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2011年4月

2011年4月28日 (木)

ハオ・チャン『梁啓超と中国における精神史的変遷:1890─1907』

Hao Chang, Liang Ch’i-ch’ao and Intellectual Transition in China, 1890─1907, Harvard University Press, 1971

・科挙受験者としてエリートになることが期待されながらも康有為に傾倒して変法運動に身を投じ、戊戌政変では命からがら日本へ亡命、その後も時に政治家として、時にジャーナリストとして独特な存在感を示した梁啓超。 西洋列強の進出による清朝の政治的動揺、いわゆるウェスタン・インパクトによって自覚された中国伝統思想と西洋近代とをどのように折り合いをつけたらいいのかという戸惑い。大きな転換期にあって近代中国の行方を模索した梁啓超の幅広い言論活動からは、こうした問題意識の一つの縮図を見て取ることができる。彼の発言には時代的に一貫性がないとも言われる。しかし、逆に考えるなら、手探りしながら西洋近代の知見を摂取(日本の明治啓蒙思想も介在)、情勢の変転を見ながら試行錯誤でロジックを組み立てようとしていた苦闘には、むしろ一貫性がないからこそ生身の知的格闘が醸し出す真摯な迫力が見出されるだろう。

・先週、検索中にたまたま存在を知って古書店に注文した本。ざっと目を通したが、何だか風邪気味で頭がぼんやりしているので、読みながらとった簡単なメモだけ。
・彼の言論は時代によっても、どこに力点を置いて理解するかによっても、浮かび上がってくるイメージは違ってくる。本書は、新儒学や康有為から受けた影響に始まり、西洋文明を摂取しながら彼の中でも変転していく内在的な思想展開を整理(侵害革命前まで)。1960年代半ばに提出された博士論文がもとになっており、指導教官はベンジャミン・シュウォルツらしい。
・停滞した伝統中国→変革するには?→西洋近代を成り立たせている活発で活動的な個人モデル、進取の精神と比較、運命屈従ではなく人間の努力によって切りひらく人間観→伝統思想における静寂主義を批判する一方、個人の内面において活動への動機を促すダイナミズムとして新儒学(とりわけ陽明学)の唯心論的発想に注目、公共心(日本の武士道、幕末の志士たちは陽明学の影響を受けていたとする指摘は、例えば蒋介石などにも受け継がれている)。
・社会ダーウィニズムの摂取→闘争による世界の進歩という観念→弱肉強食の世界の中で生き残るには?→「群」としての凝集力(加藤弘之の影響→功利主義的人間観を受け容れた一方で、闘争のために個人同士が助け合うという考え方、と梁は理解)、国民国家の形成。国民主権による民主主義+国民国家。新たな国民像を「新民」と表現。集団としての「自由」を重視。ただし、外的契機への反応として「国家」と「個人」を結びつける視点が中心となったため、「国家」と「個人」/publicとprivateとの緊張関係という課題までは考えが及ばず。
・政体の正統性は、伝統儒教では「天」に由来したが、梁は「民」に転換→国民主権、公共性。ただし、共和制への移行は簡単ではない→過渡期における制度的手段として君主制。
・文化的アイデンティティを保持しながら西洋文明と伍していけるだけの近代化、国民国家形成という課題。
・世紀の変わり目の頃、革命派には反帝国主義よりも排満主義の方が大きくなってきた→満州人排除という偏狭なナショナリズムに梁は反対。漢人だけでなく他の民族も一緒に→民族主義(nationalism)ではなく理性的で幅広い国家主義(statism)。
・梁は革命家か、改革者か?→両方の要素があるが、おそらく後者。五四運動世代は伝統を全否定したのに対し、梁は部分否定。

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2011年4月26日 (火)

園田茂人編『中国社会はどこへ行くか──中国人社会学者の発言』、ふるまいよしこ『中国新声代』

園田茂人編『中国社会はどこへ行くか──中国人社会学者の発言』(岩波書店、2008年)

