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2011年12月13日 (火)

武田雅哉『万里の長城は月から見えるの?』

武田雅哉『万里の長城は月から見えるの?』(講談社、2011年)

 万里の長城は月から見える──長城を紹介するときに枕詞のように使われるこの言い回し、そう言えば私自身の頭の中でも自然に馴染んでいた。しかし、いくら距離的には長大だからと言って、あの程度の幅しかないものが本当に月から見えるのか…?なんて疑ったことはありません。と言うよりも、どうでもいいじゃん、そんなこと。

 結論から言おう。もちろん、月から見えるわけがない。ふーん、あっそ、では済まされないのは中国です。何しろ、中華文明の沽券に関わる重大疑惑ですから。神舟6号に乗って見下ろした中国人宇宙飛行士が「万里の長城は見えなかった」と発言したのが論争の始まり。小学生向け教科書に掲載された長城礼賛の詩文にも「月から見える」というフレーズがあり、子供にウソを教えてもいいのか!と「教科書問題」にまで発展。いやはや、シャレでした、って笑い飛ばすわけにはいかんのか。

 では、そもそもこんな言い回しが定着したのは一体どうしたわけなのか、そこを探究するのが本書のテーマ。要するに、欧米の旅行者が中華文明のエキゾティシズムを誇張するために用いたリリカルな表現が、いつの間にか「真実」へとすり替わってしまったということらしい。いったん定着した自尊心はなかなか撤回できないものです。

 いつもながらにユニークな(キワモノ的な?)テーマで中国関連の古文献や図像類を渉猟するのが得意な著者の腕の見せ所(例えば、『翔べ!大清帝国』[リブロポート、1988年]、『猪八戒の大冒険』[三省堂、1995年]、『よいこの文化大革命』[廣済堂出版、2003年]とか面白かった)。万里の長城が月から見えようが見えまいがどうでもいいけど、そのどうでもいいテーマをグイグイ引き延ばして一つの中国文化論にまで仕立て上げてしまった手際の良さには感心。

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