曾士榮『「本島人」から「本省人」へ:台湾民族意識の起源と展開』
Shih-jung Tzeng, From Honto Jin to Bensheng Ren: The Origin and Development of Taiwanese National Consciousness, University Press of America, 2009
・日本による植民地統治、戦争、日本の敗戦に伴う中国国民党の台湾接収といった時代的転変に伴い、アイデンティティーの大きな揺らぎを経験してきた近代台湾。本書は、陳旺成(Chen Wangcheng、1888~1979)と呉新榮(Wu Xinrong、1907~1967)という二人の知識人がつけていた日記を史料として用い、時勢の変転に応じて彼らがどのようなコメントを記していたのか、あるいは読書傾向からどのような思想的態度が読み取れるのかを検討、そこから日本、中国、台湾という三つの位相が絡まりあった民族意識の多面的な変遷過程を時系列に沿って分析する。分析視角としては、主にベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」で示された議論枠組が応用され、ナショナル・アイデンティティーは状況的連関の中で構築されたものと捉える立場に立っている。
・陳旺成は教師生活から出発、しかし日本人同僚との不和、その背景として植民地という差別構造の中での「本島人」と「内地人」との対立→両者の相互反応的プロセスの中から「本島人」=台湾人意識が自覚される。台中で林献堂たちの知識人サークルに加わり知的刺激を受けたほか、台湾文化協会の活動を通して台湾全島レベルでの社会的ネットワーク。蒋渭水を支持→台湾民衆党創立者の一人となる。前近代的な漢民族意識よりも、自由・平等・政治的自治などの近代的価値に基づいた権利観念による民族意識を抱く。
・呉新榮は東京留学中に留学生の民族団体に所属、リベラリズムや社会主義などの政治思潮の影響を受けた。
・二人とも左翼シンパ的な民族意識から反植民地運動に参画し、台湾総督府から疑われる立場にいた。他方で、台湾人/日本国民というダブル・アイデンティティー→先行研究では皇民化運動による文化・宗教政策による影響が重視されていたが、対して本書では戦争の展開に伴う政治動向によるインパクトの方が大きかったと指摘される。つまり、戦前は植民地支配の差別構造への不満や漢民族意識に基づく日本への反発があったが、戦争が勃発すると欧米という共通の敵を想定、運命共同体的な意識(日本が敗れたら台湾もアメリカにやられる)、緒戦の勢いを見て日本は勝つと思った→ダブル・アイデンティティー。政治傾向としては日本国民だが、文化傾向としては台湾人意識を保持。
・日本の中国侵略に対しては同じ漢民族意識から大陸の同胞への同情があった。ところが、日本の占領地域拡大(→台湾人の活動領域も飛躍的に拡大)、雑誌・映画などのメディアを通して当局寄りの言説に触れて中国認識も変化→台湾人は中華民族の一員というよりも、東アジア人(「大日本帝国」「大東亜共栄圏」)の一員という意識へと変化。例えば、呉新榮は日本国民アイデンティティーが強まる一方で、漢民族意識は後退、同時に台湾土着の文化を調べなおすなど台湾人アイデンティティーへと変化。
・日本の敗戦、中国国民党の台湾接収という局面に入って、二人とも中華民国への帰属を歓迎した。ところが、その中国人アイデンティティーには三民主義学習などによって想像された祖国意識による過剰な思い入れがあったため、国民党政権の実際の施策を目の当たりにして幻滅。
・大陸出身者やまだ引き揚げ前の日本人と比べて自分たち台湾人の待遇が低い→中国人・日本人と区別するため「本省人」という表現が用いられた(初出は1945年11月初旬、この時点では原住民を含まず)→国民党政権による新たな差別構造に対して台湾ネイティヴの地位を守るためのイデオロギー的手段として「本省人」アイデンティティー。
・日本統治期に経験した近代性が「本省人」アイデンティティーの一部となり、日本との対比によって大陸出身者による失政や腐敗を批判する論拠となった。これに伴い、同胞としての中国人意識は急速に薄れていく。他方で、「外省人」(この表現は1945年12月の時点で初出)には抗日意識が強いため、こうした台湾ネイティヴの批判に対しては中華民族意識が足りないと猛反発→抗日ナショナリズムが「外省人」アイデンティティーの一部となる。近代性に基づく「本省人」アイデンティティーと中国ナショナリズムに基づく「外省人」アイデンティティー、すなわち日本経験が対照的な形で表われた二つのアイデンティティーがぶつかり合う構図となった。こうした亀裂は二・二八事件で爆発、白色テロなどでさらに深まっていく。
・その後、陳旺成は無党派の立場から役職などにも就いたが、国民党への入党を勧誘されても固辞→台湾人意識の暗黙の表われ。
・冷戦構造が固まる中で海峡を挟んだ対立も膠着状態→呉新栄は台湾の孤立と考えたが、同時にほぼ台湾サイズの政治的枠組が成立、さらには事実上の独立政体として捉えることもできるわけで、これもまた呉の「本省人」意識を形成。
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