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2011年3月6日 - 2011年3月12日

2011年3月11日 (金)

山形孝夫『レバノンの白い山──古代地中海の神々』

山形孝夫『レバノンの白い山──古代地中海の神々』(未来社、1976年)

 古代地中海・ヘレニズム世界に登場したキリスト教、その背景をなす古代以来の「異教」的世界の痕跡を聖書説話の中に見出しながらキリスト教成立の背景を探る論考。福音書にはイエスが人々の病気を治すエピソードが多く見られる。当時、エシュムン神、アスクレピオスなどの治癒神信仰がヘレニズム世界に広まっており、これらの信仰を駆逐しながらキリスト教は拡大・浸透、その競合過程を通して治癒神、再生の神としてのイメージがイエス像にも反映されたのではないかという。著者の名著『聖書の起源』(講談社現代新書、1976年/ちくま学芸文庫、2010年)で示された議論の1つである。

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仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』

仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書、2009年)

 ハンナ・アーレントの主要著作を参照しながら議論が進められるので彼女の思想の入門書として読めるが、むしろアーレントを踏み台にしながらいま我々が生きている社会における「公共性」を問い直していこうという趣旨。何気なく手に取ったのだが、著者の問題意識がアーレントの提示した論点とうまくかみ合っていてなかなか良い本だと思う。

 孤独・アトム化した不安に耐え切れない人々を単一の世界観にまとめ上げ、それとは異なる立場もあり得ること(複数性)をつぶしていく動きとして全体主義は捉えられる。これはアーレントが目の当たりにした20世紀前半の出来事ばかりではなく、現代でもあり得ることなのではないか。右派であれ、左派であれ、ある種のこわばった政治的言説が自らの立場を正当化するため、どこかに陰謀論的に「敵」を設定、そいつのせいだ!と言って世論を一つにまとめ上げようとする。こうした「敵」イメージの見えやすさが、著者の言う「分かりやすさ」である。いわゆる「理由なき殺人事件」を目にした識者が「若者の閉塞感」「心の闇」といったコメントをしたが、これに対して「公的領域」を成り立たせる「人格=仮面」の議論を踏まえながら、「心の闇」なんてのは誰にだってある、むしろ「自分にもそうした心の闇があるかもしれない」「共感する」「理解できる」と安易に公言する人々が現れたことを、公/私の揺らぎ、公共圏の不全として捉える観点に興味を持った。

 声高に政治的主張をすることが「政治」なのではなく、自分とは異なる立場もあり得ることを常に留意しながら互いにコミュニケーションしていくところに「政治」の本質を見出そうとするのが基本的なポイントだろう。アーレントに多少なりとも関心を持つ人にとっては当たり前のことで、むしろこうした考え方に触れて欲しい人は最初から本書を手に取らないであろうことが難しいところだ。

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2011年3月 9日 (水)

白石仁章『諜報の天才 杉原千畝』

白石仁章『諜報の天才 杉原千畝』(新潮選書、2011年)

 ナチスによる迫害を逃れてきたユダヤ人難民たち、行き場のない彼らに対して当時リトアニアのカウナス領事館に在勤中だった杉原千畝が本省の意向に反してまでヴィザを発行し続けたことは、あの狂気の時代に輝くヒューマニスティックなエピソードとしてよく語られる。だが、本書が注目するのはむしろインテリジェンス・オフィサーとしての杉原の活躍ぶりだ。

 ハルピン学院でロシア語を学び、旧満洲国で外交官としてのキャリアを本格的に始めた彼はもともと対ソ連諜報活動の専門家として養成されていたが、ソ連赴任に際してペルソナ・ノングラータとして拒絶されてしまった。1939年、対ソ諜報活動の拠点として重視されたバルト三国の1つ、リトアニアのカウナスへ副領事として赴任。当初は二軍的な立場だったらしいが、やがて最も困難な役回りを果すことになる。

