が残した巨大な学問的業績も、過去のひからびた化石ではなくもっとヴィヴィッドなものとして浮かび上がってくるような気すらしてきて、とても面白かった。

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松長昭『在日タタール人──歴史に翻弄されたイスラーム教徒たち』

松長昭『在日タタール人──歴史に翻弄されたイスラーム教徒たち』(東洋書店、2009年)

 近年、日本におけるイスラーム研究の蓄積は相当なものだと思われるが、その割にはかつて日本に居住していたムスリムの動向については意外と知られていない。すなわち、ロシア革命後に日本へとやって来たタタール人のことである。彼らは羅紗売りとして日本全国を歩き、農村での洋服普及に一役買ったらしい。また、在日外国人がまだ少なかった頃、映画の外国人エキストラとして出演した中にはタタール人が多かった。あるいは、井筒俊彦が最初にコーランの手ほどきを受けたのは在日タタール人からであったが、他方で戦前期の日本におけるイスラーム研究は大陸政策の一環として始められ、在日タタール人も陸軍によって政治利用された経緯がある。これがトラウマとなって戦後のイスラーム研究では目がそらされてきたとも言われている。こうした在日タタール人の歴史を本書はコンパクトに教えてくれる。

 在日タタール人コミュニティのまとめ役としてクルバンガリーとイスハキーの二人があげられるが、両者の政治スタンスは異なる。クルバンガリーは陸軍や右翼のアジア主義者の支持を得ていた一方、イスハキーは亡命タタール人のトルコ国籍取得を目指して活動していた。両者の対立が激しくなる中、イスハキーは日本政府から反日分子とみなされて日本を去ることになる。クルバンガリーは代々木の東京モスク建設などに奔走していたが、在日タタール人のまとめ役としては不適格で大陸政策の邪魔だとされて大連へと追放された。かわって海外のイスラーム社会で名の通ったイブラヒムが後釜に据えられる。大連に追放されたクルバンガリーは日本の敗戦後、ソ連軍に逮捕されて監獄に入れられてしまう。

 ソ連からの亡命者として無国籍状態にあった在日タタール人は戦後も不安定な立場にあったが、トルコ政府がようやく国籍取得を認めて1950~60年代にかけて大半が移住して行ったため、彼らの姿は日本では見られなくなった。朝鮮戦争にあたってトルコは国連軍として派兵、負傷して治療のため日本へ後送された将兵が在日タタール人と交流して彼らの要望がトルコ本国政府に伝えられたこと、トルコの朝鮮戦争参戦に対する懲罰としてソ連の指令によりブルガリア領内トルコ系民族の追放政策が行なわれ、トルコ政府が海外在住で無国籍のトルコ系住民の移住受け入れを進めたことなどの背景がある。

 なお、戦前期日本において国策としてイスラーム研究が行なわれた問題については坂本勉編著『日中戦争とイスラーム──満蒙・アジア地域における統治・懐柔政策』(慶應義塾大学出版会、2008年→こちらで取り上げた)を参照のこと。来日したアブデュルレシト・イブラヒムについては、彼の旅行記のうち日本に関する部分が『ジャポンヤ──イスラム系ロシア人の見た明治日本』(小松香織・小松久男訳、第三書館、1991年→こちらで取り上げた)として紹介されている。

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2011年3月27日 (日)

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア──なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』

レベッカ・ソルニット(高月園子訳)『災害ユートピア──なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』(亜紀書房、2010年)

 災害学の知見としては、災害に見舞われたとき人々は確かに恐怖を感じはするがパニックにはならない、むしろみんなが助かるように理性的・協力的な行動を取るケースが大半であって、社会秩序が崩壊することはないと指摘されている(例えば、広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか──災害の心理学』集英社新書、2004年)。災害によってパニックに陥るという通俗的な印象は、あくまでも映画的イマジネーションに過ぎない。今回の東北関東大震災で被災者の取った秩序立った行動は、報道を見ると海外から驚異を以て称讃されているらしいが、それは必ずしも日本に特殊なこととばかりは言えない。本書『災害ユートピア』によると、世界中のどの災害であっても相互扶助的な協力行動は現れている。

 本書では、1906年のサンフランシスコ大地震、1917年にカナダのハリファクスで発生した弾薬大爆発事故、1985年のメキシコシティ大地震、2001年9月11日のWTC崩落、2005年にニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナ、以上の五つの事例を中心に災害という異常事態の中で人々がいかに相互扶助的な自発的共同体を形成したかを考察、それを“災害ユートピア”と呼ぶ。むしろ、行政当局の側で事実誤認からパニックに陥ってしまい、被災後の問題が悪化してしまったケースの方が深刻のようだ(エリート・パニック)。

 サンフランシスコ大地震でも災害ユートピアが現れていた一方、行政当局は被災市民は必ず暴徒化するに違いないという予断をもって鎮圧の意図から軍隊を送り込んだ。緊急行動としての物資取得と火事場泥棒との区別もしないで取締りにあたり、場合によっては銃殺許可も出されたという。これは単に百年前の出来事だったと言って済ますわけにはいかない。2005年のハリケーン・カトリーナでも同様に黒人貧困層に対する偏見から人名救助活動よりも治安行動を優先、メディアも根拠の乏しい風評を拡散させてしまった。また、ブッシュ政権は9・11を口実に恣意的な政策行動を次々と発動させたことも記憶に新しい。いずれにせよ、災害そのものよりも、為政者側がもともと抱いている憶測が災害をきっかけに増幅されて政治社会的な人災をもたらしてしまった問題点が指摘される。