・中国人社会学者7人へのインタビューを通して現代中国社会が抱えている問題点をそれぞれの調査対象に即して浮かび上がらせていく構成。
・李春玲(中国社会科学院社会学研究所研究員):マルクス主義的な「階級」概念がいまだに根強い中、社会学的な「階層」概念で分析。教育格差による不平等拡大、都市中間層のフラストレーションなどを指摘。
・陳光金(中国社会科学院社会学研究所副所長):共産党に入党しない私営企業家に注目。「ニューリッチ」への「二重の評価」(羨望の対象であると同時に、不正をしていると批判)。
・王春光(中国社会科学院社会学研究所研究員):農民工の社会的地位の低さや階層的アイデンティティー→新しい労働者階級を形成していると指摘。受け容れる大都市側の消極的姿勢、戸籍制度の問題。
・関信平(南開大学社会工作与社会政策系教授):改革開放以降、労働市場の成立→セーフティーネットの問題。社会福祉を担うNGOの位置づけ。社会保障は政府の責任とする意識が中国では強い。
・劉能(北京大学社会学系副教授):ライフスタイル調査。インターネットの普及による世代間ギャップ。公共空間における社会的スキルの欠如。サイバー・スペースの中に根強く残るポスト冷戦型心性。不満を表出するチャネルとしての集合行動。
・康暁光(中国人民大学農業与農村発展学院教授):伝統回帰の趨勢を指摘。マルクス主義理念の空疎化→共産党も統治正統性獲得のため宗教としての儒教を重視すべきと主張。
・李培林(中国社会科学院社会学研究所所長):客観的状況と主観的意味づけとのギャップ。政府による資源配分の一方、「見えざる手」としての「社会」の領域が曖昧。海外と比較して社会は不平等だという意識が強い→「不平等の制度化」(不平等を生み出すゲームのルールに対する合意形成)の不在、言い換えると公正なルールを作り上げなければならない。

ふるまいよしこ『中国新声代(しんしょんだい)』(集広舎、2010年)

・単に中国というよりも広く華語圏(従って香港、台湾を含む)の様々なジャンルで活躍する18人へのインタビューを集めている。それぞれの立場から変貌する中国社会をどのように見ているのかを聞き出し、彼らの語りを切り口にして複眼的に中国を見ていく糸口となり得るところが興味深い。
・登場するのは、王小峰(ブロガー)、李銀河(性問題で積極的に発言する社会学者)、郎咸平(経済学者、何となく大前研一的なタイプだな)、連岳(ブロガー)、徐静蕾(女優)、芮成鋼(テレビキャスター)、袁偉時(歴史学者)、孫大午(農村企業経営者)、梁文道(コラムニスト)、邱震海(国際問題研究家)、曹景行(時事評論家)、尊子(風刺漫画家)、梁家傑(民主党派から香港特別行政区行政長官選挙に立候補)、龍応台(台湾出身の作家)、林清發(北京で活躍する台湾出身企業家)、賈樟柯(映画監督)、胡戈(ウェブビデオクリエイター)、欧寧(文化プロデューサー)。
・読む人の関心に応じてどこに興味を感ずるかはそれぞれだろうが、私としては、歴史学者・袁偉時と作家・龍応台の発言に興味を引かれた(二人ともいわゆる『氷点』事件に関わっている)。「正史」すなわち統治者側から提示される公定史観だけでなく「野史」の必要性。「正しい」歴史観への疑問から探究を重ねた結果、「野史」にならざるを得なくなった袁偉時、大陸に比べて台湾の「野史」の豊かさ、さらには混乱をも語る龍応台。いずれにせよ、歴史の語りを吟味・識別する判断力の広がりが必要という指摘に収斂してくる。それから、梁文道のように現体制に批判の眼差しを向けつつ現実的な判断も示すバランスのとれた姿勢にも興味。

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2011年4月25日 (月)

許介麟《日本殖民統治的後遺症──台灣VS朝鮮》

許介麟《日本殖民統治的後遺症──台灣VS朝鮮》(台北:文英堂出版社、2011年)

 台湾および朝鮮半島における日本の植民地支配を比較検討するのが本書のテーマである。台湾の読者に向けて日本による朝鮮半島侵略の経緯を紹介し、台湾との比較を促す構成になっている。50ページそこそこのブックレットという分量を考えれば、概説的な内容としては要領よくまとまっている。

