堀井弘一郎『汪兆銘政権と新国民運動──動員される民衆』
堀井弘一郎『汪兆銘政権と新国民運動──動員される民衆』(創土社、2011年)
・日本側の工作に応じて重慶の蒋介石から分離した汪兆銘グループが、北京の中華民国臨時政府(首班は王克敏)及び上海の中華民国維新政府(首班は梁鴻志)と合流する形で1940年3月末、南京に成立したいわゆる汪兆銘政権については、共産党・国民党の双方から「傀儡政権」と規定されているため研究蓄積が少ない。この政権が日本の大陸侵略に利用されたのはもちろん確かであるが、他方で汪兆銘たち自身の少なくとも主観的意図としては日本側と交渉しながら限定的条件の中でも中国側の利益を図ろうとした側面も看過できない。「傀儡」とレッテル貼りして一定の枠組みの中に歴史理解を狭めてしまうとこうした両義性が見落とされかねないという問題意識から、本書では「対日協力」政権という呼称が用いられる。
・日本のバックアップで組織されていた維新政府の組織を継承→その傀儡的性格などマイナスの桎梏。
・できるだけ広いグループを集め、本格政権としての威容を示すためポストを濫発→行政の肥大化。
・日本軍の撤兵、税権・租界の回収、軍管理工場の接収、日本人顧問の制限などを要求して国家としての主体性を追求→しかし、政治的実態は弱く、日本側もこの政権への期待が薄くなった→日本と汪兆銘政権との間の不信感は1942年の段階ですでに表れていた。
・1943年以降、汪兆銘政権の政治力をいかに強化するかという問題意識→そもそも「親日」政権ということで一般の評判が悪く、民心掌握ができていない→対民衆工作が課題となった。
・民衆動員組織の重層的・多元的な混乱:維新政府の頃からあった大民会、興亜建国運動、1941年2月に東亜聯盟中国総会、1942年7月に新国民運動促進委員会(新民会)など、他にも行政組織として清郷委員会、保甲委員会→組織や運動の乱立→動員体制が整備できないまま空回り。
・汪兆銘系の国民党組織→日本側は国民党が組織的基盤を強めることを望まず。人材は党から行政機構へと流出。
・石原莞爾らが起こした東亜聯盟にはもともと東亜各国の政治的独立と日本との対等な関係という発想があった→辻政信が汪兆銘に談判して東亜聯盟中国総会が成立→汪兆銘は、日本の「東亜新秩序」と孫文の「大亜州主義」とを結びつけて解釈、「和平」運動の理念を新政権樹立後の東亜聯盟論によって継承させようとした→しかし、日本側の方針転換によって東亜聯盟はつぶれていく→これに変わる民衆動員運動として新国民運動。
・汪兆銘側としては、英米権益の回収を要求するため政権の対米英参戦を望んだが、日本側は消極的。「中華復興」と並んで「東亜解放」を掲げた新国民運動は対日協力を正当化するデモンストレーションとなったが、東亜聯盟にあった政治的独立の契機は後退してしまい、対日協力ばかりが強調されていくことになる。
・新国民運動は、積極的な理念を展開するものではなく、三民主義を継承。また、蒋介石の新生活運動を踏襲。華北にも進出したが、新民会との整合性がとれず頓挫。
・近代国民国家にふさわしい「礼儀正しく文明的」な国民性を形成しようという志向性を持っていた点で、蒋介石政権の新生活運動と汪兆銘政権の新国民運動には共通点があったという指摘は、近代中国史における国民国家形成という長期的課題を念頭に置いて考えると興味深い。
・汪兆銘の死後(1944年11月)、新国民運動は消滅。
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