アントニー・D・スミス『ナショナリズムの生命力』
アントニー・D・スミス(高柳先男訳)『ナショナリズムの生命力』(晶文社、1998年)
・ナショナル・アイデンティティの基本的特徴:①歴史上の領域、もしくは故国、②共通の神話と歴史的記憶、③共通の大衆的・公的な文化、④全構成員にとっての共通の法的権利と義務、⑤構成員にとっての領域的な移動可能性のある共通の経済
・ナショナル・アイデンティティ形成にあたって近代以前のエスニック・アイデンティティや伝統が果たす役割をどのように考えるか?→固定的なものとして捉える原初主義・本質主義でも、可変的操作性を強調する構築主義・道具主義でもなく、その中間としての歴史的・象徴的・文化的属性を強調するアプローチを本書はとる。
・ネイション形成の二つの経路→①水平的エスニーと官僚的編入(国家が後援)、②垂直的エスニーと土地に根ざした動員
・「ナショナリズムとはネイションとその成員が、純粋な共同体の「内面の声」にのみ耳を貸し、真の集団的「自我」に目覚めることを意味するのである。それゆえ、自治だけがネイションとその成員に自己実現を達成させる真の方法であり、真の体験と真の共同体が完全な自治の前提条件となる。自治はすべてのナショナリストの目標なのである。」(141~142ページ)
・「ネイションという新しい概念は、前近代の大衆が地域や家族への愛着にたいして抱く熱望や感情を利用して、混沌に秩序をあたえ、宇宙を意味あるものにするために、時間と空間の枠組みとして役立つように考案された。」(144ページ)
・「ナショナリズムの特定の教義や象徴の重要性は、ナショナリズムがより深い意味──イデオロギー、言語、意識──をもっていることをしめしている。複数のネイションからなる世界では、それぞれのネイションが独特であり、それぞれが「選ばれ」ているのである。ナショナリズムとは、選民という前近代的な聖なる神話の世俗的な近代版だといえる。」(152ページ)
・「ナショナルな熱望は、ナショナルでない他の経済的、社会的、あるいは政治的争点と結びつきやすい」(245ページ)
・「ソ連の経験からわかったことは、革命的な「創られた伝統」でさえ、民衆に深く根づかせようとするのなら、ナショナルな文化的・政治的アイデンティティを利用するか、さもなければつくりだす(しばしばその両方とも)必要があるということである。」(252ページ)
・ナショナル・アイデンティティを超える難しさ→「現状では、エスニック、あるいはナショナルな言説とそのテクストは、国家権力ならびに文化的コミュニケーションの現実と結びついて、人間の想像的構築に限界を課している。というのは、「長期の持続する」エスノ・ヒストリーが特定の言語と文化をもたらし、そうした言語と文化のなかで、集団として、また個人としての自我と言説が形成されてきたのであり、現在でも人間を結びつけたり、分裂させたりする力となっているからである。グローバルな共同体を想像するだけでは不十分なのである。」(270ページ)
・「おそらくナショナル・アイデンティティの機能としてもっとも重要なのは、個人的な忘却という問題にたいして、満足いく回答をあたえてくれることである。この世では「ネイション」にアイデンティティを抱くことが、死という結末を乗り越え、個人の不死への手段を確保するのにもっとも確実な方法なのである。…ネイションの場合は、遠い過去をもつ。たとえその大部分が、再構築され、ときにはでっちあげなくてはならないとしても、である。より重要なことは、ネイションは自らの英雄的過去に類似した、栄光ある未来を提供できる。この過程でネイションは、のちの世代によって実現されるはずの共通の運命にしたがうように、人々を駆りたてることができるのである。実際にはこれらは「私たちの」子供の世代である。ところが、彼らは精神的にも遺伝的にも、「私たちのもの」なのである。…したがって、ナショナル・アイデンティティの第一の機能は、人々を個人的忘却から救いだし、集団としての信仰を取り戻すべく、強力な「歴史と運命の共同体」を提供することにある。」…「ネイションは、不死の約束が前提とする遠い過去をもつ必要があるだけではない。ネイションは同時に、栄光ある過去、すなわち聖者と英雄の黄金時代をひもといて、復活と尊厳という自らの約束に意味をあたえることができなければならない。したがって、エスノ・ヒストリーが、満ちあふれ、豊かであればあるほど、その主張が説得力をもつようになり、ネイションの構成員の心の琴線の深くまで触れることができるのである。」(271~273ページ)
・ナショナル・アイデンティティの第三の機能は同胞愛。「私たちは、美的考慮の重要性を過小評価してはならない。これは、形、大きさ、音、リズムの巧みな配列によって目覚めさせられる、美、多様性、尊厳、悲哀といった感情を指しているが、芸術はこれを利用して、そのネイションに特有の「精神」を喚起できるのである。…ナショナリズムの象徴的、儀式的側面が今日でも個人のアイデンティティの感覚にかくも直接的な影響をおよぼしている理由は、なんといってもエスニックな絆とエスニック・アイデンティフィケーションが再生したこと、とりわけ共同体のそれぞれの世代が「祖先」と戦没者を記念することにある。この点でナショナリズムは、たとえば神道のように、死者との交わり、先祖崇拝を重視する宗教的信仰に似ている。」(274~275ページ)
・ネイションは超えられるのか?→できるとしたら、ネイション形成の原理そのものを通じてだけ、つまりより大きな次元における「汎ナショナリズム」という形による。
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