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2011年7月10日 (日)

トーマス・フリードマン『フラット化する世界』

トーマス・フリードマン(伏見威蕃訳)『フラット化する世界〔増補改訂版〕』上下、日本経済新聞出版社、2008年

・インターネットの普及をはじめ飛躍的な技術革新によって、個人レベルでできる仕事の可能性が大幅に拡大、市場・ビジネス環境を制約していた国境を乗り越えていく趨勢、これによって個人を束縛していたヒエラルキーが水平化しつつある現状を本書はフラット化と呼ぶ。
・すでにおなじみの議論で新味はないと思うが、グローバリゼーションの拡大深化に伴う個人の役割拡大という側面について様々な事例を列挙しながら「フラット」というキーワードで括ってみせたところに本書のアピール・ポイントがあるようだ。
・国際的なフラット化は仕事のルーティンを急速に流動化させる。できることの可能性が広がる→他人も同様→流動化しつつある環境に適応しつつ、コア・コンピテンシーはどこに求められるのか?→個人の創発的な能力。
・フラット化されていない途上国の人々は可能性を奪われている状態。個人にとって必要なのは金銭ではなく自らの可能性を試す自尊心、そのチャンスを広げるべきという指摘には共感できる。
・他方で、フラット化が進むと、個人レベルでの負荷が極端なまでに高まること、またモラル上の自律もますます重要になるのだろう。
・流動的な環境に適応する個人レベルの創発的能力が重要になる見通しを持っている点で、ジグムント・バウマンの『リキッド・モダニティ』をはじめとした一連の議論と基本的な方向は同じだという印象を受けた。フリードマンが技術革新に理由を求め、個人のチャンス拡大を肯定的に受け止めビジネス親和的な議論を展開する一方、バウマンの議論は近代化の進展というパースペクティブの中で捉え、流動的な環境に適応しようと右往左往する個人の負荷が極端に強まっていく悲観的な側面に注目するというところが違う。

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