 杉原のカウナス着任とほぼ時を同じくして独ソ不可侵条約が結ばれ、間もなく第二次世界大戦が勃発。ヒトラーと秘密協定を結んでいたスターリンは1940年6月、リトアニアへソ連軍を進駐させた。7月には弾圧が厳しくなって日本領事館に難民が押し寄せ、8月に併合、カウナスの日本領事館は対ソ諜報活動の拠点であったことは明白なので存続は許されず、9月に杉原は退去せざるを得なくなる。いわゆる「命のヴィザ」が発給されたのはこの時である。彼はナチス・ドイツの脅威を意識したよりも、むしろ間近に迫ったソ連のバルト三国併合を見越してヴィザを出したのではないかと指摘される。本省は現場の情勢に疎いので簡単に許可するわけがない。しかし、彼らを見捨てることは日本の将来の国益にならないと杉原は判断する。大量のヴィザ発給にあたって本省からの嫌疑を避けるため色々とアリバイ工作をやっていたあたり、彼のインテリジェンス・オフィサーとしての面目躍如たるものがうかがわれる。

 なお、リトアニアの首都というとヴィリニュスが思い浮かぶが、ここは当時国境紛争でポーランド支配下にあり、カウナスが臨時首都とされていた。1939年のポーランド分割の際にソ連がヴィリニュスをリトアニアへ返還するが、翌年にリトアニアを併合する意図をもってのことであったことは言うまでもない。ヴィリニュスがポーランド領からリトアニア領へと帰属変更されるわずかの期間にポーランドにいたユダヤ人難民が国境線変更を見越して殺到、リトアニア領になった後、杉原のヴィザを受け取った者も少なくないらしい。

 杉原はカウナスを退去した後、プラハやケーニヒスベルクへ着任し、ポーランド情報組織とも連携しながら情報収集に従事。独ソ開戦の可能性を逸早く察知して情報を本省に上げたが、活用されることはなかった。それどころか、ドイツ側から警戒されたためルーマニアへとばされてしまった。

 「命のヴィザ」のエピソードはもちろん美談ではあるが、それは単に主観的なヒューマニズムだけでなし得たことではない。この背景をなしている、1930~40年代というキナ臭い時期における諜報戦の一端が杉原という具体的な個人を通して描き出されているところが興味深い。

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アンドレイ・ランコフ『スターリンから金日成へ──北朝鮮国家の形成 1945~1960年』

アンドレイ・ランコフ(下斗米伸夫・石井知章訳)『スターリンから金日成へ──北朝鮮国家の形成 1945~1960年』(法政大学出版局、2011年)

 金日成はソ連によってピックアップされて北朝鮮へ送り込まれ、権力者の地位に据えられたことはよく知られている。北朝鮮政治体制の基本要素はソ連型スターリニズムの輸入であり、1950年代は完全な衛星国家であったと本書は捉えている。建国当初、国内(南朝鮮)派、ソ連派、延安派、そして金日成のゲリラ派という4つの分派があったが、金日成は熾烈な権力闘争を勝ち抜いて1960年代までに権力を完全掌握、中ソ対立、ソ連における非スターリン化といった動向の中でソ連とは距離を置き始め、主体思想が本格化、以降、独特な民族的スターリニズム体制が確立したと指摘される。なお、金日成個人崇拝に対して反対派も巻き返しを図ったが、つぶされた(1956年の八月事件)。このときに反対派はソ連・中国の大使館と連絡を取っていたらしいが史料は未公開だという。他方、金日成体制は経済運営には失敗、1980年までには実質的に停滞し、情報封鎖とイデオロギー統制によって強引な国内支配を進めることになる。

 ソ連系朝鮮人の動向に注目しているのが本書の特色である。朝鮮半島からソ連領へ逃げ込んだ人々は「日本帝国主義のスパイ」と疑われて粛清されたため、いわゆるソ連派は朝鮮半島に足を踏み入れたことのなかったソ連生まれが中心だったという。他の3派とは異なり、彼らはソ連で行政的な実務経験を持つ唯一のグループであったため、北朝鮮の党・国家機構の整備に当たり大きな役割を果たした。

