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2011年9月13日 (火)

野嶋剛『ふたつの故宮博物院』

野嶋剛『ふたつの故宮博物院』(新潮選書、2011年)

 質・量ともに世界でも五本の指に入るとされる台北の故宮博物院。ところで、大英博物館やルーヴル美術館など他のメジャー博物館は世界中の文物を収蔵して文字通りの「博物館」であるのに対して(無論、その背景には帝国主義という後ろ暗い歴史があるわけだが…)、故宮博物院は「中華文化」の文物のみを集めた単一文化的性格を持っているところに際立った特徴がある。故宮博物院の収蔵品を手元に確保しておくことは、とりもなおさず中華文明の正統的後継者であるというシンボルを帯びる。だからこそ蒋介石は中華民国の正統性を主張するためわざわざ台湾まで持ち運んできたわけであり、そうした事情から台北と北京、「ふたつの故宮博物院」が存在する政治的意味合いは周知のことだろう。

 清末・民国の混乱期における文物流出は中国の人々にとって屈辱の歴史であり、近年、経済的実力をつけてきた自信からオークション等で買い戻そうとする姿には屈辱回復としてのナショナリズムが垣間見える。日中戦争に翻弄される形で大陸各地を転々とし、その果てに海を渡っていった流浪の旅。ようやく一息ついた台湾では海峡両岸対峙という趨勢の中、国民党政権によって政治的シンボルとして位置付けられた。他方、民進党など台湾土着派によるアジア文化博物館として位置付けなおそうという主張には故宮博物院の「非中華化」→台湾の非中国化というまた別のコンテクストにおけるアイデンティティ・ポリティクスが作用していたことが見て取れる。

 故宮博物院という鏡は「中国」における政治的アイデンティティの葛藤をまざまざと浮き彫りにする。本書はそうした歴史的経緯をたどり返して整理してくれるばかりでなく、関係者へのインタビューによって様々な裏面的エピソードも掘り起こしており、故宮博物院というファクターを通したヴィヴィッドな中台関係論となっている。いまだ実現していない日本での「故宮」展をめぐる動向も興味深い。

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