 日本の植民地支配をめぐって韓国でよく見受けられる批判のロジックを台湾に当てはめ、台湾の「媚日派」はいまだに過去の清算を済ませていない、その点で韓国に比べて「脱植民地化」が終わっていない、とするのが基本的な視点である。さらに李登輝はストックホルム症候群(立てこもり事件の人質が犯人に抱く同情を指す精神分析用語)だ、八田與一を顕彰するなんて「白痴化」した奴隷根性だ、などと感情的に激しい表現も出てきて、議論としてはバランスを失している印象を受けた。親日派批判そのものについては、それぞれ立場があるわけだから私が異議を唱える筋合いはない。ただ、「べき」論から糾弾するのではなく、そういったメンタリティーがどのような歴史的・構造的背景から生み出されたのかを汲み取っていく論理的手続きがしっかりしていなければ説得力は持たないだろう。具体的な論点をめぐって実証するというよりは歴史解釈の問題が前面に出されてくるので、読者の立場によっては異論が色々と出てくるかもしれない。

 私自身としては、日本統治に近代化という一定の側面があったとしても、そもそも植民地支配そのものがその地の人々の自尊心を著しく傷つける行為なのだからやはり肯定されてはならない。その点で日本人として常に自己批判の眼を持ってバランスをとるに越したことはない、と考えている。「親日」的とされる台湾でも本書のように日本に厳しい見解もあることはきちんと了解しておく必要はあるだろう。ただし、本書の場合には学術的論証というよりも政治主張的パンフレットという性格が感じられるので、その点は割り引いて読む方がいいかもしれない。もう1点、註を見ると朝鮮半島関連の文献は主に日本人研究者のものに依拠して、韓国人研究者による研究はほとんど参照されていないことも気にかかった。

 台湾人研究者による本書のようなテーマの議論としては、他に周婉窈《海行兮的年代──日本殖民統治末期臺灣史論集》(台北:允晨文化出版、2003年)所収の第3章〈従比較的観点看台湾與韓国的皇民化運動〉を以前に読んだことがある。試論的だと断りつつも、対象時期と論点を絞って比較検討を行っており、こちらの筆致の方がバランスがとれている。なお、「海行兮」とは「海ゆかば」のことで、この本は以前にこちらで取り上げた。

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2011年4月24日 (日)

リンダ・ヤーコブソン/ディーン・ノックス『中国の新しい対外政策──誰がどのように決定しているのか』

リンダ・ヤーコブソン/ディーン・ノックス(岡部達味監修、辻康吾訳)『中国の新しい対外政策──誰がどのように決定しているのか』(岩波現代文庫、2011年)

・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の報告書(2010年)を訳出したもの。綿密な文献調査や関係者へのインタビューを踏まえて中国の対外・安全保障政策の形成過程に関与するアクターを分析。
・中国社会における多元化の進展と国際社会との相互依存関係の深まりとによって、中国の対外政策決定過程に何らかの形で関与するアクターも多元化・細分化されている。党幹部、政府官僚、軍幹部、知識人・研究者、メディア関係者、企業経営者、さらにはネチズンなど公式・非公式に多様なアクターがそれぞれの見解や利害に基づいてせめぎ合っており、外交部はこれらの中のあくまでも一つであるに過ぎない。さらにネットを通して表れた一般世論の動向も無視できず、各アクターはそれぞれ世論に向けて影響を与えたり統制したりしようとする一方、ネット世論から制約を受けることもある(例えば、アメリカ、日本、台湾、チベット問題等)。こうした複雑な政策決定過程となっている以上、外国が中国に対して働きかけを行なう場合には、中国内部の多様な集団の利害関係を勘案しなければ話が進まない、という趣旨。
・中国の国際化という方向性については各アクターによって態度が異なる。商務部、地方政府、大企業、研究者などは積極的である一方、国家発展改革委員会(エネルギー安全保障を重視)、国家安全部(人権問題、情報の透明性など西側の価値観の浸透によって秩序が乱れることを憂慮)、人民解放軍などは消極的。
・国益を積極的に主張すべきという見解は全体的に優勢。

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2011年4月23日 (土)

家永真幸『パンダ外交』

家永真幸『パンダ外交』(メディアファクトリー新書、2011年)

 もともとパンダには無関心だった中国社会。ところが、いつしかパンダは中国のシンボルとして内外共に認知されている。その背景には中国外交のしたたかな外交戦略があったというのが本書の趣旨だ。

