山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる──地の底の人生記録』
山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる──地の底の人生記録』(講談社、新装版、2011年)
山本作兵衛翁といったら知る人ぞ知る人物だろうか。青年期からずっと炭鉱で働き続けていたが、年を取り仕事をやめた後になって、子供の頃に好きだった絵筆を五十数年ぶりに再び取り、エネルギー需要の変化から閉山が相次ぐ中、忘却のかなたへ追いやられかねない炭鉱の人々のありし日の生活の姿をつづり始めた。本書はもともと1967年に世に出ていたが、今年(2011年)の5月、彼の残した絵やノートが「世界記憶遺産」に指定されたことから新装版として刊行されたようだ。上野英信や森崎和江などの本で山本翁のことは知っていたし、絵も色々と目にしてはいたが、まとめて見たのはこれが初めてかもしれない。
炭鉱における作業の具体的な手順や生活上のしきたりがヴィジュアル的に分かりやすく、社会史や民俗学の資料として貴重だということが第一に言える。ただ、そんな当たり前のことを今さら言っても仕方がない。この絵を一目見てそのまま見入ってしまう不思議な力は何なのだろうか。
炭鉱は町から離れている上、炭鉱会社から厳しい管理を受けており、ある意味で外界から全く隔絶された生活世界を持っていた。余所者にはなかなかうかがい知れぬ独特な呼吸、貧困から逃げ出すことのできない絶望感、そして実際にヤマにもぐっていつ事故で死ぬか分からない運命感、こういったものは当事者でなければ分からない。極端な話、山本翁という画文の才質を持った人が現れたからこそこの世界を垣間見ることができたわけで、ひょっとしたらそのまま世に知られぬことがないまま消え去ってしまったかもしれない生活史。そこには割り切りがたい様々な想いがあったし、このまま忘れ去られてしまわないよう記録しておきたいという切迫感が山本翁にはあった。その画文を通して見えてくるものは、異なる時代に生きる自分にとって全く未知な異界を覗き見るような感じに不思議な興奮を感じさせることだ。同時に記録が残されることなく忘れ去られていったあまたの生活史があったであろうことに想到し、我々が「歴史」として知っているつもりのものの矮小さに改めて驚きを感じる。
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