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2011年5月18日 (水)

ジェミル・アイドゥン『アジアにおける反西洋主義の政治学:汎イスラーム主義および汎アジア主義思想における世界秩序観』

Cemil Aydin, The Politics of Anti-Westernism in Asia: Visions of World Order in Pan-Islamic and Pan-Asian Thought, Columbia University Press, 2007

・19世紀後半から20世紀前半まで、主にオスマン帝国期トルコの汎イスラーム主義と明治以降の日本における汎アジア主義とに焦点を合わせ、比較思想史と国際関係論の枠組みの中で「反西洋主義」思想の動態的過程を考察するのが本書の趣旨である。「東洋」対「西洋」という対立図式が現代史の中でどのような相互作用を示したのか、こうした問題を大きく捉える上で叩き台となる見取り図が提示されている。

・最初の世代の改革派知識人たち(日本の福澤諭吉、トルコのNamık Kemalなど)は、西洋化を自分たちの文化的アイデンティティーと矛盾するとは考えず、西洋文明の啓蒙的・普遍的価値観を受容→文明国の仲間入りをすることで西洋と対等な関係になれると楽観的な見通しを持っていた。
・しかし、西洋中心の帝国主義的秩序の現実→「文明化の使命」を称する一方で、彼ら自身の主張している「文明」の基準に反している矛盾、キリスト教や白人の優越性という疑似科学的根拠への疑問→対抗的なビジョンとして汎イスラーム主義や汎アジア主義。
・他方で、近代への企てを「西洋」そのものから分けて捉える発想。西洋と東洋との対等な関係を主張する際に、その基礎として民族自決、文化的多様性、人種の平等といった西洋のリベラルな思想的系譜に由来する普遍的価値観が反西洋主義を根拠付けていた点も指摘される。
・1880年代までほとんどのオスマン期知識人は自分たちをヨーロッパに近いと考え、日本と同じ「東洋」に属するとは考えていなかった。ところが、「西洋」に圧倒されている「東洋」という自覚から、1890年代以降、日本と同じ「東洋」という言及が見られる。
・日本の「東洋」観でも範囲は中華圏に限定され、オスマン帝国やイスラーム圏は本来含まれていなかった(例えば、エルトゥールル号事件関連の報道でもアジア・アイデンティティー共有の態度を示すような記事は見られず)→20世紀への変わり目から日露戦争のあたり以降、この範囲はインド以西にも広がる。日本とイスラーム圏との直接の交渉は限定されていた一方で、むしろヨーロッパでの言論を通して間接的に相互認識を深めた可能性。
・日露戦争→従来、西洋中心の帝国主義的秩序を「文明化」と称して正当化していた西洋の優越性/東洋の後進性という言説枠組が日本の勝利によって崩れた。日本は西洋文明にキャッチアップした上で軍事力によって列強に仲間入り→社会進化論的認識が広がる。また、西洋に対抗するという目的によって汎イスラーム主義や汎アジア主義の言説が国際政治的な現実の中に組み込まれ始める。
・第一次世界大戦→オスマン帝国は汎イスラーム主義的プロパガンダを動員し、ムスリム世界における民族自決の観念を一般化させることに成功→英仏もアラブの独立を約束して対抗→こうした対抗言説の相互反応を通して、「西洋」中心の帝国主義的秩序の正統性を崩し、アジア諸国の民族自決を容認せざるを得ない気運が生み出された→この点で汎イスラーム主義はウィルソンの民族自決主義や社会主義の国際主義と同様の役割を果した。
・オスマン帝国期知識人たちは戦争には敗れてもウィルソン主義を歓迎。領土は縮小されてもトルコという国民国家として西洋諸国と対等の関係になれると期待→汎イスラーム主義を放棄。ムスタファ・ケマルもギリシア軍侵入という事態に直面して汎イスラーム主義を動員したが、ギリシア軍撃退、ローザンヌ条約で一定の地位が認められた(ウィルソン主義を掲げつつも、理想ではなく武力で勝ち取った民族自決)→1924年3月、カリフ制廃止、汎イスラーム主義の放棄。
・日本の汎アジア主義の矛盾。日清・日露戦争を通して領有した台湾・朝鮮半島等→「文明と進歩」という大義名分の下で植民地支配を正当化→その後の帝国主義的拡大においては汎アジア主義(公的に改訂されたものであって、以前の汎アジア主義とは異なる)を正当化に利用。中国侵略という現実は正当化できない矛盾→対米開戦は「西洋と東洋の対立」という言説によってこの矛盾を覆い隠せるようになった(とりわけ進歩的知識人からアジア主義に向かった人々は安心)。他方で、汎アジア主義に基づくプロパガンダ→アメリカ側も日本との対抗、さらには戦後において中国・インドなどとの協力を取り付ける必要から、アジア諸国の脱植民地化に留意しなければならなくなった。

・以下は、本書の議論を踏まえた現代の問題に対する示唆。汎イスラーム主義にせよ、汎アジア主義にせよ、西洋中心の帝国主義的秩序に対抗するための戦略として主張された言説であった→これを文明論的に同質性を持った枠組みとして固定化して捉えてしまうと「文明の衝突」論のように異質性だけを強調する議論へ導かれてしまう危険。
・タゴール、ハリル・ハリド、サイード・ハリム・パシャ、孫文、岡倉天心などの西洋文明に対する批判は、戦間期になると西洋の知識人にも大きな影響を与えていた→部分的ではあっても生じ始めていた西洋側の動揺や変化をその後のアジア主義者は無視、過去の議論を選択的に取り上げながら西洋批判のロジックに固執(本書では大川周明を例示)→仲間内以外の世界に向けてアピールする力を失った。批判する相手との対話の可能性がなくなると、自分たちを正当化するためだけの非建設的な言説に終わってしまう問題(※本書で言及はないが、例えばジンバブウェのムガベが繰り返す、何でもかんでも欧米のせいだから自分の行為は正当化される、という主張はまさしくこのタイプだろう)。

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