 とりわけ注目されるのが許哥誼(ホガイ、アレクセイ・イワノヴィッチ・ヘガイ)である。彼は1908年、ハバロフスク生まれ。朝鮮名はなく、許哥誼というのは当て字である。当時、ロシア領内朝鮮人の多くはボルシェヴィキ支持で、彼も1924年にコムソモールに参加、さらに共産党幹部となった。中央アジアへ強制移住させられたが、1937年に名誉回復、党務に復帰。1945年に北朝鮮に送り込まれて共産党組織の立ち上げに従事、南北労働党合併後は第一書記として事実上のナンバー・ツーになる。南労党系の朴憲永とも関係は良好だった。当然ながら金日成の猜疑心を招き、告発されて1953年に「自殺」したとされる。真相は分かっておらず、殺害された可能性が高い。

 著者のアンドレイ・ランコフは1984年にソ連から交換留学生として金日成総合大学に留学、その後はレニングラード大学、オーストラリア国立大学、韓国の国民大学で教鞭をとっており、北朝鮮・韓国双方の国内事情を知悉した上で北朝鮮事情を分析できるというポジションの研究者である。邦訳されている『民衆の北朝鮮──知られざる日常生活』(鳥居英晴訳、花伝社、2009年)は留学時の見聞も踏まえながら日常生活から政治・経済システムまで網羅した現代北朝鮮概論となっている。北朝鮮の現体制が経済自由化を進めたらその時点で体制崩壊が起こるだろう、従ってそのことに気づいている現体制トップは一般庶民の苦しみを無視するからこそ支配体制は安定しているという逆説を指摘、今後の見通しについては悲観的である。

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2011年3月 8日 (火)

曽野綾子編著『聖パウロの世界をゆく』

曽野綾子編著『聖パウロの世界をゆく』(講談社、1985年)

 古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(現在はトルコのタルスス)に生まれたユダヤ人パウロは当初キリスト教を迫害していたが、いわゆるダマスコの回心以降、熱心なキリスト教徒として布教に専心、キリスト教拡大の一番の立役者となった。本書は、彼が伝道の旅路で歩んだ地中海沿岸の遺跡を訪ねて回る紀行である。カトリック信徒たる曽野綾子が中心となり、新約聖書学の堀田雄康、旧約聖書学の石田友雄、オリエント考古学の小川英雄、エジプト考古学の吉村作治の討論によってパウロが見たであろう光景とその時代背景とを浮かび上がらせていく。

 団長たる曽野綾子の文章には信仰告白的な色彩が濃いが、続く討論記録では信徒ではない立場からのアカデミックな指摘がぶつけられる。例えば、曽野は古代ローマ時代における都市遺構からうかがえる繁栄ぶりについて都市文化は立派であっても精神的虚しさをパウロは見ていたのではないかと言う。これに対して小川は歴史学・考古学の立場から異議を唱え、信徒である古代キリスト教史学者がキリスト教の正しさを立証するという観点から古代文明の豊かさを後代の後智恵でことさらにくさす傾向があるが学問的にはあまり良くないと指摘する。両者の立場の相違が建設的な議論となっているところが面白い。

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岡田温司『マグダラのマリア──エロスとアガペーの聖女』『処女懐胎──描かれた「奇跡」と「聖家族」』『キリストの身体──血と肉と愛の傷』

 キリスト教でいう“受肉”とは、見えざる宗教的真実がキリストという人間の形を取ってこの世で可視化されたものだとされている。しかしながら、形を持つとは無限なものを有限へと狭めることであって、聖なるもの、究極的に至高な神的存在を、絵画なり、彫刻なり、明瞭な形を持つ造型によって果たして表現し得るものなのだろうか。ここには本来的に矛盾があるわけだが、むしろ矛盾であるがゆえに何がしかの納得を求めて様々にヴァリエーションを伴った宗教芸術がたゆまず作られ続けてきたと言えるのだろうか。

