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2011年9月24日 (土)

冨田浩司『危機の指導者 チャーチル』

 チャーチルの人生は紆余曲折が目まぐるしく、彼に対する好悪は別として、エピソードのつなげ方、描き方によっては読み応えのあるものに仕立て上げる素材として十分な魅力がある。彼については日本でも一定数の本が出ている。中でも代表的なものを挙げるとしたら河合秀和『チャーチル──イギリス現代史を転換させた一人の政治家』(増補版、中公新書、1998年)がバランスのとれた評伝である。

 もちろんイギリスではそれこそ汗牛充棟という表現がふさわしいはずだ。私自身はチャーチルに対して特別な関心はないが、最近たまたま読んだPaul Johnson, Churchill(Viking, 2009→こちら)は、逼塞していた時期から第二次世界大戦で強力な指導者として表舞台に駆け上がる流れの描写がドラマチックでなかなか面白かった覚えがある。つい先日、惜しくもお亡くなりになった名翻訳家の山岡洋一氏がこの本の翻訳に取り掛かろうとしていたと仄聞する。危機におけるリーダーシップのあり方というテーマを打ち出したかったらしい。

 東日本大震災、原発事故という未曾有の事態に直面しているにもかかわらず政治が機能不全に陥っている状況を目の当たりにして、リーダーシップ論への関心が高くなっている。冨田浩司『危機の指導者 チャーチル』(新潮選書、2011年)はタイトルが示すとおり、チャーチルの生涯をたどる中からリーダーシップの条件を考察する構成になっている。著者は現役外交官で、多忙な業務のかたわら「日曜研究家」として本書を書き上げたと謙遜するが、筆致はしっかりしていて興味深く読んだ。

 第二次世界大戦の開戦後、1940年5月の「ノルウェー討議」」をめぐるエピソードが興味深い。首相ネヴィル・チェンバレンに対しては与党・保守党内でも不満がくすぶっていて造反が見込まれ、野党・労働党は彼を拒絶して大連立の目算は立たず、かつて第一次世界大戦でイギリスを率いた自由党のロイド=ジョージは「早く辞めたまえ」という趣旨の演説をしたり…似たような光景をつい最近見たばかりだなあ、と妙な既視感も覚えるが、それはともかく。チェンバレンは辞任したが、イギリスでは首相は国王の任命による。チェンバレンの後任にはハリファックス外相が想定されていたが、彼は辞退した。国王ジョージ6世はチェンバレンの助言も受けてチャーチルを後任に指名する。国家存亡の危機において、最もふさわしい指導者を選び出す能力が当時のイギリスにはあったと本書では評価される。イギリスは、権力の濫用に対して様々な形で歯止めをかけつつ、政治は人が行うということを正面から受け止めた仕組みを持っており、その点では「人治」の国であるという指摘は本書独特の視点であろうか。

 他方、戦争が終わった後、保守党は総選挙で敗北した。チャーチルは「労働党政権になったら統制が強まる、「ゲシュタポ」的手法で自由が抑圧される」という趣旨のネガティヴ・キャンペーンをやったらしいが、彼の目論みは完全に外れた。国家が社会経済に介入する戦時体制において、それは総力戦のための動員であった一方、一般の多くの人々は安定的な職に就くことができるようになっていた。チャーチルの張った論陣は、「自由」の擁護を建前としながらも、戦前の階級社会に戻す口実に過ぎないとしか一般には受け止められなかったらしい。戦争は終わっても戦前には戻りたくない、そうした世論の動向を読み誤っていた。非常時のリーダーと平時のリーダー、その使い分けという国民的知恵であったと言えるのかもしれない。

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