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2011年12月13日 (火)

吉村昭『海の史劇』

 NHKドラマ「坂の上の雲」もようやく二〇三高地を占拠、ロシアの旅順艦隊を壊滅させ、クライマックスの日本海海戦ももう間もなく…という中で、ふと思い立ち、吉村昭『海の史劇』(新潮文庫、改版、1981年)を手に取った。

 司馬遼太郎『坂の上の雲』(文春文庫)は私自身好きな作品で、初めて読んだ中学生の頃から何度か読み返している。この作品がうまいなあ、と思うのは秋山好古・真之と正岡子規という同郷の幼馴染三人を主軸に据えた着眼点。第一に、彼ら及びその人物的連関を幅広くたどっていくことで政治・軍事から文学まで明治という時代のあり方を横断的に見ていけること。それはすなわち、欧米由来の「近代」文明に向かって各々がどのように対峙したのかという問いと密接に結びついている。第二に、松山という四国の一隅の出身者に過ぎない彼ら三人がいかに国家的事業のメインストリームに絡まっていくのか、その「出世」は別の地域の出身者にも別様な形であり得たことも当然に含意されており、総体として「国民」形成の「物語」ともなっている。他方で、「近代」とは? 「明治国家」とは? このように大上段に振りかぶった問題意識で一貫した司馬の語り口は時に饒舌でもあり、(司馬自身の意図とは関わりなく)「○○史観」というテーゼにまとめたがる人々も後に生み出されてくることになる。

 同様に日露戦争を題材としつつも、司馬の『坂の上の雲』が近代日本という「大きな物語」を描き出す語り口に読み手を引きずり込んでいく力があるとすれば、吉村の『海の史劇』はむしろ出来事の記録的叙述に徹した堅実な筆致に特徴がある。もちろん史料の取捨選択という点で史実そのものの描写などあり得ないのは歴史学のイロハではあるが、具体的な事実関係を並べながら当事者の焦りや葛藤を浮き彫りにしていく手法は、吉村の禁欲的に抑えた筆致と相俟って戦争のプロセス全体として張りつめていた緊張感をいやが上でも高めていく。

 『海の史劇』の主役はロシアのバルチック艦隊(正確にはバルチック艦隊を改編した第二・第三太平洋艦隊)であるが、人物的に強いて挙げるとすれば艦隊司令長官のロジェストヴェンスキー提督ということになろうか。三十数隻もの大艦隊を引き連れてバルト海を出航、アフリカ南端を回ってインド洋を横切り、極東までの遥かなる航路は当時の技術水準でも非常な難事に属する。その上、日英同盟に従って日本を支援する世界第一の海軍大国・イギリスの妨害にたびたび悩まされて補給もままならず、日本の水雷艇が奇襲攻撃を仕掛けてくるのではないかと脅え続けていた。ロシア本国からの指令は見当はずれ、旅順艦隊全滅の報に士気は下がる一方…。日本海海戦における日本海軍の圧倒的戦勝は軍事史的に見て例のないものであり、その華々しさに目を奪われがちではあるが、敗れたバルチック艦隊も相当な困難を切り抜けてきたこともやはり特筆しておかねばならない(もちろん、その困難は『坂の上の雲』でもきちんと描かれていることは付記しておく)。

 戦争という大きな事件に絡めとられた一人一人の姿、その人間のドラマを事実関係の具体的な描写を通して掘り起こしていこうとするところが吉村の記録文学の持つ魅力であろう。例えば、バルチック艦隊がたどり着いた先の決戦で瞬く間に壊滅してしまうのは悲劇であるが、その悲劇の中でも死を決して勇戦するロシア将兵たちの姿が描かれる。彼らの勇敢さに敬意を表し、何とか助け出そうとする日本側将兵の姿もあった。そういえば、日本側の国際法規遵守という以上の礼儀正しさが昭和期に入って失われてしまったのはなぜかという問いは、司馬が『坂の上の雲』の執筆に着手した動機の一つであった。

 『海の史劇』では日露戦争後における後日譚の叙述は簡潔に進む。ロシア側にはまだ余力がある一方、日本は財政・兵力ともギリギリの戦いを強いられており、譲歩してでも戦勝を契機にただちに講和へと結びつける切迫した必要があった。他方で、日本軍の連戦連勝の報道は国内の民衆を沸き立たせており、彼らにとって日本の譲歩など思いもよらない。講和方針を示した政府に対して民衆は激昂し、焼き討ち事件が起こる。日露の国力差を冷静に認識して講和を進めようとする政府と対外硬の国民世論とのギャップ、それを横目で睨みながら苦渋の外交交渉に臨む小村寿太郎の奮闘は、『ポーツマスの旗』(新潮文庫、1983年)で描かれる。

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