 岡田温司『マグダラのマリア──エロスとアガペーの聖女』(中公新書、2005年)、『処女懐胎──描かれた「奇跡」と「聖家族」』(中公新書、2007年)、『キリストの身体──血と肉と愛の傷』(中公新書、2009年)の「キリスト教図像学三部作」は、西欧キリスト教絵画における図像学的系譜を一つ一つ解析しながら、それらの背景に込められた意味合いを検証していく。

 悔い改めた聖なる娼婦、マグダラのマリア。聖母マリアの処女懐胎とは素朴に生物学的な意味で不可思議であるが、であるがゆえに「無原罪」、「~がない」という形には取りえないものの定式化。そして磔刑像、聖遺物、何らかの手掛かりによってイエスとの共感を求めようとしてきた数々のイメージ。様々な聖画像の中にはもともと新約聖書に記述がなく、後の歴史的解釈によってふくらまされたものもあるらしい。こうした芸術的造型は単に教義上の要請から作られたのではなく、社会的現実における葛藤の中からそれぞれの時代における人々の思いが反映されており、それはさらに後代には芸術的イマジネーションの源泉として受け継がれていった。こうした流れを大きく捉え返していくと、造型イメージを通したヨーロッパ精神史の一つのスケッチとして浮かび上がってくるところが興味深い。

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【映画】「ブンミおじさんの森」

「ブンミおじさんの森」

 タイ北東部で農場を営むブンミは腎臓を患っており、毎日人工透析を受けなければ生きていけない。死期もいずれ近づいていると自覚していたある日、彼のもとに訪れた異形の者たち──19年前に亡くなったはずの妻の幽霊と、行方不明となっていたが猿の精霊に姿を変えた息子。驚くブンミたち、しかしすぐに彼らの存在を自然なものとして受け容れるところにこの映画に通底する価値観が表われている。

 唐突かもしれないが、私はこの映画を観ながら、中学生のころ初めて柳田國男『遠野物語』を読んだときの不思議なドキドキ感を何となく思い出していた。近代に入って灯りが暗闇を生活世界から駆逐してしまう前、まだ異界が身近なところに感じられていた時代、暗闇の向こうにあるであろう未知なる何かへの畏敬の念があった。そこには恐ろしいものが棲息すると同時に、亡くなった人も未知なるどこかにいるのではないかという安心感もあった。同じ地平にいるのだからいつかまた会えるだろうという安らぎの気持ち。この世と異界とに境界線がない、さらに言えば、一木一草、生きとし生けるものすべてが一如につながっている感覚。幽霊も精霊も、この映画に登場するすべてが、ひょっとしたら自分がそうであったかもしれない可能性を示している。それはアニミズムとも言えるし、この映画では仏教的な輪廻転生として描かれている。死に対して若干の不安も感じていたブンミは亡き妻との語らいの後、親しい者たちと共に森の中の洞窟へと向かって穏やかに死を受け容れていく。

 タイ映画として初めてカンヌのパルムドールを受賞した作品である。ブンミおじさんの話は、監督が故郷であるタイ東北部の寺院を訪れた際に教えてもらった実話に基づいてアレンジしているらしい。それだけでなく、ラオスから国境を越えて出稼ぎに来た労働者の存在、かつてタイ国軍による共産主義者狩りに従事して人を殺した体験の告白など、社会的背景も織り込まれている。どこに着眼点を置くかによって各自なりの解釈をしていく余地があるだろう。

【データ】
監督・脚本:アビチャッポン・ウィーラセタクン
2010年/タイ、イギリス、ドイツ、フランス、スペイン/114分
(2011年3月6日、渋谷、シネマライズにて)

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2011年3月 7日 (月)

【映画】「再生の朝に──ある裁判官の選択」

「再生の朝に──ある裁判官の選択」

 裁判官のティエンは交通事故で娘を失った。犯人は捕まっておらず、彼の判決に恨みを抱いた者による仕業ではないかとささやかれている。事故以来妻とはほとんど口をきいておらず、気力をなくして機械的に淡々と事務をこなすだけの毎日。娘が通っていた中学校を見に行くと慶祝香港復帰の垂れ幕があるので、1997年を時代背景としたストーリーであることが分かる。

