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2011年5月23日 (月)

エリック・エンノ・タム『雲駆け抜ける馬:スパイ、シルクロード、現代中国の台頭にまつわる物語』

Eric Enno Tamm, The Horse that Leaps through Clouds: A Tale of Espionage, the Silk Road and the Rise of Modern China, Counterpoint, 2011

 フィンランド独立の英雄として有名なマンネルへイム(Carl Gustav Emil Mannerheim、1867~1951年)。スウェーデン系貴族で男爵の称号を持つ家柄に生まれたが、当時フィンランドを支配していた帝政ロシアの軍人となり、彼のスマートな物腰は軍隊ばかりでなく社交界でも注目を浴びた。第一次世界大戦およびロシア革命でフィンランドは独立を宣言、続いて起こった内戦では白衛軍司令官として赤軍を押さえ込んで国情を安定させる。しばらく一線を退いていたが、1939年、第二次世界大戦の勃発と共にソ連軍が侵攻してきた際には再びフィンランド国軍最高司令官としてこれを撃退。1944年から46年にかけては大統領を務め、ソ連との困難な講和を成し遂げて中立路線への道筋を開いた。

 ところで、マンネルへイムは帝政ロシア軍将校だった頃、1906~08年にかけて中央アジア探検を行なっており、そのときの日誌も刊行されている。本書は、同じルートを著者自身が実際に踏破、日誌を折々参照しながら道中の体験を100年前のマンネルへイムに重ね合わせながら書き進められたルポルタージュである。著者はエストニア系カナダ人で、マンネルへイムを尊敬していた父から彼の話を聞きながら育ったらしい。エストニアとフィンランドは言語的に非常に近い関係にあるため、同様にソ連軍の侵略を受けた際、マンネルへイムの徹底抗戦への呼びかけはエストニア人の士気も鼓舞したのだという。現代史に関心のある人なら、圧倒的な戦略差を跳ね返して奇跡的にソ連軍を撃退したいわゆるマンネルへイム線で彼の名前を知っていることだろう。中央アジア探検というのは意外なテーマかもしれないが、彼は同じ探検家としてスヴェン・ヘディンと親交があり、そのヘディンが彼への友情からヒトラーに対してフィンランド支援を促したという事情もあるので、間接的には現代史にも関わってくるとも言える。ただし、マンネルへイム自身はヒトラーやナチスに対してあまり良い感情は持っていなかったらしい。

 マンネルへイムは1906年にサンクト・ペテルブルクを出発、モスクワを経てヴォルガ河を下ってカスピ海へ出る。アゼルバイジャンのバクーから現在のトルクメニスタンに渡り、さらにウスベキスタン、カザフスタン、クルグズスタンを通過、天山山脈を越えて新疆ウイグル自治区に入り、カシュガル、ホータン、グルジャ、ウルムチ、トルファンを回る。敦煌から河西回廊に沿って黄河流域に出て、西安、太原、五台山、フフホトを経由、1908年に北京に到着。

 なお、マンネルヘイムは新疆を通過する際、中国人の役人から馬達漢という漢字名を与えられた。馬はイニシャルの音訳、「達漢」は漢土つまり中国領へやって来たという意味。ところが、マンネルヘイム自身は「馬が雲を駆け抜ける」と意訳して日誌に書き記しており、これが本書のタイトルの由来である。西トルキスタンから中国領東トルキスタンへと入る際に越えた天山山脈の雲間まで聳え立つ険峻なイメージを重ね合わせたのだろうか。

