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2011年3月13日 - 2011年3月19日

2011年3月19日 (土)

NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命──被曝治療83日間の記録』

NHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命──被曝治療83日間の記録』(新潮文庫、2006年)

 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設JCO東海事業所、作業員がバケツを使ってウラン溶液の濾過作業を行なっていた最中に発生した臨界事故。煩瑣な作業を効率化するため現場で慣例化していた違法行為を会社側も承認して裏マニュアルまで作成されていた。核燃料加工作業に関わる危険が作業員に周知されないまま行なわれていた日常業務が核分裂反応を引き起こしてしまった。

 本書は、この臨界事故で被曝した作業員が亡くなるまで治療に取り組んだ医療チームのまさに絶望的としか言いようのなかった83日間にわたる苦闘を描き出したノンフィクションである。中性子線を浴びた患者は遺伝情報のある染色体が破壊されてしまい、細胞の再生機能が失われる。医師たちは最先端の移植技術を活用して最大限の努力をつくしたが、前例のない症状を前にしてただただ自分たちの無力さをかみしめるばかり。患者が急激に衰弱していく姿は、自分が一番苦しいはずなのに周囲への気遣いすら見せる快活な人であっただけに、言語に絶するほど痛ましい。

 現在進行中の福島第一原発の事故で放射性物質の拡散が心配されているが、中性子線をじかに浴びた東海村臨界事故とはもちろんケースは異なる。ただし、原子力安全神話が一人歩きしていた中、万一事故が起こってしまった場合に医療対策はどうするのかという視点が最初から欠如していた問題点はやはりどうしても問わざるを得ない。

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2011年3月18日 (金)

寒川旭『地震考古学──遺跡が語る地震の歴史』『地震の日本史──大地は何を語るのか』『秀吉を襲った大地震──地震考古学で戦国史を読む』

 専門の研究者でも地下のメカニズムにはいまだによく分かっていないことが多いと言われる。地震にしても、あるいは地震によって引起される津波にしても、経験則によって一定の発生周期や想定される最大限の規模がつかみ取れれば良いが、なかなか難しい。自然科学は基本的にデータ検証によって一定の法則性を導き出すという手法をとるが、我々の経験的実感レベルと地球活動レベルのタイムスパンとの間には極めて大きなギャップがあり、経験レベルの想定を超えた事態が必ず起こってしまう。日本で明治期に本格的な地震観測が始まってからまだ150年程度しか経っていない。しかしながら、例えば三陸沿岸部や仙台平野にはかつて海岸から数キロメートル離れたところまで津波が押し寄せた痕跡があるという。せめて近代以前の歴史時代、先史時代までさかのぼってデータ検証の幅を広げることはできる。その点で地震考古学というのは注目すべき分野であろう。

 寒川旭(さんがわ あきら)『地震考古学──遺跡が語る地震の歴史』(中公新書、1992年)は地震学と考古学とを結び付けて新分野を開拓した経緯を示す。古墳に見られる崩壊による変形について活断層の知見を動員することで説明できることに気付いたのがきっかけだという。液状化現象、地割れ、地すべりなど地盤災害の痕跡に着目すれば、その遺跡の層位的前後関係から地震の起こった年代を判定できるし、文献記録のある時代であれば具体的な日時まで特定できる。逆に、その地震の痕跡を基に他の遺跡の年代特定も可能である。そうしたデータを集積すれば遺跡もまたいわば考古学的な地震計としての役割を果たしてくれるわけで、大地震の発生周期もある程度まで把握することができる。

 『地震の日本史──大地は何を語るのか』(中公新書、2007年)、『秀吉を襲った大地震──地震考古学で戦国史を読む』(平凡社新書、2010年)ではこうした地震史料と文献史料とをつき合わせながら日本史が描き出される。地震という着眼点を通すと歴史的エピソードも独特なリアリティーをもって見えてくるところが興味深い。

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2011年3月17日 (木)

岸田一隆『科学コミュニケーション──理科の〈考え方〉をひらく』

岸田一隆『科学コミュニケーション──理科の〈考え方〉をひらく』(平凡社新書、2011年)

