ガヤトリ・C・スピヴァク『ナショナリズムと想像力』
ガヤトリ・C・スピヴァク(鈴木英明訳)『ナショナリズムと想像力』(青土社、2011年)
・ガヤトリ・C・スピヴァクは1942年、コルカタ(カルカッタ)に生まれた。インド独立直後の混乱で、ヒンドゥーとムスリムとが対立して殺しあったのを目撃した記憶がナショナリズム批判につながっているところは、やはりベンガル生まれのアマルティア・センと同様である。センは『アイデンティティと暴力』(勁草書房、2011年)で個人ひとりひとりのアイデンティティの複数性を踏まえ、理性的な選択の大切さを強調している。スピヴァクもやはり想像力という理性によってナショナリズムの相対化を図り、そこに比較文学の意義を求めている。
・「母語を愛すること、自分の住む街の一角を愛することが、いついかなるネイションにかかわることになるのでしょうか。」(15ページ)
・「文学や芸術は、「われわれは皆こうやって苦しんだのだ、忘れるな、これが過去に起きたことだ、忘れるな」と唱えながら、記憶を再編成する大規模なプロジェクトに加わり、その結果、歴史は文化的記憶に変えられるのです。文学はこれをさらに進めて、栄光に輝く過去、偉大な民族解放闘争、異教に対する寛容の精神をわれわれは共有している、そうほのめかします。私が最後に示唆しようと思っているのは──最後に、というのは誤解されることがあるからなのですが──文学の想像力は脱‐超越論化するナショナリズムに影響を与えられる、ということです。」(22~23ページ)
・「歴史的基盤のない感情的な集団性において、ナショナリズムへの契機は、究極的には、ナショナリズムも反グローバリゼーションも生み出すことはなく、自立を装った服従を生み出すのです。」(30ページ)
・「ナショナリズムは、記憶を蘇らせることによって構成された集団的想像力の産物です。独占せよ、というナショナリズムの魔法を解くのは、比較文学者の想像力です。」(42~43ページ)
・「(複数の)言語を用いることによって鍛えられた想像力は民族の(ナショナル)アイデンティティがみずからを真理だとする主張を解体するかもしれず、したがって、国家(ステイト)の働きを覆い隠す文化ナショナリズムと──たとえば、アメリカという「ネイション」がテロ行為によって危機に瀕しているという名目で、市民の自由が奪われている事実を覆い隠す文化ナショナリズムと──私たちとの結びつきを解いてくれるかもしれないのです。」(53ページ)→「ナショナリズムを脱‐超越論化すること、特異な(シンギュラー)想像力を鍛えるという課題であり、こう言ってよければ、国民国家(ネイション・ステイト)から「ネイション」を引き離すことをつねに考える」(54ページ)。言い方を変えると、ナショナリズムの負の側面を剥ぎ取りつつ、再配分等の政治・経済的手段としての国家を維持するにはどうしたらいいか、という問題意識(85ページ)。
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