 彼が探検旅行に出発したのはまさに帝国主義がクライマックスに達していた時代、英露間のいわゆるグレートゲームがそろそろ大詰めにさしかかり(彼が旅行途上にあった1907年には英露協商が結ばれる)、前年には日露戦争に敗れたため、中国情勢もにらみながらロシア国境地帯の最新状況を把握する必要に迫られていた。そのため、彼はロシア軍人という身分を隠し、フィンランド人の学術探検という偽装の下で出発、途中、イギリスへの対抗上ロシアと同盟関係にあったフランスとの連携によりポール・ペリオの探検隊に加わることになった。ただし、ペリオとの折り合いは悪く、「中国政府とトラブルになったらお前の身分は正直に言うからな」と念押しされていたらしい。ちょうどオーレル・スタインと発掘競争をしていた時期でもある。ウルムチでは義和団事件の責任を問われて配流されていたDuke Lan(載瀾?)と会い、ショーヴィニストという先入観とは異なって穏やかな彼の応対に驚いたり、五台山では前代ダライ・ラマと会い、チベット人が漢人によって圧迫されている窮状を訴え、ロシアが支援してくれないならイギリスに頼ると言うのを聞いたりもしている。

 同じルートをたどる現代の著者にとっても、行く先々で政治的にナーバスな問題と出くわす点では変わらない。バクーではアルメニア人とアゼルバイジャン人との民族紛争を目の当たりにして、クルバン・サイード『アリとニノ』(以前にこちらで取り上げた)を薦められて読む。トルクメニスタンではニヤゾフが死ぬ直前の統治体制を実感。とりわけ問題となるのが中国の少数民族問題である。著者は出発前に中国大使館でヴィザを申請したところ拒否されていた。海外亡命中のチベット人、ウイグル人(核実験による放射能被害を調査して亡命せざるを得なくなったアニワル・トフティEnver Tohtiさんの名前も挙がっていた→以前にこちらで触れたことがある)、法輪功、民主化運動家などにインタビューしたことがあり、その中に中国政府の内通者がいたらしい。しかし、エストニアがソ連から独立した際に一族の国籍も回復されていたとのことで、カナダ国籍ではなくエストニア国籍で申請したところ許可されたという。

 ウルムチで開催されていたマンネルへイムの新疆入り100周年の学術シンポジウムに出席。主催者は中国の国境問題研究センター(the Borderland Research Centre)前所長のMa Dazheng、「テロへの戦争」という名目でウイグル人弾圧を正当化する議論を展開していた人物らしい。話をメモしていたところ、覗き込んできた中国側出席者から「東トルキスタンではなく新疆と書くように」と注意を受けるシーンがあった。甘粛省内のチベット自治区にあるLabrangでは、自分の故郷を見たいと言って密かに亡命先のインドから戻ってきている青年僧に出会う。漢民族への同化によってモンゴル語話者が減少していることを嘆く人と、いや現在の中国政府の言語政策はよくやっているという人、二つのタイプのモンゴル人学者に出会っているのも興味深い(モンゴル人学者でフィンランド留学経験者が複数出てくるのは、ウラル・アルタイ語族研究のためか。現在ではこの括りは外されているようだが)。言語的・文化的アイデンティティーを喪失しつつある少数民族によって自文化の再構築は切迫した問題だが、例えば裕固族(Yugur)にとってマンネルへイムの日誌は貴重な史料になるそうだ。

 ウイグル人からすると、ロシアという抑圧的な隣の大国から独立を勝ち取ったフィンランドは見習う対象になるのだろうと指摘されている。ただし、マンネルヘイムが帯びた性格の二重性は微妙な問題もはらんでいる。フィンランド人にとって彼は独立の英雄であったが、中央アジア探検の時点で彼は帝政ロシアのスパイであった。フィンランドの研究者から彼の探検の民族学的・地理学的側面は注目されるにしても、軍事的・地政学的な重要性は比較的軽視されていると指摘される。そこにはやはり自分たちの英雄がロシア帝国主義の手先になって働いていたことを認めたくないという動機が働いているのだろう。他方で、中国側研究者はマンネルヘイムの活動を中国分断・侵略の計画(少数民族への「扇動」も含めて)があった証拠だと捉え、この議論はさらに現代において少数民族の「独立」運動を祖国防衛の観点から抑圧すべきという論拠へとつなげられてしまう。立場や思惑の相違によって議論の力点の置き方も全く異なってしまうのは本当に難しいところだ。接点をつなぎ合わせるには、やはり様々な議論を可能にすべく、著者が期待するように民主化の方向を模索するしかないのだろう。

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