 日常のルーティンが完全に断絶して各個人が孤立の不安に苛まれる災害状況は、人間というのが本質的にどのような存在であるのかをうかがう一つの機会ともなり得る。社会秩序の構成単位として人間本性をどのように捉えるかは政治哲学・政治思想史の根本命題となってくるが、本書も災害を切り口としてそうした政治的論争史としての性格を併せ持っている。例えば、災害後の人間について、ホッブズ的な性悪説やル・ボン『群集心理』で指摘された非合理的なマスとして捉えるのか、それともクロポトキン『相互扶助論』で示された性善説的な協力行動に注目するのか。本書では、パニックに陥ったエリートが前者、災害ユートピアが後者として把握される。もちろんこうした整理は単純化のきらいがあるにせよ、人間存在を捉える眼差しのあり方に応じて災害への対応も異なってくる点を具体的事例を通して浮かび上がらせているところは興味深い。

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【映画】「神々と男たち」

「神々と男たち」

 地中海性気候をうかがわせる乾燥しつつも穏やかそうな風景、ゆるやかな丘陵地帯にある貧しいが牧歌的な集落。村人たちの中にフランス語を話す修道士の姿が混じっている。彼らの存在はもちろんアルジェリアにおけるフランス植民地支配の名残りとも言えるが、他方で信仰と慈善活動に身を捧げる彼らはムスリムの隣人としてコーランの教えにも注意を払っており、村人たちにとっても生活の中の分かちがたい一部となっていた。ある日、近くでクロアチア人労働者が殺害される事件が起こった。無分別なイスラム過激派の仕業である。彼らは間違いなくカトリックの修道院も標的にするはずだ。アルジェリア政府から帰国命令が通達される一方、村人たちからは一緒にいて欲しいとせがまれる。逃げるか、それとも残るのか、修道士たちの気持ちは揺れる──。

 1996年、実際に起こったイスラム過激派によるカトリック修道士殺害事件を題材とした映画である。彼らは危険を知りながらもなぜ敢えて逃げなかったのか?という問いかけから製作されたのだという。

 1962年のアルジェリア独立以来、民族解放戦線(FLN)が一貫して政権を担ってきたが、長期政権は必ず腐敗するという法則に例外はなく、人々の不満は高まっていた。民政移行を約束して総選挙が実施されたものの、政権への不満はイスラム救国戦線(FIS)の圧勝という結果をもたらし、危機感を募らせた軍部が選挙無効のクーデターを断行した。軍事政権はFISを弾圧、政府とイスラム主義勢力との対立は事実上の内戦状態へと展開してしまう。もちろん、イスラム主義=過激派というわけではない。ただ、一部の貧困青年層が軍事的劣勢をはね返そうと政府関係者に対するテロ活動を行い、外国人もまた政府支持者とみなされて標的となった。事件はこうした情勢下で起こってしまった。ただし、イスラム過激派が修道士たちを誘拐したのは事実であるにしても、軍事政権が掃討作戦中に誤って殺害してしまった、あるいは過激派内にもぐりこんだ軍事政権のエージェントが彼らの評判を落とすために仕組んだことだ、などと諸説とびかっているらしく、事件の真相はいまだに判明していない。

 映画を素直に観れば分かるように、キリスト教とイスラム教との対立をテーマとしているわけではない。修道士たちはムスリムである村人たちの友人として一緒に暮らしていたし、修道院へ最初にやって来た過激派リーダーの態度には宗教的共存への配慮もうかがわれた。それにもかかわらず、宗教を口実としてある種の暴力が増幅されてしまった構造的連関は一体何であったのかという問いはまず第一に必要であろう。

 ただし、この映画がヒューマンドラマとして本意とするのはもうちょっと違うところにあるように思われる。修道士たちは殺されるかもしれないという脅威をひしひしと感じつつも敢えて逃げなかった。良心に照らして神から与えられた自分の持ち場を離れなかった。恐怖と良心との狭間で引き裂かれそうな動揺の中で、敢えて神の意志=自由な存在としての自分自身の意志を選び取ること。後悔しながらこれからの人生を生きるのではなく、過酷な運命が待ち受けていても自らの胸奥に問うた上で確信した正しさを信じる、そのひたむきな敬虔さ。折に触れて彼らが歌う聖歌は、まさに彼らの極限の心象風景を表しているからこそ荘厳に美しく響きわたる。もしこの映画のテーマを宗教だと考えるならば、宗教対立という表面的なレベルではなく、むしろこうした胸奥の発露としてのひたむきさ、敬虔さをいかに描き出すかという意図がうかがえるところにあると言えるだろう。

【データ】
原題:Des Hommes et des Dieux
監督:グザヴィエ・ボーヴォワ
2010年/フランス/123分
(2011年3月26日、シネスイッチ銀座にて)

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