喜多由浩『北朝鮮に消えた歌声──永田絃次郎の生涯』
喜多由浩『北朝鮮に消えた歌声──永田絃次郎の生涯』(新潮社、2011年)
かつてプッチーニ「蝶々夫人」で三浦環の相手役をつとめ、藤原歌劇団では主宰者・藤原義江と交代で主役をはるほどの実力を持っていたテノール歌手、永田絃次郎。本名は金永吉。植民地時代の朝鮮半島に生まれたが日本で活躍、その後、北朝鮮への帰還事業で帰国したものの行方不明となった永田の生涯を描き出したノンフィクションである。
1909年、平壌近くの農村で生まれた少年は音楽を志し、東京の陸軍戸山学校軍楽隊に入学、見事に首席で卒業して銀時計をもらった。その後、除隊して通った下八川声楽研究所では東海林太郎と共に頭角を現す。ただし、コンクールには何度挑戦しても二位どまり。植民地出身者への差別待遇があったと言うべきだろう(なお、台湾出身の江文也も同様であった)。それでも彼の実力は広く認められ、一躍スターダムへと駆け上がっていく。
1960年に永田は家族を連れて北朝鮮へ帰国した。人気に翳りが出てきたため仕切り直しを図りたいという気持ちもあったようだ。帰国当初は、同郷の金日成から可愛がられていたこともあって華々しく活躍できたが、北朝鮮の一筋縄ではいかない国情にやがて直面することになる。外国の歌を歌えなかったり、海外公演へ行かせてもらえない不満がつのる。日本から連れ帰った日本人妻がもらした里帰りの希望は当局者からマークされた。金日成お気に入りという立場は、他の者からの嫉妬をかうことにもなり、永田がかつて日本にいた頃、“軍国主義賛美”の歌を歌っていたことは「親日派」として糾弾の材料となってしまう。やがて彼は表舞台から遠ざかり、1985年に病死。そういった事実が公になったのはようやく2010年になってのことだという。
芸術家としての永田はただひたすら純粋に歌いたかった。植民地支配下で朝鮮半島出身者が差別待遇を受けていたことに当然反感はあったろうが、そうした時代状況の中でも彼は歌うために「日本人」になりきろうとしたし、逆に北朝鮮に戻ってからは自ら舞台に立つために「日本の悪口」を言うことにもなった。敵か見方か、画然たる態度表明を強いられる政治的アイデンティティーの中で、純粋に“芸術家”であり続ける余地のなかった葛藤、それが永田の生涯から浮かび上がってくる。台湾出身、日本で活躍、その後中国大陸へ渡って文化大革命で迫害された音楽家・江文也と比較しながら考えてみると興味深い。
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