« 喜多由浩『北朝鮮に消えた歌声──永田絃次郎の生涯』 | トップページ | 【映画】「愛の勝利を──ムッソリーニを愛した女」 »

2011年7月 3日 (日)

青木正児『江南春』、中砂明徳『江南──中国文雅の源流』、司馬遼太郎『街道をゆく19 中国・江南のみち』

 江南という言葉でまず思い出すのは、青木正児(「まさる」と読む)が中国文学・文化について薀蓄を傾けたエッセー集『江南春』(平凡社・東洋文庫、1972年)。タイトルとなっている一編は、大正11年の3月から5月まで2ヶ月ばかり、蘇州・杭州・揚州・南京など江南の地に滞在した折の記録。物売りとのやりとりとか、中国人のおのぼりさんから「あの山は何か?」と尋ねられて適当な返事をしてしまったり(方言的な差異が大きいから起こり得たハプニングだろう)、気取らない筆致。他方、現地に行ってみれば夢に見たのとは相違して殺風景だったりすることもあるが、そういうところでも豊かな中国古典の知識からイマジネーションをふくらませて強引にでも何がしかの感興を引き出そうとしているところがなかなか読ませる。

 北方が遊牧民族系王朝に支配され、中華文明の正統は江南に移ったと一般に言われる。中砂明徳『江南──中国文雅の源流』(講談社選書メチエ、2002年)は、南宋の成立以降、北方から移植されて花開いた江南文化が、南北関係の中でなぜ優位になっていったのか、その過程を考察する。都市経済の発展によって社会的流動化が進み、広域的な人の動きが現れる。江南の地における美術市場の形成、出版の普及などの要因はさらに全国規模に押し広げられていく。蘇州の雅、福建の俗という対比が興味深い。

 司馬遼太郎『街道をゆく19 中国・江南のみち』(朝日文庫・新装版、2008年)は蘇州・杭州・紹興・寧波を歩いた記録。『街道をゆく』シリーズはその都度関心のあるテーマの巻を拾い読みしているが、旅の情景描写とそれぞれの土地にまつわる歴史的背景とをバランスよくたくみに織り上げていく司馬遼太郎の筆致には毎回うならされる。古代史に思いをはせ、『空海の風景』を書き上げたときに勉強した仏教史の知識も動員して、海を挟んだ日中交渉史の一端をもさり気なく描き出してしまう。一見さり気ないが、小説を書くときには、たとえば空海や最澄はどんな船に乗ったのか、それはどんな技術水準だったのか、そういったディテールにまでこだわらないとシーンが成立しない。従って事前調査も相当なもので、奥行きのある学識に裏打ちされたイマジネーションが司馬の魅力だと再確認。

|

« 喜多由浩『北朝鮮に消えた歌声──永田絃次郎の生涯』 | トップページ | 【映画】「愛の勝利を──ムッソリーニを愛した女」 »

中国」カテゴリの記事

歴史・民俗・考古」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197828/52112317

この記事へのトラックバック一覧です: 青木正児『江南春』、中砂明徳『江南──中国文雅の源流』、司馬遼太郎『街道をゆく19 中国・江南のみち』:

« 喜多由浩『北朝鮮に消えた歌声──永田絃次郎の生涯』 | トップページ | 【映画】「愛の勝利を──ムッソリーニを愛した女」 »