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2011年5月15日 (日)

李筱峰《林茂生・陳炘和他們的時代》

李筱峰《林茂生・陳炘和他們的時代》玉山社、1996年

・日本植民地支配下台湾において知識エリートとして重きをなしていた林茂生と陳炘。台湾民族運動では穏健派に属していた二人だが、皇民化運動に巻き込まれて否応なく皇民奉公会(大政翼賛会の台湾版)の役職に就かされ、日本の敗戦によって祖国復帰を喜んだのも束の間、今度は大陸出身者による差別待遇、失政や腐敗を目の当たりにして幻滅、1947年の二・二八事件で二人とも命を奪われてしまった。戦前・戦中・戦後にわたって彼らが歩んだ軌跡をたどることで、二人の生涯に縮図として込められた台湾近代史の悲劇的な矛盾を見つめなおす。

・林茂生は1887年、台南の生まれ。父の林燕臣は儒者だったがキリスト教に改宗、その関係で林茂生は長老教会学校で学ぶ。成績優秀だったため(台北の杜聡明と並び称される)日本へ留学、同志社中学、第三高等学校を経て東京帝国大学に入学、文学部で東洋哲学(とりわけ陽明学に関心)を学び、1916年に卒業、台湾人として初の文学士。この頃、東京の台湾人留学生の民族団体に所属。台湾に戻って長老教会学校、台南師範学校、台南高等商業学校で教鞭をとる(高等官待遇)。また、林献堂たちの台湾文化協会にも講師として参加、文協が左右分裂した頃、台湾総督府の公費でコロンビア大学へ留学。ジョン・デューイに師事して台湾人初のPh.D.をとる。博士論文は、日本の植民地教育政策によって台湾人生徒の自主性涵養が阻害されていることを批判する内容。

・陳炘は1893年、台中の生まれ。公学校、国語学校を経て日本へ留学、慶應義塾大学理財科を卒業。林茂生と同様、台湾人留学生の民族団体に所属。さらにアメリカへ留学してコロンビア大学のビジネススクールを修了。台湾へ戻ると、林献堂の肝煎りで大東信託株式会社を興して経営にあたる。初の台湾土着資本による金融機関だが、民族運動の経済的自衛行動という意味合いもあった。ただし、戦争中に台湾信託株式会社へと合併される。

・1941年成立の皇民奉公会で役職に就いた彼らを「漢奸」「親日派」として糾弾して果たして済むのだろうか?という疑問を提起、「絶対的抗日史観」「大漢族主義」を単純に適用するだけでは見落とされてしまう彼らの板ばさみになった苦衷を汲み取って理解しようとするのが本書の趣旨となっている。そもそも植民地支配下でも彼らの言動から漢民族意識をうかがうことはできる。他方で、台湾民族運動は左右に分裂してラディカルな左派はすでにつぶされてしまい、台湾総督府は彼らのような穏健派を懐柔・取り込みの対象としており、かつ時局が厳しくなるにつれて彼らには逃れる術は事実上なくなっていた。陳炘が日本人右翼の宮原武熊と結成した「東亜共栄協会」も非難の原因となったが、実際には同床異夢の組織で、台湾人の立場を守ろうという意図があった。
・つまり、植民地統治下、日本という支配者の圧倒的な力を前にしながらも台湾人の地位向上のために現実的な妥協を図らざるを得なかった点では、例えば根本敬『抵抗と協力のはざま──近代ビルマ史のなかのイギリスと日本』(岩波書店、2010年→こちらで取り上げた)で示されている「抵抗と協力のはざま」という行動様式と同様の意図を見いだすことができるだろう。本心を隠さざるを得ない不自然なパーソナリティー(「不能講老實話」的「非自然之人」)を強いられた彼らは、日本の敗戦によってようやく自分たちの民族意識=漢民族意識をおおっぴらに主張できるようになった。そうした喜びから三民主義を学習、中華民国への復帰を祝したのも束の間、新たに大陸からやって来た支配者の実際の振る舞いは自分たちの考えた理想の「祖国」との間に大きなギャップがあることに気づき、失政や政治腐敗、何よりも台湾人への差別待遇について意見を提起し始める。しかし、新来の支配者は言論の自由を許さない。彼らは再び「不能講老實話」の態度を強いられた末に1947年の二・二八事件で林茂生は連行されて行方不明となり、陳炘は処刑されてしまった。

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