アマルティア・セン『アイデンティティと暴力──運命は幻想である』
アマルティア・セン(大門毅監訳、東郷えりか訳)『アイデンティティと暴力──運命は幻想である』(勁草書房、2011年)
・インド独立直前の時期、ヒンドゥーとムスリムとの暴力的な対立を目の当たりにしたセン自身の体験→アイデンティティ意識は隣人との連帯感を抱く上でプラスの役割を果すが、他方で他者への排除、時には同胞と敵とを峻別して後者への暴力を促す危険な力をも持つ。豊かさやぬくもりの源泉であると同時に、暴力や恐怖の源泉でもある両義性。一人一人の個人はそれぞれに多元的な側面を持っている。一元的な存在へと単純化してしまうのではなく、アイデンティティ意識の複数性を自覚した上で、その時々の状況における理性的選択の大切さを説くのが本書のメッセージ。
・コミュニタリアニズムではアイデンティティを「発見」されるものとする→しかし、一人一人の個人には複数のアイデンティティがあり得て、単一のアイデンティティに狭めてしまうことは出来ない。どのように優先順位をつけるのか、センは「選択」から出発することを指摘、その際における論理的・理性的思考を重視。
・「文明の衝突」論→歴史的・文化的多様なあり方を大雑把に同質的なものとして把握してしまう単一基準の問題。
・「文化を文明や宗教的アイデンティティごとに歴然と分割された枠内に制限して考えることは、文化の属性を狭くとらえすぎている。たとえば、国民、民族、人種などの集団についても、文化ごとにそれらを一般化すると、そこに含まれた人間の特性を驚くほど限定的かつ冷淡に理解するはめになるだろう。文化とはなにかはっきり理解しないまま、文化の支配的な力を運命だと受け止めているとき、われわれは実際には、幻想の影響力に囚われた空想上の奴隷になることを求められているのだ。」「ところが、文化による単純な一般化は、人びとの考えを固定化するうえできわめて効果を発揮する。そのような一般化が痛切や日常会話のなかに多々見られるという事実は、容易に見てとれる。暗黙のゆがんだ思い込みは、人種差別的な冗談や民族批判の種として頻繁に見られるだけでなく、壮大な理論として登場する場合もある。文化的偏見に関連する事例が、社会のなかで(たとえ些細なことでも)偶然に見られれば、そこから理論が生まれ、偶然の相関が跡形もなく消えたあとでも、その理論は葬り去られずに残るかもしれない。」(148~149ページ)
・市場経済の有効性は否定できない以上、国際的な経済的・社会的格差についてグローバル化/反グローバル化という二項対立は的外れではないか→①そもそも発展途上国の人々にとってグローバルな経済への参入が難しいという現実。②グローバル化した経済に参入して多少は豊かになったとしても、それによる分け前が必ずしも公正とは言えない現実。他に取り得るあらゆる選択肢と比べて公正と言えるかどうかを検討する必要。「反グローバル化」の批判には、不遇で悲惨な立場にある人々にとっての公正さへの主張がある。
・多文化主義→その人のアイデンティティは共同体や宗教によって単一のものに絞り込むことを前提とした上での並存を意味するなら、一人の人間にもその他の帰属意識もあり得ることを無視している点で問題がある。
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