J・M・ブキャナン、G・タロック『公共選択の理論──合意の経済論理』
J・M・ブキャナン、G・タロック(宇田川璋仁監訳、米原淳七郎、田中清和、黒川和美訳)『公共選択の理論──合意の経済論理』(東洋経済新報社、1979年)
・国家の有機体概念を排除、方法的個人主義を仮定した上で、意思決定において社会の構成員がいかに合意に至るかを経済学的手法で分析した古典的理論書。パレート最適とかゲーム理論とかを私は正確に理解しているわけではないので数式分析の箇所は飛ばし読みしてしまったのだが、要するに、アトム的個人を出発点とした社会秩序形成の論理的可能性を数理モデルを使って検証するのが基本的な趣旨である。言い換えると、社会契約論を数理モデルで構成しなおした議論であり、序文ではロールズの公正としての正議論と同じ方向性を持つと言及している。
・一個人の選択計算は費用のかかるプロセスであり、費用よりも便益の方が大きいと期待できる場合に同意するという効用拡大化仮説をとる。外部費用+意思決定費用=社会的相互依存費用、これが最小になるように、言い換えると期待効用を最大化するように個人は振舞う。
・同意によって成立した秩序構成をconstitutionと呼び、本書では「憲法」と訳されている。もちろん字義通り「憲法」と訳すべき箇所もあるが、人間が一定の振舞いを行なう際に準拠する前もって合意された一連のルールと考えれば、より広く「制度」と解した方が分かりやすいように思った。
・同質性が高い社会→制限の少ないルールを受け入れる。他方、鋭い対立を内包した社会→全会一致に近いルールを伴う意思決定費用の余裕なし。
・所得再配分の共同行為が実際に行なわれていることをどのように説明するかという問題意識。
・一方の得は他方の損というゼロサムゲームではなく、当事者すべてが相互的に得をする経済的交換過程として捉える→相互利益があれば全会一致に基づく社会契約は可能であることを論証。
・合理的個人モデルを議論の出発点としつつも、それは複雑な事象を単純化して人間の社会行動の一側面を把握、モデル化するための方法論に過ぎず、決して万能ではないことを強調している。
・道徳規範的な「べき」論からトップダウン的に政治秩序を構成するのではなく、仮定モデルに基づくにしても実際にいかに「ある」かというところからボトムアップ的な論理構成を目指す議論も特徴と言えるだろうか。
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