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2011年3月20日 - 2011年3月26日

2011年3月23日 (水)

北原糸子『地震の社会史──安政大地震と民衆』

北原糸子『地震の社会史──安政大地震と民衆』(講談社学術文庫、2000年)

 1855年、世界でも有数の人口過密都市であった江戸を直撃した安政大地震。多数の圧死者、焼死者を出した惨禍である一方で、この頃のかわら版に描かれた地震鯰絵にみなぎる活気、このギャップは一体何であろうかという問題意識から本書は始まる。被害の実相、安政大地震を目撃した知識人たち、江戸期における情報流通手段としてのかわら版とその担い手たちの背景、幕府・富裕市民層による救済活動などについて史料を踏まえて分析、震災というインパクトを通して見えてくる当時の社会的様相が描かれる。

 この大地震を下級武士や知識人たちが凶兆と考えたのに対し、都市の一般民衆が吉兆ととみなして震災被害という非日常を通した世直りへの期待感を示したという相違が指摘される。当時の身分制社会における抑圧からの解放感を彼らは感じ取り、これまで凝縮されていた民衆的エネルギーがこの地震鯰絵への熱狂として表出したのだという。幕府や富裕層による施しもこうした社会的構造における一つの儀礼であったと捉えられる。

 当たり前の話ではあるが、地震はそれによってインパクトを受ける社会があってはじめて災害となるのであり、その社会関係は時代ごとに独特なロジックによって組み立てられている。安政大地震が起こった当時と現代との時代的相違や人間行動の共通点を比較しながら読み進めると面白いだろう。

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2011年3月21日 (月)

ツヴェタン・トドロフ『日常礼讃──フェルメールの時代のオランダ風俗画』

ツヴェタン・トドロフ(塚本昌則訳)『日常礼讃──フェルメールの時代のオランダ風俗画』(白水社、2002年)

 サブタイトルにフェルメールの名前が特筆されているが、原著にはない。日本での知名度を考慮してのことであり、あるいはフェルメール関連の展覧会に合わせて邦訳が刊行されたのだろうか。もちろんフェルメールが17世紀オランダにおいて卓越した画家であったことは言うまでもないが、当時のオランダ画家たちに共有された眼差しの解釈を問題意識とする本書にとってはあくまでも画家たちの一人であるにすぎない。

 キリスト教世界においては宗教画がしばらくの間主流をなしていた。人々の日常的な営みが描かれなかったわけではないが、あくまでも宗教的な寓意や警句、教訓に従属した意味づけがなされるのが常であり、風俗画、風景画、静物画などが宗教的モチーフから独立したジャンルとして確立し始めたのは16世紀以降と言われる。当時のオランダ絵画では市民の肖像画や日常生活の一瞬を切り取った室内画が多く、中には恋の駆け引きから賭け事、飲酒、売春宿など決して道徳的とは言えない題材も目立つ。プロテスタント国として独立したばかりの当時のオランダの市民は宗教的・道徳的には敬虔であり、道徳性はもちろん画家たちにも共有されていた。むしろ道徳的メッセージは自明なものとされていたのと同時に、たとえ道徳的とは言い難いものであっても人間の表情や仕草そのものがはらむ情感との緊張関係によって美的表現の奥深さが表われたのだと捉えられる。

「ヨーロッパの伝統(おそらくはヨーロッパだけに限らないと思われるが)は、二元論的世界観の影響を色濃く受けている。善と悪、精神と肉体、気高い行為と卑劣な行為といった、際立った対立を用いて世界を解釈し、その一方を称賛し、他方をこきおろすという世界観である。キリスト教そのものが、あのように異端と戦ってきたのであり、この二元論的世界観に毒されるがままになってきた。オランダ絵画は、この二元論的ビジョンが打撃を受けた、われわれの歴史上珍しい一時期を提示している。絵を描いていた個人の意識において二元論が克服されていたわけでは必ずしもないが、絵それ自体のうちでは二元論は乗り越えられていた。美は卑俗な事物の彼方や、その上にあるのではなく、卑俗な事物のまさしくそのただなかにあるのであり、事物から美を抽出し、すべての人にそれを明らかにするためには眼差しを向けるだけで充分なのだ。オランダの画家たちは、束の間、ある恩寵──少しも神からやってくるものではなく、少しも神秘的なところのない恩寵──に触れられたのであり、そのおかげで物質にのしかかる呪いを払いのけ、物が存在するという事実そのものを享受し、理想と現実を相互に浸透させ、したがって人生の意味を人生そのもののなかに見いだすことができたのである。彼らは、伝統的に美しいとされる生活のある一片を、その地位を占めてもよさそうな別の一片に置き換えたのではない。彼らは生活の隅々にまで美が浸透しえることを発見したのである。」(170~171ページ)

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【映画】「台北の朝、僕は恋をする」

「台北の朝、僕は恋をする」

 台北という街の魅力は夜になってこそよく分かる、というのがこの映画の趣旨なのだろうか。

 深夜の書店でいつもフランス語の語学書を座り読みしているカイ(ジャック・ヤオ/姚淳耀)。彼のことが気になっている書店員のスージー(アンバー・クォ/郭采潔)は声をかけてみたが、彼は恋人がパリに行ってしまって落ち込んでいる様子。あとを追おうにも飛行機代すらない。知り合いの不動産屋に代金を用立ててもらったが、代わりにある“ブツ”の受け取りに行って欲しいと頼まれた。“任務”の途中、コンビニでバイト中のカオを誘い、たまたま出会ったスージーも一緒に別れの晩餐とばかりに夜市に繰り出したところ、“ブツ”を狙う不動産屋の甥の一味や犯罪がらみかと勘違いした刑事に追われるはめに──。突如訪れた非日常、夜の台北を駆け回る。