 日中戦争で苦境にあった中華民国政府は欧米社会からの支持を取り付けるため外交宣伝工作を活発に展開していたが、その際に政治資源として活用された一つがパンダの可愛らしさ。初のパンダ外交は1941年。誠実で温和な性質というイメージ付与によって平和の象徴に仕立て上げ、また稀少な動物愛護というメッセージは「文明国として欧米諸国と同じ価値観を共有している」とアピールすることができた。

 冷戦期にもパンダは微妙な国際関係に翻弄されるが、パンダに絡めて紹介される横道的なエピソードも目を引く。例えば、アニメ映画「白蛇伝」のこと。また、雑誌『anan』(1970年創刊)のタイトルは先に中国からモスクワに贈られていたパンダのアンアンに由来するそうで、これはパンダ=可愛いという感覚を先取りしたものだと指摘、1972年のパンダ初来日の地ならし的な意味合いを持ったのだという。

 清朝末期、まだパンダに関心を寄せるほど余裕のなかった時代、パンダに関心を寄せ始めたのは欧米の研究者であったが、見方を変えれば中国自身の博物学的知識は欧米人に先取りされていたとも言えるわけで、やがてナショナリズム的なプライドに関わる問題と認識されるようになる。近年になっても、ワシントン条約など動物愛護の気運が高まる中、無条件に国外移送ができなくなったのを逆手に利用して「台湾は同じ中国国内である」→台湾に贈呈→「一つの中国」をアピールする機会に利用しようと試みたこともあった。いずれにせよ、「国家」としての範疇と地位の確立が近代中国外交の目的であり、可愛いパンダを見たいという世界の人々の気持ちを正確に把握したからこそ、その時時の外交当局者は政治的リソースとしてうまく使いこなしてきた。他方で、パンダを受け取る側も言質を取られまいと曖昧な表現で受け流していく。そうした外交上の機微が、パンダという一見政治とは関係なさそうな着眼点を通して浮かび上がってくるところがとても面白い。

 なお、初めてパンダを射殺したローズヴェルト兄弟(父親は元大統領セオドア)、次男の名前はカーミット。見覚えがあると思ったら、後にCIA諜報員としてイランのモサデク政権転覆クーデターで暗躍したカーミット・ローズヴェルトの同名の父親だった。

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食糧危機問題について何冊か読みながらメモ

食糧危機問題について何冊か読みながらメモ。近年の食糧価格高騰というトレンドについて周期的・短期的なものと捉えるのか、それとも大きなパラダイムシフトと考えるのか、あるいは市場構造の問題と捉えるのか、供給の限界として考えるのかによって今後の見通しや対応策も大きく変わってくる。ただし、どちらの立場に立つにせよ、日本の食料自給率の上昇には限界があるので、食糧安全保障という観点から、海外に長期的・安定的な食糧供給元を確保する必要があるという認識ではおおむね一致している様子。

柴田明夫『食糧争奪──日本の食が世界から取り残される日』(日本経済新聞出版社、2007年)、『飢餓国家ニッポン──食料自給率40%で生き残れるのか』(角川SSC新書、2008年)
・食糧争奪が見込まれる背景:世界的な人口増加。途上国の経済発展→食生活の変化、食の高級化。異常気象、凶作、不作、水不足。こうした背景から食糧供給の限界→食糧は石油などと同様の枯渇性資源としての性格を帯びるようになった。
・バイオ燃料(トウモロコシを原料にバイオエタノール)も食糧争奪の要因。
・政治的な思惑から輸入促進、輸出抑制などのコントロール→武器としての食糧。
・食糧価格における投機マネー→食糧争奪の趨勢を見越して表われた動きなのだから、マネーゲームとして批判するよりも、アラームと捉えるべき。
・食肉消費量の増大。食肉にはさらに数倍の穀物が必要→穀物需要の飛躍的増大。西洋型(肉食の比重大きい)か、東洋型(魚介類の比重大きい)か。レスター・ブラウン「誰が中国を養うのか」。
・工業化・都市化→水資源不足、地下水位低下、水質汚濁、都市型洪水、ヒートアイランド。
・水・土地→農業と工業とで奪い合い。
・作付面積、単位面積当たり収量を図る→理屈では良いプランであっても、現実には様々な摩擦が引き起こされる可能性。
・日本農政における減反政策の矛盾。
・現在の食糧価格変動は周期的なものではなく、パラダイムシフトと捉えるべき。
・トレンドの先を見据えて食糧安全保障の観点から大幅な政策転換が必要。減反政策(縮小再生産)ではなく、拡大再生産へ。食料自給率を上げる(ただし、大幅には無理→心理的な意味も込めて51%を目指そう)。輸入元の多角化による安定的・長期的確保。
・世界の貧困層を考慮に入れて対策→成長と環境、成長と貧困を、トレードオフではなく同時並行で追求。
・現在のコモディティー価格上昇は企業による多少の合理化努力ではカバーできない→原料価格上昇を前提に商品の値上げも容認すべき。
・「くっつく農業」と「離れる農業」(交通の発達→物理的距離、加工食品→付加価値面での格差、貯蔵機能→生産から消費までの時間がのびた)。
・アジア諸国との連携→農業開発、環境保全、効率的な食料流通。

