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2011年11月27日 (日)

速水融『江戸の農民生活史──宗門改帳にみる濃尾の一農村』『歴史人口学で見た日本』『歴史人口学の世界』、速見融・小嶋美代子『大正デモグラフィ──歴史人口学で見た狭間の時代』

 速水融『江戸の農民生活史──宗門改帳にみる濃尾の一農村』(NHKブックス、1988年)は、江戸時代のある農村(濃尾平野の西条村)における宗門改帳を史料として人口統計を作成、歴史人口学的な研究の進め方を具体的に紹介しながら、単に人口の増減というレベルではなく、人々のライフサイクル、通婚や労働移動など江戸時代における様々な庶民生活のライフヒストリーを描き出す。トップダウンではなく、ボトムアップの視点で歴史を描く試み。ただし、宗門改帳は地域によって整備のされ方が異なるので、全国的な比較は難しいなど史料を扱う上での難点も多いので、そうした点を考慮して近似値を求める形で研究を進める。流行病、飢饉などによる人口的災厄はもちろん大きかった一方で、空間的な移動範囲は広く、場合によっては身分的移動もあったことが示され、農村に閉じ込められた「暗い」農民像とは違った姿が示される。
・都市部の人口減少率が目立つ。経済発展→人口集中があったが、他方で人口密集地は流行病などの災厄への抵抗力が弱く、また流入人口には独身者が多かった→死亡率>出生率→著者は「アリ地獄」と表現(ヨーロッパでは「都市墓場説」)。農村における人口増加→西条村の場合には出稼で村の外へ出ることによって人口抑制。つまり、農村で増えた人口が都市で死んでいって、トータルで相殺されるという仕組みになっていた。
・地主からの分家は小作農になるという形で下層への階層移動。他方で、小作農は他所へ出稼奉公に行ったり、跡継ぎがいなくなったりして家系が途絶えたケースが目立つ。階層間移動と地理的移動の組み合わせで農村人口数の安定などの作用。
・江戸時代後期、西日本では人口増大が限界を超えたが、出稼に行く大都市が近くにないため吸収先がないことによる社会不安→明治維新を動かした一因であった可能性。
・濃尾平野は綿織物業が発達した地域→人口増加、遠距離出稼の減少などによる労働供給が背景にあった可能性→「プロト工業化」の議論へつなげる。

速水融『歴史人口学で見た日本』(文春新書、2001年)は、著者自身の歴史人口学との出会いから説き起こし、宗門改帳による江戸時代の研究ばかりでなく、明治以降の事情、さらには今後の課題まで含め、これまでの研究蓄積を概観的に示す。方法論的な解説をしながら研究成果の紹介をした入門書としては、速水融『歴史人口学の世界』(岩波書店、1997年)]もあり、前者は一般読者を対象とする一方、方法論上の概念解説は後者の方が詳しい。
・ハッテライト集団:アメリカの近代技術を拒否して生活している人々で、いかなる出生制限もしない→自然出生率を知る際の指標となっている。
・興味を持ったのは、江戸時代における「勤勉革命」の指摘。江戸時代の農民は年貢や小作料を一定料以上は取られないシステム→生産力上昇による余剰分は自分のものになる→一生懸命働けばその分、生活水準も上がるため、勤勉の美徳が普及→ヨーロッパの「産業革命」(industrial revolution)ではなく、日本の「勤勉革命」(industrious revolution)。
・それから、宗門改帳からうかがえる人口・家族構成における東北日本(アイヌ・縄文時代人)、中央日本(渡来人・弥生文化)、西南日本(海洋民)の相違。
・台湾で後藤新平が実施した「臨時台湾戸口調査」を実質的に担ったのは、日本で初めて人口統計を確立した杉享二の弟子たち(共立統計学校の卒業生)で、これは中国人社会を相手にした世界初の国勢調査であったことはメモしておく。

速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィ──歴史人口学で見た狭間の時代』(文春新書、2004年)は、大正期には人口上の重大な問題があり、史料的にも豊富であるにもかかわらず研究が少ないという問題意識。人口統計上の状態・変動に加えて、民衆の生活や意識の状況・変革も合わせてトータルな変化を描き出そうという意味でデモグラフィー=民衆誌の試み。
・第一次世界大戦後の不景気にさらされた紡績業→これまでのような「女工哀史」を続けるのか、それとも人件費の安い中国に工場を進出させるのか(在華紡)という二者択一→後者を選び、日本国内では女工の失業、中国においては利害衝突。
・結核の全国的な蔓延。
・大正7年、スペイン・インフルエンザ。
・大正3~12年にかけて高死亡率期(大正死亡危機、mortality crisis)。大正末年以降は死亡率の長期的な低下。
・江戸時代の都市は「アリ地獄」→大正期になって公衆衛生、医療設備をはじめ社会インフラの整備→都市と農村との死亡率は大正期に逆転。他方で、出生率低下の徴候→産児制限運動の広がり。
・人口転換:死亡率の低下に続いて出生率の低下が始まることで、高出生率+高死亡率の状態から低出生率+低死亡率の状態へ移行する過程。ただし、長期的な変動であり、地域差もあるので明確に把握するのは難しい。強いて言うなら、明治末期から昭和初期にかけての四半世紀の期間に起こったと言える。

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