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2011年8月

2011年8月26日 (金)

ジョセフ・S・ナイ『スマート・パワー──21世紀を支配する新しい力』

ジョセフ・S・ナイ(山岡洋一・藤島京子訳)『スマート・パワー──21世紀を支配する新しい力』(日本経済新聞出版社、2011年)

 ジョセフ・ナイがソフト・パワーという概念を提示したとき、「ソフト」という表現にこだわって軍事中心のハード・パワーに代るものとして理解を狭めた議論をする傾向もあったらしい。しかし、ソフトだろうがハードだろうが、パワーそれ自体は良いものでも悪いものでもない。戦略の組み立て方によってその効能もまた変わってくる。

 ハード・パワーとは軍事的・経済的手段による強制・誘導といった「押す力」であり、ソフト・パワーとは正当性を持った課題の設定、説得、魅力といった要因によって相手に影響を与え「引き寄せる力」である。前者が主体自身の行動によって影響を及ぼそうと意図するのに対して、後者は相手側がどのような認識をするかがポイントとなる。

 ただし、ナイの議論は前者を否定して後者を推奨するといったものではなく、両者をいかに組み合わせて戦略目標を達成するかに焦点を合わせている。それがスマート・パワーである。パワーはそれ自体で効果を発揮するものではなく、常に状況依存的である。状況を読み解きながら様々なパワーを組み合わせてストーリーを組み立てることが重要になる。つまり、自らの持つリソースを状況把握的知性によって有効な戦略へと変換していくところにリーダーシップ概念が位置付けられる。こうした議論にはリアリズムとリベラリズムという従来の国際政治理論の対立を超えたリベラル・リアリズムへの志向が込められている。

 以上のスマート・パワー概念を軸にして現在の国際環境を読み解く視座を示すのが本書の趣旨となる。各国間のパワーの移行、国家から非国家主体への力の拡散、これら両方の進展によって最強国でも管理できない現況がポイントとなる。世界の多極化、とりわけ中国の台頭とアメリカの没落といったストーリーもよく語られるが、問題はそんなに単純ではない。三次元のチェス盤にたとえる話が出てきた。軍事力の層ではパワーはアメリカに高度に集中。経済力の層ではアメリカ、EU、日本、BRICに分布。地球環境問題、犯罪、テロ、伝染病などの多国間関係の層は分散的。世界は一極構造でもアナーキーでもなく、こうした3つの構造が並存しており、1つの層にだけ注目すると失敗してしまうと指摘。これらすべてを同時に見すえていく視点としてのリベラル・リアリズム。

 アメリカ自身の戦略にとって重要なポイントとしては、最強国であっても他国の支援がなければ何も出来ない現在の状況を正確に認識し、同盟国との関係強化は当然のことながら、さらに広がりのあるネットワーク関係を形成する能力をナイは挙げている。以前に読んだズビグニュー・ブレジンスキー、ブレント・スコウクロフト『アメリカと世界:アメリカ外交の将来を語る』(Zbigniew Brzezinski, Brent Scowcroft, moderated by David Ignatius, America and the World: Conversations on the Future of American Foreign Policy, Basic Books, 2008→こちらで取り上げた)でも、①地球上のあらゆる人々の政治意識がこれまでにないほど覚醒しつつあり、冷戦期にキッシンジャーが活躍したような国家単位のパワー・ポリティクスの論理が通用しない現実にアメリカは直面している、こうした状況下での武力行使は情勢を悪化させるだけ、②環境問題や核拡散をはじめグローバルな課題にアメリカ単独で取り組めるはずがなく、世界の他の国々に協力を呼びかける中でアメリカのリーダーシップを発揮すべき、このような議論を二人はしていた。こうした基本的な認識はナイも含めて幅広く共有されていると言えるだろうか。

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2011年8月21日 (日)

NHKスペシャル取材班『日本海軍400時間の証言──軍令部・参謀たちが語った敗戦』

NHKスペシャル取材班『日本海軍400時間の証言──軍令部・参謀たちが語った敗戦』(新潮社、2011年)

 1980年から1991年にかけて水交会(旧海軍のOB組織)で開かれていた「海軍反省会」。太平洋戦争当時に軍令部や海軍省などに所属していたエリート軍人たちを中心に定期的に会合が開かれ、軍政や作戦立案の中枢近くにいた立場からあの戦争の問題点をもう一度考え直してみようと語り合った座談会である。非公開を前提としていたため割合と率直な話題も提起されており、敗戦前後の時期に証拠隠滅のため焼却された史料の欠落を補う上で非常に貴重な証言となっている。

 この「海軍反省会」の記録テープの発見をきっかけとして制作されたNHKスペシャルのシリーズは興味深く見た覚えがある。このテープは公的事項に当たるため著作権上の問題はないらしいが、それでも放送にあたってまだ存命中の人物や遺族に諒解を求めるため会いに行き、補足取材が行なわれている。この補足取材からも芋づる式に様々なことが明らかになっているし、何よりも取材過程において執筆者たち自身が手ごたえとしてどのような感触を具体的に受け止めたのか、そこがヴィヴィッドに記されているのが番組とはまた違った本書の持ち味だ。

 あの戦争は明確な目的もなくなし崩し的に始まってしまったという皮相なところに問題点があることについては一応のコンセンサスはできているだろう。日本社会における「組織」のあり方が、あの戦争から現在に至るも依然として決着はついていないのではないか、その意味であの戦争を考えることは今の日本社会を考える上でも示唆があるのではないか、という視点が本書では打ち出されている。

