フランク・ディケーター『毛沢東の大飢饉』
フランク・ディケーター(中川友子訳)『毛沢東の大飢饉』(草思社、2011年)
著者はオランダ出身の歴史学者でロンドン大学及び香港大学の教授。原書Frank Dikötter, Mao's Great Famine: The History of China's Most Devastating Catastrophe, 1958-62は今年度のサミュエル・ジョンソン賞を受賞した(受賞のニュース記事を見て興味を持ち、すぐアマゾンで注文して取寄せたのだが、読まないうちにこの邦訳が刊行されていた…)。
1958年、毛沢東の指示で発動されたいわゆる「大躍進政策」の大失敗はよく知られている。これが単に経済政策面での失敗であったばかりでなく、この失敗によってもたらされた惨禍がいかにすさまじいものであったのか、本書は共産党の公文書(档案)館所蔵史料や実際に飢饉を生き延びた人々へのインタビューに基づいて詳細に描き出していく。
本書では1962年までに拷問・処刑死や餓死者も含めて犠牲者は4,500万人にのぼるであろうと推計され、その大半は農村部の人々であった。共産党の公式見解では外圧や自然災害のせいにされているが、実際には人災としての側面が強い。
人々の生活上の必要ではなく、国家としての対外的威信やイデオロギー的理由のための手段として経済は位置づけられていた。経済の担い手たる農民や労働者はそのために使い捨てされ、飢餓は一時的なものでやむを得ないとして放置された。一党独裁の中央集権体制を取る中、命令を出す中央は、命令を受ける地方の側の実情をほとんど把握していなかったにもかかわらず、ノルマとしての数字が地方へのプレッシャーとしてのしかかる。こうしたギャップの辻褄合わせをせざるを得なかったところに、地方幹部の恣意的・暴力的な専制がまかり通る素地が現れた。
毛沢東の判断ミスが幾何級数的に増幅していく。しかも、この場当たり的な政策決定者は圧倒的なカリスマを持ち、政争の生き残りにたくみであった。この悪循環を阻止できなかった意味で単に毛沢東個人の問題というだけでなく、チェックの働かない全体主義的政治システムの機能不全がもたらした惨禍であったと言えよう。ハイエク『隷従への道』で指摘されたトップダウンによる統制経済モデルの矛盾点、それが具体的かつ悲惨な姿をとった醜悪なカリカチュアをまざまざと目の当たりにするようで、この無残な陰鬱さには何とも言葉が出て来ない。
著者が調査を進める上でどうしても壁にぶつかってしまっていたように、史料公開面での制約は大きいようだ。档案館へのアクセスはいまだに限定的なので、さらに史料が発掘されたら本書の内容以上の驚きが見出されることになるのかもしれない。歴史的事実は事実であって、本書を読んで「これだから中国は…」みたいな話になってくると、それは正しくないと思う。むしろ、歴史的事実をいかにタブーなく教訓として捉え返していけるか、現代中国が考えるべき課題はそうした言論や研究の自由をいかに保証していけるかというところにあるのだろう。
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