【映画】「愛の勝利を──ムッソリーニを愛した女」
「愛の勝利を──ムッソリーニを愛した女」
第一次世界大戦勃発直前の時期、後年の独裁者ベニート・ムッソリーニがまだイタリア社会党機関紙「アヴァンティ(前進)」の編集長だった頃、政府の弾圧にもめげない彼の闘争的な野心に惚れ込んだ女性イーダ。戦争支持を打ち出したムッソリーニは党の方針に反したと批判されて孤立無援、そんな彼が新たな新聞を発行するにあたってイーダは自らの全財産を渡すなど献身的につくす。しかし彼にはすでに家族があり、他の女性にも目移りしてばかり。権力の階段を駆け上がる彼にとってイーダは目障りとなった。彼女は精神病院に押し込められ、歴史の闇へと葬り去られる──。
男に裏切られて無理やり“狂気”を押し付けられた女性の悲劇──表面的にはそうしたストーリーのように見える。しかし、彼女がそもそも惹かれたのはムッソリーニの狂的なまでのすごみであって、そのデモーニッシュな力への熱狂的な献身は彼女自身のプライドと密接につながっていたのではないか。自分はドゥーチェと特別な関係にある、他の人間とは違うんだという強烈な自意識。それは人的動員にあたって情緒面で作用する重要な要因だ。弊履の如く捨て去られてもなおかつすがり続けるのは、愛なんて美しいものではなく、実はムッソリーニに投影された他ならぬ彼女自身の強烈な自意識過剰であろう。その意味で、彼女を通してファシズムという政治社会現象の心理的一側面を描き出していると言えるだろうか。少なくとも私はそのように観た。
モノクロの実写映像や過去の映像作品(例えば、ロシア革命のシーンはソ連映画「11月」ではないか)を独特な様式美で随所にコラージュする構成は、時代背景の緊張感を出すと共に象徴的な意味合いをも際立たせる。暗がりの中で人物の表情をとらえるショットが印象的だ。イーダの憂いを帯びた表情、それから彼女と愛し合っている時でさえもギラギラと光るムッソリーニの野心満々の目つき。ベロッキオ監督の映画では以前、過激派によるモロ元首相誘拐・殺害事件を題材とした「夜よ、こんにちは」を観たことがあるが、この映画でも暗がりの中でとらえられた人物それぞれの表情が印象的だった覚えがある。
【データ】
監督:マルコ・ベロッキオ
2009年/イタリア/128分
(2011年7月3日、シネマート新宿にて)
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