 ティエンが担当した裁判で問題が持ち上がった。自動車2台の窃盗は旧刑法では死刑となる。ところが、これは貨幣価値が格段に低かった時代の基準であって現状での適用には無理があるし、間もなく施行される新刑法の基準では死刑はあり得ない。ちょうど司法制度の転換期の最中、微妙な判断が求められている。官僚組織の一員として一番無難な答えは、これまでのしきたりに従うこと。ことなかれ主義のティエンは旧刑法の基準を機械的に適用して死刑の判決を下すことによって難しい判断を回避しようとした。しかし、家庭の問題で懊悩する中、自身の判断が果して正しかったのか、考え直し始める。

 法と現状との乖離、司法判断の硬直化、ワイロ・人脈などで裁判所に圧力がかかる可能性、死刑の多さ、死刑囚の臓器売買──現代中国における司法をめぐる非常にナーバスな問題の様々なポイントに目配りされている。裁判官個人の良心に期待するなど微温的な描き方という気もするが、中国国内で合法的に製作した映画としてはこれがギリギリのラインだったのだろうという苦労はうかがえる。死刑判決を受けた者の獄中生活は描かれるものの、彼がなぜ窃盗をするに至ったのかという背景には触れられていない。そこを描き始めると芋づる式に様々な社会問題がさらに現われてくるはずだ。彼の生活史的背景が全く描かれていないことを裏返すと、そこは観客自身の考えで読み込んで欲しいということであろうか。

【データ】
原題:透析JUDGE
監督:劉杰
2009年/中国/98分
(2011年3月6日、渋谷、シアター・イメージフォーラムにて)

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2011年3月 6日 (日)

【展覧会】「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」

「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」

 ドイツ・フランクフルトにあるシュテーデル美術館が改築工事に入り、その間ならばという条件で日本での作品展示が認められたという経緯があるらしい。展覧会タイトルにあるように目玉作品はフェルメールの《地理学者》だが、これ一作のみ。フェルメール来日!と銘打った美術展では必ず同時代オランダ、フランドルの画家たちの作品を並べて水増し(なんて言うと言葉が悪いが…)されるが、今回も同様。無論、フェルメール作品は稀少である上に各地の美術館に散在しているから一括展示なんて極めて困難だから仕方がないし、それに他の展示作品だってなかなか悪くないし。

 一点豪華主義の《地理学者》だが、そのモチーフ解説には工夫が凝らされている。同じ頃に製作された地球儀、地図、コンパス、定規なども合わせて展示、具体的なイメージが湧く。作中人物が身にまとっている青いローブは日本風の着物であることは初めて知った。いずれにせよ、海洋交易国家として世界進出を目指していた当時のオランダならではの世界認識のあり方がこの作品から浮かび上がってくる。このように《地理学者》で示された対外志向を念頭に置きながら他の同時代の画家たちの描いた都市や田園風景などでの人々のたたずまいも見ていくと、当時におけるオランダという国における市民生活のイメージを一体のものとして髣髴とさせて私には面白かった。

 もともとキリスト教絵画では人物画が中心で風景はその背景に過ぎなかったが、風景画そのものが一つのジャンルとして確立されているのはネーデルラント絵画の特色でもあるらしい。アールト・ファン・デル・ネール「漁船のある夜の運河」「月明かりに照らされた船のある川」などに見られる月が放つ淡い光、それからアールベルト・カイプ「牧草地の羊の群れ」に見られる奥行きのある草原の上方にたなびく雲が好きだな。光の淡い描写が空間と静けさとを調和させていると言ったらいいだろうか、印象的に感じた。都市文化の発展に伴って室内画というジャンルが確立したことの社会史的背景は、フェルメール関連の展覧会を見るたびにいつも気になっているところだ。
(渋谷、Bunkamuraザ・ミュージアム、2011年5月22日まで開催)

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