 科学で要求される抽象的な論旨思考、つきつめて言えば数式を見て納得感があるかどうか。分かる人は分かるし、分からない人は皆目分からない。端的なこのギャップをどのように埋めたらいいのか。科学のおもしろさ、素晴らしさを伝えたい、という啓蒙的イベントはよく行なわれてはいる。しかし、そうしたイベントにわざわざ足を運ぶ人はもともと科学が好きな人であって、拒否感のある人は最初から聞きになど来ないのではないか。

 別に科学を好きになってもらう必要はない。ただし、持続可能な社会をこれから作り上げていく上で科学知識は不可欠なのだから社会全体で共有していく必要があるというのが本書の出発点である。

 抽象的な数式であってもデータ検証という具体性によって裏付けられた納得感がある。しかし、そうした科学的専門知の手順を習得するには一定の訓練が必要であり、そのジャンルに関心のない人々にとっては数式で示された世界観からリアリティーを感じ取るのは難しい。そこで、情感の伴ったエピソード記憶によるヴィヴィッドなイメージがコミュニケーションの基盤となることに本書は注目、具体性をもったインプレッションによって抽象思考の苦手な人とも科学的世界観を共有できないかというところに焦点が合わされる。みんなで科学知識の必要性を認識し、それを感情レベルの共感に働きかけることで共有していこうという発想は、たとえて言うと科学知識共有の知的コミュニタリアニズムということになるだろうか。

 科学のプリズムを通した大づかみの世界観をタレント的科学者に語ってもらうのも一つの方法だと指摘される。しかし、理屈ではなく情感的共感がポイントだとするなら、そんな悠長なやり方よりも、むしろ大震災に見舞われ、想定されていなかった原発災害を目の当たりにし、ひょっとしたら放射能汚染被害が深刻になるかもしれないと現在ひしひしと感じているこの切迫感こそ、科学コミュニケーションの感情的基盤となり得るように思われてくるのが皮肉なところだ。

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2011年3月15日 (火)

吉村昭『三陸海岸大津波』

 昨年、出張で石巻へ行く機会があった。仙石線の車輌にゆっくり揺られて松島を過ぎ、海がすぐそばまで迫る光景を眺めながら、穏やかできれいな海だなあ、と思っていたまさにその海がかくも甚大な災害を及ぼすことになろうとは、ただただ茫然とするばかりだ。

 吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫、2006年)は当初、『海の壁』というタイトルで1970年に中公新書から刊行されたが、版元を変えながら版が重ねられている。これまでも明治二十九年の大津波、昭和八年の大津波、昭和三十五年のチリ地震津波、三度の大津波で膨大な人命が奪われてきた三陸海岸一帯。吉村は青森、岩手、宮城にかけて複雑に織り成されたリアス式海岸の美しい眺望にひかれてたびたび訪れ、小説の舞台にも使うほど思い入れを抱いていた。三陸海岸を歩きながら、大津波を生き残った古老から話を聞き取り、当時を記録した文書の調査をして、とにかく足で稼いでまとめられた作品である。吉村らしい堅実な筆致に説得力がある記録文学だ。存命であれば第4章を加筆せねばならなかったところであろうか。

 田老の堅牢な堤防を見てその殺伐とした姿に驚きながらも、これだけの備えをしなければいけない苦労をしのぶシーンがある。十メートルで万全とされていたが、今回の大津波ではこの大堤防も軽々と乗り越えられてしまった。場所によっては十メートルをはるかに越える高さまで波が押し寄せた可能性を記しており、波高把握の難しさの指摘が目を引く。

 当時を生き残った人々の証言は時代こそ違えども、今回の被災者の体験とまさにリアルタイムで重なり、読み進めるのは少々つらい。係累を失って呆然とし、中には発狂してしまった人の姿も描かれている。今回の大災害にあたってもPTSDへのケアがこれから重要になってくるはずだ。明治、昭和の大津波はその当時にあって前例にない規模であり、普段の経験則が通用しなかったからこそ避難が遅れ、多くの人命を失ってしまった。そうした教訓は三陸海岸の各町では十分に意識されて対策に怠りはなかった。それでも想定を超える大地震・大津波に直面してしまったが、むしろ対策があったからこそ助かった人命もあったと考えるべきであろうか。想定を超えたのは自然災害の規模だけではない。原発事故という人間自身が生み出した災害にも翻弄されているところに、過去三度の大津波とは異なったテーマが見出されてくる。

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