平井京之介『村から工場へ──東南アジア女性の近代化経験』
平井京之介『村から工場へ──東南アジア女性の近代化経験』(NTT出版、2011年)
タイ北部の日系工場に潜り込んで行なったフィールドワークに基づくエスノグラフィ。タイ人インフォーマントの家に下宿、工場労働の様子ばかりでなく、稲刈りの手伝いで伝統的な仕事観も実地に観察して比較対照され、さらに女性労働者たちの余暇の過ごし方や家庭生活についての聞き取りも合わせ、工場労働によってもたらされた近代性がタイ農村社会の中でどのように受容されたのかを分析する。人間関係的なプロセスの中でどのような相互作用が起こっているのか、具体的に描き出されているところが興味深い。
読む前には外国資本による搾取や文化的摩擦といった問題を先入見として持っていたが、実際にはそれほど緊張したものではないようだ。工場システムの中に入っても、農村で働くのと同様な伝統的な行動パターンで現場は動いている。調査対象が農村の中にある工業団地にあるため、労働者たちに自宅通勤が多いこと、また慢性的な労働不足で離職にためらいはなく、こうしたことがマネジメントに対する抵抗力となっているという。また、タイ人労働者は、民族的優位性/劣位性や職位的上下関係よりも業績評価的な眼差しで日本人マネージャーを見ているというのも興味深い。いざとなった時に日本人マネージャーが見せる専門的知識やスキルへの敬意から彼らの権威を承認しているのであって、タイ語がうまくても専門知識の乏しい日本人の指示には従わないらしい。
日本人とタイ人労働者との媒介者たる通訳や事務員たちの行動様式が目を引く。実際に日本人マネージャーと最も親しい関係を持っているのは他ならぬ彼ら媒介者自身なのだが、タイ人労働者に向かって「日本人はタイ文化を無視して命令ばかりする」と言いふらし、我々/彼らという区別を際立たせることでタイ人労働者の連帯を呼びかけ、抜け駆けを牽制しようとする。日本人マネージャーとタイ人労働者との距離感を広げる一方、自分たちの影響力を強めようという意図があるらしい。
女性が工場労働に出ることで、一人暮らしを始めたり、自宅から通っていても伝統的な生活様式に従って収入の低い夫への評価が下がったりといった意識上の変化が現れているが、とりわけ「タン・サマイ」という表現で特徴付けられるライフスタイルが興味深い。「最新の、モダンな」といった意味で、都市的なライフスタイルに影響された個人的消費活動を指すが、農村社会における伝統的な規範システムからの逸脱を正当化する機能を持つ。「自分は都会的な女」と誇示することで同僚の間での威信を高める作用も持つが、女性グループの間でこの感覚が広まることにより、文化的伝統の自明性を意識的・反省的に考え直すきっかけともなる。それは「自由になった」という実感をもたらした。同時に、商品経済による組織化の網に巻き込まれ、現実の都市文化に対して周縁的な地位に組み込まれるプロセスであるとも言える。
調査に協力してくれた日系企業は取引先から製品価格の引き下げを要求されてタイへ進出した中小企業らしい。海外進出を考える企業の担当者が何か参考書を手に取るとしたら、法務・会計・税務といった分野が一般的になるのだろうが、人間や文化といった生ものを相手にせざるを得ない以上、本書のようなエスノグラフィを読んで具体的に起こり得る問題を考えるのも必要だろう。
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