ケネス・ルオフ『紀元二千六百年──消費と観光のナショナリズム』
ケネス・ルオフ(木村剛久訳)『紀元二千六百年──消費と観光のナショナリズム』(朝日選書、2010年)
「ファシズム」という用語は単に曖昧というばかりでなく、ある種の禍々しさをイメージとして喚起させ、その含意によって感情的な罵倒語として使われることがある。本書ではドイツやイタリアとの共通性に着目するため敢えてこの「ファシズム」概念が分析用語として用いられているが、そうしたレッテル貼り的なものとは区別して読む必要がある。 「ファシズム」とは単に反動なのではない。むしろモダンな現象である。すなわち、大衆消費社会が成立し、人々は消費という一見個人的な行動を通して国民的一体感への自発的な参与をしていく、そうした逆説的なメカニズムの分析が本書の基本的な視座をなしている。
ヒトラーやムッソリーニに相当するようなカリスマ的なアジテーターは日本にはいなかった。その代わり、万世一系の天皇というフィクショナルな国史がカリスマの代役を果たしていたと指摘される。神話的観念は、その内容だけを見ると時代錯誤にも見えるが、これがシンボルとなって儀礼に向けて全国民を動員していく技術装置(鉄道、放送など)は近代そのものであった。皇紀二千六百年(昭和十五年、西暦一九四〇年)は日中戦争の泥沼にはまり、太平洋戦争直前という暗い軍国主義の時代だったと一般に考えられている。ところが、消費活動を見るとむしろ活発で、決して暗くはなかった。百貨店は皇紀二千六百年を祝した催事によって消費者の購買意欲をかき立て、国家の史蹟めぐりや植民地への旅行は余暇であると同時に国家への帰属意識を再確認する機能を果たした。従って、当時の日本の政治体制は、上から国民を押さえつけていたのではなく、むしろ広範な国民の自発的参加によって成り立っていたと捉える視点を示すのが本書の趣旨となる。
戦争を画期としてその前後を断絶と捉えるのではなく、経済力や人々のメンタリティーの近代性という点ではむしろ大正・昭和初期と戦後とには戦争をはさんで連続性があるという捉え方は私自身としても実感しているところなので、見取り図としておおむね肯定できると思う。どうでもいい蛇足だが、歓喜力行団などを取り上げてナチス時代ドイツ市民生活の消費社会的明るさを指摘している本をむかし読んだ覚えがあるのだが、何だったか忘れてしまった。
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コメント
近年、歡喜力行團を取り上げた本と言ふと、田野大輔『魅惑する帝国 政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会、二〇〇七年)あたりでせうか。
投稿: 森 洋介 | 2011年5月 8日 (日) 02時25分
そうですそうです、一冊は確かにその本です。ありがとうございます。あと、もっと昔に「世界の歴史」シリーズのような概説的な本でもあったような気がしているんですが、そちらが思い出せません(苦笑)
投稿: トゥルバドゥール | 2011年5月 8日 (日) 09時24分
こんにちは。歓喜力行団については次の本で読んだ憶えがあります。
ナチズムの記憶 / 山本秀行. -- 山川出版社, 1995.7. -- (歴史のフロンティア)
投稿: 書物蔵 | 2011年5月 8日 (日) 10時39分
あっ、その本だったかもしれません。
皆様、矢継ぎ早にご教示いただきまして、本当に恐縮です。
投稿: トゥルバドゥール | 2011年5月 8日 (日) 19時30分