小島毅『近代日本の陽明学』
小島毅『近代日本の陽明学』(講談社選書メチエ、2006年)
・中国哲学における学的展開としての陽明学と、近代日本である種の政治的行動主義として現われた陽明学、両者が違うのはもちろんそうなのだが、近代日本というコンテクストの中で見えてくるものは何か? 中国哲学を専門とする研究者による近代日本思想史の読み直し。カギは、「こちたき理屈」に我慢ならない「善意の人々」の暴走という悲劇。
・例えば、大塩中斎(平八郎)の考えでは、倫理的規範を外界に求めるのではなく、自身の内なる自然の働き=「良知」に気づき、それを十全に発揮させるところに学問の意義。
・江戸時代における公式の学問としての朱子学→理屈ばった教義に疑問を感ずる→煩悶しながら自分独自の考え方を模索→そんな折に陽明学と出会って「これだ!」と感激→学問として学んだから陽明学に向かったのではなく、むしろ自分自身の「陽明学」的心性に反応する形で陽明学の教説を受容していく、というパターンが繰り返された。理屈ではなくメンタリティーの問題なので、極論すると動機さえ純粋であれば何でもあり。
・後世になると、「体制派=朱子学、反体制改革派=陽明学」という図式でレッテル貼り。
・水戸学と陽明学との気質的同質性。戦後の靖国問題などにもつながるある種の「語り」は、水戸学の大義名分論と日本陽明学の純粋動機主義とが結合した産物。
・内村鑑三や新渡戸稲造など明治期キリスト者の王陽明への関心→天理を外的規範に求めるのではなく内心にある良知に従って生きる教えとしてイエスの人格への共感、キリスト教を受容。この点で彼らにも朱子学→陽明学への転換と同質の傾向。
・幸徳秋水の「志士仁人の社会主義」だって陽明学的→大逆事件にあたり、陽明学も危険思想だと言われかねない中、井上哲次郎は「自分の頭で考えた末の国体護持主義」として陽明学を位置づけ→こうした「白い陽明学」に対して、革命の理想に燃える人々の「赤い陽明学」。
・志士仁人が「ディオニュソス的」な陽明学だとするなら、三島由紀夫は実は「アポロン的」だったのではないか、と指摘。
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