【映画】「サラの鍵」
「サラの鍵」
パリに古くから暮らす一家へ嫁いできたアメリカ人女性のジュリアは雑誌記者をしている。戦争中、ヴェルディヴ(冬季競輪場)で起こった出来事について記事に書くつもりで取材していたところ、そういえば夫の一家が現在のアパルトマンに移ってきたのはまさにここで「事件」が起こっていた時期だったことに思い当たる。当時、子供だった義父は何か事情を知っている様子だが、口が堅い。ジュリアの取材は家族の過去を振り返ることと結びついていく。
ヴェルディヴではいったい何が起こったのか。1942年7月、ドイツ軍占領下のパリで1万3千人のユダヤ系住民が一斉検挙された。衛生状態の悪いヴェルディヴに収容され、4千人の子供たちは親から引き離されて、別々になったみんながアウシュヴィッツへと送られた。ナチスの圧力があったからとはいえ、この検挙・移送を実際に立案・実行したのはフランス政府と警察であり、パリ市民の多くは無関心を装ったことはフランス現代史の大きなタブーとなってきた。ジュリアの夫の実家は、この時に連行されたユダヤ人一家が残した空き室に引っ越してきたのであった。
この映画はジュリアと少女時代のサラ、二人の視点を交錯させて現在と過去とを対比させながら進行するが、サラが後半生をどのような思いで生きたのかは明示されない。ヴェルディヴで起こった出来事が第一のテーマとするなら、戦後も複雑な思いを抱えて生きねばならなかったサラの後半生はどのようなものだったのか、そこへの関心が第二のテーマとなる。
収容施設から逃げ出した少女サラは、匿ってくれた農家の夫婦の助けもあって自分の家だったアパルトマンへと急ぐ。警察に連行されたとき、とっさの判断で納戸に隠した弟が気がかりだったからだが、彼の死を目の当たりにし、両親をも失った彼女のその後の人生は決して幸せなものとはならなかった。自分だけ生き残ったことへのわだかまりが強すぎたのか、欝症状を悪化させていた。サラはユダヤ人としての自らの来歴を隠したため、息子も彼女の本当の人生を知らなかった。
ジュリアの夫の実家にせよ、サラの息子にせよ、歴史的なタブーから目を背けることでその後の家族生活の安定が図られていた。しかし、タブーを敢えて直視することで、家族関係がギクシャクしそうにもなったが、やがて新たな関係を結び直していくことにつながる。これは単に家族の問題というばかりでなく、社会的レベルにおいて公的に語られてきた歴史を脱構築していくプロセスが重ね描きされていると言える。身近に手助けしてくれる人がいても、自らの心の中に一人抱え込んだものがあまりにも大きすぎて手助けを受け止めることすらできずに死んでいったサラ、そういった心情にはどのようにして想いをこらすことができるのか。このように大文字の歴史として語られる中ではかき消されてしまう一人ひとりへの慮りへとつながっていかねばならないのだろう。
【データ】
監督・脚本:ジル・パケ=ブレネール
原作:タチアナ・ド・ロネ(高見浩訳)『サラの鍵』新潮社、2010年
2010年/フランス/111分
(2011年12月22日、銀座テアトルシネマにて)
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