渡邉義浩『関羽──神になった「三国志」の英雄』、冨谷至『中国義人伝──節義に殉ず』
三国志の中でも関羽がとりわけ「義人」として人気が高いのはなぜか? そうした問いに答えようとするのが、渡邉義浩『関羽──神になった「三国志」の英雄』(筑摩叢書、2011年)である。もちろん関羽は当初からそれなりにポピュラーではあっても、あくまでも三国志の英雄たちの中の一人という扱いに過ぎなかった。ところが、関羽の出身地は塩の産地であり、そこは塩の交易をもとに活躍した山西商人ゆかりの土地でもあったため、彼らがまず郷里の英雄として関羽を崇め始める。後代の宋や清の時代、商人への課税は軍事費を賄う上で重要な収入源であったため、商人たちの崇める者をおろそかには出来なかった。それ以上に、商人のネットワークが広がっていく中、遠隔地において商売を進める上で信頼感=義を確証することが必要になってくるが、その義を誓う場所として神格化された郷里の英雄を祀った関帝廟が位置づけられることになる。単に関羽の描き方の変遷をたどるだけでなく、関羽イメージに表された「義」の感覚が一定の社会的機能を果たしていたのが見えてきて興味深い。
冨谷至『中国義人伝──節義に殉ず』(中公新書、2011年)が取り上げるのは、漢代の蘇武、唐代の顔真卿、宋代の文天祥。各々の時代相において逆境の中でも不屈の意志を貫き通した人物像を描く。中国的な感覚や論理におけるノブレス・オブリージュの具体例といったところか。文天祥について、科挙をトップでパスしたエリート(状元)であるが、他方で宋が敗れたという現実の中でも立て板に水の如く正論を吐き続ける彼の言葉には、元に投降した人々のやむを得ない事情を一切認めない硬さが表れており、こうした原理原則主義は受験秀才にありがちな生硬さという指摘に興味を持った。いずれにせよ、三者三様の形で、時代的価値観の中で人物的に具現化した「義」の感覚を本書は示してくれる。
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