他に、浜田和幸『食糧争奪戦争』(学研新書、2009年)、茅野信行『食糧格差社会──始まった「争奪戦」と爆食する世界』(ビジネス社、2009年)も通読。

ジャン=イヴ・カルファンタン(林昌宏訳)『世界食糧ショック──黒いシナリオと緑のシナリオ』(NTT出版、2009年)は食糧危機を放置した場合の黒いシナリオと、国際社会が協同で対応した緑のシナリオと、二つのシミュレーションを示す。最貧国支援、環境への配慮、遺伝子組み換え食品の活用、食糧自給にこだわるのではなく自由貿易の推進などを主張する。

鈴木宣弘・木下順子『食料を読む』(日経文庫、2010年)は食料価格高騰の問題を市場構造の問題として捉え、悲観的な食糧危機の見通しには批判的なスタンス。需要供給の価格メカニズムで価格動向を考える視点がないと批判。バイオ燃料原料については、農産物の過剰在庫処理という目的から始まったものと指摘。欧米諸国の自給率・輸出力の高さは競争力以上に手厚い戦略的支援があると指摘。

川島博之監修/日本貿易会「日本の食料戦略と商社」特別研究会『日本の食料戦略と商社』(東洋経済新報社、2009年)は、食糧価格高騰の市場構造的背景を解説した上で、食糧供給において商社各社が果たしている役割をアピール。執筆者は各社の担当者。

NHK食料危機取材班『ランドラッシュ──激化する世界農地争奪戦』(新潮社、2010年)は以前を以前にこちらで取り上げた。

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2011年4月21日 (木)

ジークムント・フロイト『モーセと一神教』

ジークムント・フロイト(渡辺哲夫訳)『モーセと一神教』(ちくま学芸文庫、2003年)

・出エジプト記などのエピソードではユダヤ人の子供だったモーセがファラオの皇女に拾われて云々とややこしい話になっているが、素直に考えればモーセはユダヤ人ではなくエジプト人だった、彼はイクナートンの一神教観念を持ち込んでユダヤ人を自らの民族として選び取った、つまりユダヤ人はモーセの手によって選民となった、しかしユダヤ人は彼の厳しさに耐えかねてモーセを殺した=「父殺し」になぞらえるという趣旨。忘れ去りたい出来事だったからこそ神話的脚色。この忘却された悔恨がユダヤ人の精神的基盤の中で反復強迫。
・原始状態を想定→理想像でありながらも恐れ憎むアンビバレントな対象としての父を息子たちが打ち殺した→兄弟同士で闘争状態に陥る危険性→和解、社会契約(このあたりのロジックはホッブズ的)→欲動の断念→道徳の芽生え→内面化された超自我が自我にプレッシャーをかけるという精神分析的なモデルにつながる。一神教観念は、単にモーセ殺害の悔恨だけでなく、こうした原始以来の記憶の反復として表れてきた。
・偶像崇拝の否定→感覚的知覚への蔑視→欲動の断念につながる。

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2011年4月18日 (月)

マックス・ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』

マックス・ヴェーバー(富永祐治・立野保雄訳、折原浩補訳)『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(岩波文庫、1998年)

