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2011年4月 3日 (日)

大澤真幸『生きるための自由論』、橋本努『自由の社会学』

 自由な存在としての私の意志はいったいどこに由来するのか。心の中に生ずるのか、それとも外的要因によって動かされているのか。脳科学の進展は後者の説得力を強めているようにも見える。だが、科学的研究成果がいくら精緻化してきたとはいっても、そこにこだわっているだけでは問いの論理構造そのものは結局のところいわゆる「スピノザの石」のレベルと全く同じ地点で堂々巡りするだけになってしまうようにも思われる。

 大澤真幸『生きるための自由論』(河出ブックス、2010年)では、第三者の審級という著者独自の用語を用いながら社会的関係性の中で自由が把握されている。「他者の視点から捉えたときに、私の行為は、承認や否認の対象になる。他者(第三者の審級)は、私の行為を肯定的若しくは否定的に評価する。他者(第三者の審級)に承認されるような行為を採用したとき、私は、妥当な行為を選択したことになる。逆に、他者(第三者の審級)に否認されたとき、私は、不適切な行為を選択したことになる。他者の肯定・否定のまなざし、他者の審問から独立に、私の行為の「選択」という現象自体がありえないのだ。それゆえ、自由は、本来的に社会的な現象である。」「私は、その他者(第三者の審級)の承認(・否認)のまなざしを、信用取引のように、先取りしながら行為することも可能になる。その場合、私の行為は、他者(第三者の審級)の審問への応答responseという形式をとることになる。したがって、私の行為は、他者の意志や欲望に、つまり想定された他者の欲望・意志に規定される、まさにそのことにおいて、自由な選択たりうるのである。」「…自由は、自己と他者との狭間、二つの視点の狭間に生ずる。私が、他者の視点、私の行為を承認したり否認したりするかもしれない第三者の審級の視点を内面化した行為したとしたらどうであろうか。その場合こそ、私は、自分の行為をモニタリングしながら、つまり意識しながら、行為を選択していることになるだろう。意識とは、このように、他者の視点の自己への内面化の産物である。それは、自由な行為の前提条件ではない。むしろ、意識は、自由な行為の帰結である」(80~83ページ)。だが、不本意な出来事に遭遇したときそこに意味を持たせる参照枠組み=第三者の審級が撤退し、したがって自由そのものの基盤が失われつつあるところに現代社会の特徴を指摘、行動面での自由が増している一方、空虚感・閉塞感が感じられているという逆説が見いだされる。

 橋本努『自由の社会学』(NTT出版、2010年)は、自由な社会を構想する上で必要な三つの条件を提示し、それぞれを踏まえて思考実験的な代替提案も検討しながら現代社会が抱える個別イシューを一つ一つ考えていく。第一の「卓越(誇り)」原理は尊厳→誇り→卓越という連鎖をとり、各自それぞれが自らの尊厳を持って生きていけるような条件を整備することで、消極的な自由を積極的な自由へと転成させていくように促すことが意図されている。第二の「生成変化」原理は偶有性→変化→生成→成長→進化という連鎖をとり、社会環境が固定的に停滞して抑圧的にならないよう常に新たなものへと変化を促していくこと。「自由な社会は、人生も社会システムも、他であり得る可能性に開かれていなければならない。諸々の潜在的可能性は、実際には現実化できないとしても、理論的には発見していくことができる。少なくともそのような発見は、自由な自我と自由な社会の統治力の両方を育んでいくだろう。自由は、現実的な制約のもとで、機能的代替物の可能性を探るという、思考実験的な性質を帯びている。自由な社会とは、人々が現行のアーキテクチャーを疑い、他のアーキテクチャーを選択肢として構想できるような社会である。自由な社会は、現行のアーキテクチャーが不完全かどうかに関わりなく、代替的なアーキテクチャーが多様に構想され、可視化され、討議されるような社会でなければならない」(148ページ)。第三の「分化」原理は画一的社会批判→分散統治→その補完術→創造的多様性という連鎖をとる。各自が未知の可能性を模索していくところに自由の本意が見いだされており、かなりポジティブな議論だという印象を受けた。

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