 海軍内部でもセクショナリズムによる組織肥大化が自己目的となっており、予算獲得のための見せかけとして戦争決意が高らかに謳い上げられた。それは根拠のない確信であったが、戦争間近の臨界点に達しても「本当は戦争なんてできない」とは今さら言えず(そんなことを言ったら予算を削られて陸軍に取られてしまう)、机上の計算で辻褄合わせ。南部仏印進駐までなら大丈夫と思っていたら、アメリカがあんなに怒るとは思わなかった、などと赤裸々に語られている。問題点は分かっていても、それを言い出せない「空気」。

 特攻、回天などの立案経緯にも意外と謎が多い。技術将校の立案とか大西瀧治郎中将の命令とかとも言われてきたが、早くから軍令部中枢では検討されていた可能性もうかがわれる。ただし、決定的な史料までは見つかっていないが、従来の定説に疑問を投げかけるだけでも大きな成果だろう。海軍反省会で元軍令部首脳に食い下がる将校がいたが、彼自身が回天を送り出しており、戦後、生き残った搭乗員から激しく責められたことがあったというのが印象的だった(中間管理職の苦悩、などと言ったら安っぽくなってしまうが)。

 捕虜虐待や現地人虐殺など戦地で起こった戦争犯罪の責任問題では、軍令部からの指示の有無が問題となった。結局、すでに戦死・自決した現地司令官の責任とされたり、現地の中堅指揮官がBC級裁判で処刑されたりしたが、実際には上意下達の軍隊組織にあって現地の独断専行はあり得ない。海軍上層部(ひいては天皇)の責任問題を回避するため第二復員省(海軍省の後身)が組織的に戦争裁判対策を行なっており、その工作によって現場の人間に責任がなすりつけられた。これは東京裁判における嶋田繁太郎元海相の極刑回避など「海軍善玉論」の虚構にもつながっていく。

 現場の指揮官になすりつけられた汚名を洗いなおす一方で、虐殺されたオーストラリア人捕虜の遺族にも取材して日本人中心の視点に狭くなってしまわないよう努力も払われている。それから、軍用飛行場建設に当たって現地住民が多数虐殺されたと言われる中国・三灶(さんそう)島。海軍は証拠隠滅のため不法行為の実情を知っている捕虜や現地人の皆殺しにも手を染めていたという。

 海軍反省会のテープは関係者の大半も鬼籍に入ったからこそようやく公開されたわけだが、他方で戦後60年が経ち、史料や証言も残されないまま、いまだに分かっていないこともたくさんあるのだろうな、とつくづく感じた。

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池上貞子『張愛玲──愛と生と文学』

池上貞子『張愛玲──愛と生と文学』(東方書店、2011年)

 華語圏の人気作家・張愛玲といっても日本の普通の読書人にはいまいちピンとこないかもしれないが、例えば映画「ラスト、コーション」の原作者と言えば多少はイメージがつかめるだろうか。中国文学者の藤井省三さんの本だったと思うが、学生のとき張愛玲の作品を読んでいると言ったら中国人留学生から笑われたなんていう回想を読んだ覚えがある。張愛玲作品は台湾・香港などではもともとよく読まれていたが、反共・ブルジョワ作家とみなされていたせいか大陸でも読まれるようになったのは改革開放以降のこと。台北や上海の大きな書店に行くと張愛玲専用の棚もあるから、現在の華語圏で最もコンスタントに読まれ続けている作家の一人である。アカデミックな評価はともかく読者層の厚みという点では、彼女の存在感はひょっとすると魯迅や老舎を上回っているのかもしれない。

 張愛玲は1920年、上海に生まれた。李鴻章は曽祖父にあたるらしい。名門の生まれではあっても両親との関係には複雑な葛藤があり、これ自体が張愛玲作品を読み込む上で一つのテーマになりそうだ。ロンドンに留学しようとしたところ第二次世界大戦の勃発により断念、かわって香港大学に入学したが、日本軍の香港占領により上海に戻る。上海で若くして作品を発表。しかし、日本軍占領下の上海にあって発表媒体を選ばなかったこと、また胡蘭成(一時期、汪兆銘政権の宣伝部次官を務めた)と結婚したことなどによって文化漢奸の容疑を受けかねないおそれもあったようだ。その後は主に香港、アメリカで暮らし、1995年、ロサンジェルスの自宅マンションで孤独死しているのが発見された。

 ひとむかし前の現代中国文学というとどうしても大文字の政治性が濃厚な印象があるが、対して張愛玲の作品でテーマとして取り上げられるのは結婚や男女関係が中心。そこには儒教的・伝統的な家族観念との葛藤が意識されているし、またコンベンショナルな道徳観念からは自由でどこかシニカルに感じさせる視点も含めて人間の心理描写のこまやかなところは、同時代の他の中国文学とは異質なモダンな印象すら私は受ける。西洋文学への造詣の深さ、それから生まれ育った上海という土地柄の影響もあるだろうか。いずれにせよ、論ずる対象としての間口の広さが彼女の作品にはあって、そうしたあたりは本書に収録された論考を一読してもらえば分かるだろう。私としては、胡蘭成、阿部知二などとの関わりに関心を持った。

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2011年8月 上海旅行写真日記

ようやくブログ再開。今月行ってきた上海旅行の写真日記は別ページにとぶけどこちら。まだ写真を整理しきれておらず、8日間の旅程のうち現時点では到着当日、二日目の上海歴史散策、三日目の紹興まで。つまんない写真ばかりだけど、残りはまた時間のあるときにアップする予定。

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