川本三郎『マイ・バック・ページ──ある60年代の物語』
川本三郎『マイ・バック・ページ──ある60年代の物語』(河出文庫、1993年)
近々公開予定の映画「マイ・バック・ページ」の原作。私は川本三郎のファンで、当然この本のことも知ってはいた。しかし、1960年代という時代に私はあまり興味がないので読んでおらず、この機会に手に取ってみた。
1960年代、川本青年は朝日新聞社に入社、出版局に配属され、新米雑誌記者として動き回り始めたばかり。学生運動が昂揚していた世相。私的回想を通して当時のカウンター・カルチャー的雰囲気の一端を垣間見ていく。出会った人々の様々な表情をつづった前半の方が私は好きだが、重点は後半に置かれている。
取材中に出会った過激派のK。情熱的な理想家というよりも何かコンプレックスから目立とうとしているタイプで胡散臭さを感じつつも、彼の言葉のいくつかに川本青年は反応して感情移入していく。そのKが革命と称して自衛官を殺害、川本青年も事件に巻き込まれてしまった。一市民の義務として警察に通報すべきなのか。情報源秘匿というジャーナリズム倫理を守るべきなのか。正直なところ、Kの行為には正義や潔癖さとは違った何かイヤなものを感じている。他方で、警察へ出頭せよという会社側の圧力への反発もあり、意固地になってしまう。「どうせ心中するなら、Kよりも山本義隆や秋田明大の方が良かったなあ」という自嘲的なつぶやき、だがこれは地位や名声でKを差別することでもあり、そうした自身の俗物根性的なものも正直に告白している。結局、証拠隠滅の罪状で執行猶予付きの有罪となり、会社は懲戒免職となった。
青春の蹉跌、その苦さを噛み締めるノスタルジー。私自身としては当時の学生運動への共感はほとんどない。だが、川本さんの筆致は、単に感傷に浸るのではなく、自身が抱えた古傷を、おそらく居た堪れない当惑に動揺しながらだとは思うが、率直に見つめなおそうとしている。私語りだが当時の自身から適度に距離を取ろうとしている。この微妙な間合いによって、川本青年の“青くささ”と時代的雰囲気との関わりを一連なりのものとして感情的な襞を浮かび上がらせてくる。肯定/否定という硬いロジックの罠に陥らず、時代の感情的側面を描き出そうとしている意味で文学的な回想だ。こういう川本さんの文章はやはり好きだな。
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