・とりあえず以下のポイントを抑えておけばいいか。この世の諸々の事象をすべて説明しつくすことはもちろんできない。研究者自身の問題関心に従って対象を選ぶ、この対象選択の時点で一定の価値観的バイアスがかかっているわけだが、第一にそうした選択のあり方自体に彼の生きている中の時代的要請があること、言いかえると時代が変われば関心対象の選択も変化し得る。第二に、自らのバイアスを通して対象へとコミットしていることについて常に自覚しながら議論を進めていくこと→価値自由。同様に、この世の諸々をすべて確実に描きつくすことはできないのだから、事象それぞれの関連している有様を明らかにするために一定の見取り図を提示→因果連関を論理整合的に説明するためのフィクショナルな手段的描画として理念型→これはあくまでも複雑に絡まり合った生々しい事象を整理して観察するために引いた補助線なのであって、理念型と具体的実態とを混同しないように注意、むしろこの偏差から対象とする具体的実態を把握することもできる。また、因果連関の把握と「普遍的」な法則とを混同しないようにも注意すること(マルクス主義は、法則導出→プロクルステスのベッドのように現実を法則へと押し込めようとして失敗したと批判)。

・「われわれが追求するのは、歴史的な、ということはつまり、その特性において意義のある、現象の認識にほかならない。そのさい決定的なのは、かぎりなく豊かな現象のかぎりある部分だけに意義がある、という前提に立って初めて、個性的な現象の認識という思想が、およそ論理的に意味をもつということである。…なんらかの出来事を規定している原因の数と種類は、じっさいつねに無限にあり、そのうちの一部分を、それだけが考慮に値するとして選び出すための標識〔メルクマール〕は、事物そのものに内在しているわけではない。…こうした混沌に秩序をもたらすのは、いかなるばあいにももっぱら、個性的実在の一部分のみが、われわれが当の実在に接近するさいの文化価値理念に関係しているがゆえに、われわれの関心を引き、われわれにたいして意義をもつ、という事情である。それゆえ、つねに無限に多様な個別現象の特定の側面、すなわち、われわれが一般的な文化意義を認める側面のみが、知るに値し、それのみが因果的説明の対象となるのである。…ある現象の個性が問題とされるばあい、因果問題とは、法則を探究することではなく、具体的な因果連関を求めることである。当の現象を、いかなる定式に、その一範例として下属させるか、という問題ではなく、当の現象が、結果として、いかなる個性的布置連関に帰属されるべきか、という問題である。つまり、それは、帰属の問題である。ある「文化現象」──われわれの学科の方法論においてすでにときとして用いられ、いまや論理学において正確に定式化され、普通に使われるようになっている術後を適用すれば「歴史的個体」──の因果的説明が問題となるばあいにはいつでも、因果の法則にかんする知識は、研究の目的ではなく、たんに手段にすぎない。そうした法則にかんする知識は、ある現象の、個性において意義のある構成部分を、具体的原因に因果的に帰属するさい、そうした因果帰属を可能にし、容易にしてくれる。そうした効用があるばあい、またそのばあいにかぎって、法則にかんする知識は、個性的な連関の認識にとって価値がある。そして、当の法則が「一般的」すなわち抽象的になればなるほど、そうした法則にかんする知識は、個性的現象の因果帰属への欲求にとって、また、同時に、文化事象の意義の理解にとって、それだけ効用が少なくなるのである。」(86~89ページ)

・「…実在がなんらかの意味で最終的に編入され、総括されるような、ひとつの完結した概念体系を構築して、その上で、そこから実在をふたたび演繹できるようにする、というのが、いかに遠い将来のことであれ、文化科学の目標である、とする考えがあって、これが、われわれの専門学科に属する歴史家をさえ、いまだにときとして捕らえているのであるが、そうした思想には、まったく意味がないということ、これである。計りがたい生起の流れは、永遠に、かぎりなく転変を遂げていく。人間を動かす文化問題は、つねに新たに、異なった色彩を帯びて構成される。したがって、個性的なものの、つねに変わりなく無限な流れのなかから、われわれにとって意味と意義とを獲得するもの、すなわち「歴史的個体」となるもの、の範囲は、永遠に流動的である。歴史的個体が考察され、科学的に把握されるさいの思想連関が、変化するのである。したがって、人類が、つねに変わることなく汲み尽くしえない生活について、精神生活のシナ人流の化石化により、新しい問題を提起することを止めないかぎりは、文化科学の出発点は、はてしない未来にまで転変を遂げていくのである。諸文化科学についてひとつの体系を構想することは、それが、取り扱うべき問題と領域とを、確定的な、客観的に打倒する一体系に固定化する、という意味のものにすぎないとしても、それ自体、無意味な企てであろう。そうしたことを企てても、そこからはつねに、互いに異質で、ひとつの体系には統合されようもない、数多の特殊な諸観点が、つぎつぎに取り出されてくるだけであろう。」(100~101ページ)

