早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ──民族/国家のアポリア』
早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ──民族/国家のアポリア』(青土社、2008年)
・土地なき民が迫害されてきた歴史的経験の末にようやく作り上げた人工的国家イスラエル。ベン=グリオン、ジャボティンスキーなど左右の違いこそあれユダヤ人による単一民族国家の理念を追求してきた政治シオニズムによって、これまで迫害されてきた者(ユダヤ人)が一転してパレスチナ人を迫害する側に回ってしまったという逆説がもたらされてしまったことは周知の通りである。他方、ユダヤ人による純粋な民族国家の樹立が他者の排除を必然的にもたらすであろうまさにこの逆説を自覚して政治シオニズムを批判していたゲルショム・ショーレムやマルティン・ブーバーなどの文化シオニズムは、マジョリティ/マイノリティの対立を超えた政体としての一国家二民族共存(バイナショナリズム)の理念を掲げていた。本書は、ユダヤ人としての出自を持つブーバー、ハンナ・アーレント、ジュディス・バトラー、アイザイア・バーリンなど、そしてパレスチナ人としての出自を持つエドワード・サイードの発言を拾い上げながら、こうしたバイナショナリズムをめぐる言説を思想史的に分析していく。
・民族共存の主張はもちろんただちに否定されるべきものではない。ただし、それぞれの主観的・良心的な意図はともかくとして、額面通りに有効であったかどうかは難しいところである。例えば、当初においてはヨーロッパ中心主義的観点による反アラブ感情や植民地主義的偏見が否めなかったり、ユダヤ人側がパレスチナ人側を形式的に対等な相手とみなしても(あるユダヤ人はパレスチナ人をさして「われわれとまったく同じように苦しめられている」と発言)実際の非対称性をどのように考えるのか、といった問題がある。バーリンは政治シオニズム=攻撃的/文化シオニズム=非攻撃的という分類→後者を肯定するという考え方を示していたが、果たしてこうした二分法が単純に成立するのか、場合によっては後者が前者に転化する可能性が常にあるのではないかという疑問が出てくる(塩川伸明『民族とネイション』[岩波新書、2008年]が取り上げている「よいナショナリズム」/「悪いナショナリズム」をめぐる問題と同様)。
・左派・リベラル派としてバイナショナリズムの理念に共鳴しつつも、同時にイスラエル国家(パレスチナ問題を抱えているという現実をもひっくるめて)をなおかつ支持するというアンビバレンス。良い悪いというのではなく、そこに端的に表れる「国民国家」をめぐるアポリアがそれぞれの言説の布置連関からおのずと浮かび上がってくる難しさ、もどかしさそのものに関心を持ちながら読み進めた。
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