 監督のアーヴィン・チェン(陳駿霖)は中国系アメリカ人でエドワード・ヤンに師事するため台北に来た人だという。海外へと出たがる台湾の若者が多いのに対して、台北という街もなかなかオシャレですてたものじゃないよ、というのがこの映画を製作した動機らしい。話の筋立てはゆるい感じのドタバタ・ラブコメディーだが、夜の台北の光景を写し撮るカメラアングルが見所だろう。モダンな高層ビルが乱立する一方、お寺や古びた路地裏、夜市の活気、ネオンが時に怪しさすら感じられる並びも共存する街。夜明けを背景としたショットはドタバタの後だけにひときわさわやかに美しく感じられる。悲喜こもごもそれぞれの恋愛模様が織り成す息遣いを、泥臭くならずに描き出しているところは悪くない。

 最近の台湾映画ではニュウ・チェンザー監督「モンガに散る」も話題となった。モンガ=萬華は日本でたとえると浅草に相当するような下町である。映画中では台湾語が頻繁にとびかい、1980年代という時代背景の中で台湾の濃厚な土着性を強調したストーリーになっていた。同様に台北という都市を舞台にした映画でも「台北の朝、僕は恋をする」とはテイストが異なり、好対照をなすのが面白い。この二作に絡めてもう少し話を進めると、「モンガ~」では大陸系マフィアの進出に地元ヤクザが立ち向かう。「台北の朝~」では若者が欧米に行きたがる風潮が背景となっている。いずれにせよ、この小さな島国が海外との関係でアイデンティティが揺らぐ姿が浮かび上がっているとも言える。それでも愛着を覚える都市、台北。外ばかり気にしていないで、足元を見ればなかなか悪くないじゃない、そうした自然な愛着を映像のパッチワークを通じてさらりと感じさせるのがこの「台北の朝、僕は恋をする」の良いところだろう。

 製作総指揮にヴィム・ヴェンダースの名前が出ていたが、彼が小津安二郎へのオマージュとして製作した「東京画」という映画も以前にDVDで観た。笠智衆へのインタビューが印象的だったが、私自身もまだ幼くて見覚えのない1980年代の東京が映し出されていたのがちょっと面白かった覚えがある。都市の風景が醸し出す独特な情感は私が映画を観るときにいつも念頭に置くポイントだ。

 カイとスージーが出会ったのは夜中の書店。台北で24時間営業の書店といったら誠品書店敦南本店だと思うが、見た感じでは店内のレイアウトがちょっと違うような気がした。エンドクレジットには誠品書店西湖店と信義店の名前が出ていたから、二人が出会ったのが西湖店、書店内でみんなが踊っているラストシーンは信義旗艦店だろうか。なお、向こうでは立ち読みならぬ座り読みは当たり前、早朝に誠品書店敦南本店に行くと寝転がっている人を見かけることもある。

【データ】
原題:一頁台北/Au Revoir Taipei
監督・脚本:アーヴィン・チェン
製作総指揮:ヴィム・ヴェンダース
台湾・アメリカ/85分/2010年
(2011年3月20日、新宿・武蔵野館にて)

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2011年3月20日 (日)

武村雅之『地震と防災──“揺れ”の解明から耐震設計まで』

武村雅之『地震と防災──“揺れ”の解明から耐震設計まで』(中公新書、2008年)

 タイトルには防災とあるが、地震後の火災にしても津波にしても、家屋が倒壊してしまっては逃げるに逃げられない、従って災害軽減のため潰れない住家の建設が不可欠という問題意識から耐震設計の話題が中心となる。耐震設計で万全を期すには、どのような地震が発生してそれがどのようなメカニズムで作用しているのか、想定されるモデルを構築しながら数値計算によって強震度を予測することが前提となる。そのため、明治以来の地震研究の経緯にも触れながら、現時点でどこまで判明しているのかが解説される。

 地震は大まかに言って内陸型地震と海溝型地震に分けられる。前者は断層破壊→伝播性震源という形をとるが、どの活断層がすべって地震が発生するのかを事前に予測するのは難しい。対して後者はプレート境界で発生する地震である。昭和40年代以降プレートテクトニクス理論が知られるようになったが、とりわけ近年プレートすべり込みに際して固着性の強い領域(アスペリティ)とゆっくりすべり込んでいる領域とのズレがあってこのアスペリティが急激にすべり込んだ際に大きな地震が発生することが分かっている。このアスペリティ・モデルによってだいたいの震源予測はできるようになっているらしい。こちらは発生周期がおおよそ把握されており、今回の東北・関東大震災も発生周期に合致している。なお、アスペリティ・モデルについては昨年放映されたNHKスペシャル「MEGAQUAKE 巨大地震」シリーズでも取り上げられており、『MEGAQUAKE巨大地震──あなたの大切な人を守り抜くために!』(主婦と生活社、2010年)という書籍にもなっている。

 日本は地震国だからかつて木造家屋が中心だったという俗説があるが、むしろ樹木が多い風土なので単に身近な材料を使っただけと考える方が正しいらしい。日本の昔の住家は夏の蒸し暑さをしのぐため壁が少なく開放的な構造となっており、耐震設計上の工夫は見られないという。むしろエアコンの普及によって壁でしっかり区切る構造が広まり、それが耐震化を後押ししたという指摘があったのでメモしておく。

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