・「…理念型は、ひとつの思想像であって、この思想像は、そのまま歴史的実在であるのでもなければ、まして「本来の」実在であるわけでもなく、いわんや実在が類例として編入されるべき、ひとつの図式として役立つものでもない。理念型はむしろ、純然たる理想上の極限概念であることに意義のあるものであり、われわれは、この極限概念を規準として、実在を測定し、比較し、よってもって、実在の経験的内容のうち、特定の意義ある構成部分を、明瞭に浮き彫りにするのである。」(119ページ)

・「…自然主義的な先入観にもとづく理論と歴史との混同ほど、危険なものはない。この混同が、上記の理論的概念構成のなかに、歴史的実在の「本来の」内容や「本質」を固定したと信ずるとか、あるいは、歴史を無理やり押し込めるプロクルーステースの寝床に、そうした概念構成を利用するとか、あるいはまた、当の「理念」を実体化して、現象の洪水の背後にある「本来の」実在、ないしは歴史において実現される実在的「諸力」と考えるとか、いかなる形態をとって現れるにせよ、それが危険な混同であることに変わりはない。」(122ページ)

・「歴史的概念の「本来の」「真の」意味を確定しようとする試みは、つねに繰り返されているが、けっして完結しない。その結果、歴史研究において不断に使用されている総合が、たんに相対的に規定された概念にとどまるか、あるいは、概念内容の一義性をぜひとも手に入れようとすれば、当の概念は抽象的な理念型となり、したがってひとつの理論的、それゆえ「一面的」観点であることが明白となってくる。実在は、この観点のもとに光を当てられ、この観点に関係づけられるが、当の観点はしかし、実在が余すところなく組み入れられるような図式には、もとより適していない。というのも、われわれがそのときどきに意義をもつ実在の構成部分を把握するために欠くことのできない思想体系は、いずれも、実在の無限の豊かさを汲み尽くすことはできないからである。これらの思想体系はいずれも、そのときどきのわれわれの知識の状態と、そのときどきにわれわれが使用できる概念形象とにもとづいて、そのときどきにわれわれの関心の範囲内に引き入れられる事実の混沌のなかに、秩序をもたらそうとする試み以外のなにものでもない。過去の人々が、直接に与えられた実在を、思考によって加工し、ということはしかし、じつは思考によって変形し、また、かれらの認識の状態と、かれらの関心の向かう方向とに応じた概念のなかに組み入れることによって発展させてきた思想装置は、われわれが新たな認識によって実在から獲得することができ、また、獲得しようとするところのものと、つねに抗争する。この闘争のなかで、文化科学的研究の進歩が達成されていくのである。その結果は、われわれが実在を把握しようとする概念の、たえざる変形の過程である。それゆえ、社会生活にかんする科学の歴史は、概念構成によって事実を思想的に秩序づけようとする試みと、──そのようにして獲得された思想像の、科学的地平の拡大ならびに推移による解体をへて──そのようにして変更された基礎の上に立つ、新たな概念構成という、この両者のたえざる交替をともなう変遷である。…むしろ、上記の命題によっていわんとすることは、人間の文化を取り扱う科学においては、概念の構成が、問題の設定に依存し、この問題設定が、文化そのものの内容とともに変遷を遂げるというこの事情にほかならない。文化科学においては、概念と、概念によって把握されるものとの関係からして、こうした〔概念〕総合のいかなるものも、暫定性をともなわざるをえない。」(145~147ページ)

・「あらゆる経験的知識の客観的妥当性は、与えられた実在が、ある特定の意味で主観的な、ということはつまり、われわれの認識の前提をなし、経験的知識のみがわれわれに与えることのできる真理の価値〔への信仰〕と結びついた諸範疇〔カテゴリー〕に準拠して、秩序づけられるということ、また、もっぱらこのことのみを、基礎としている。…科学のみが寄与できる事柄とは、経験的実在〔そのもの〕でもなければ、経験的実在の模写でもなく、ただ経験的実在を思考により妥当な仕方で秩序づける、概念と判断である。」(157~158ページ)

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2011年4月17日 (日)

【映画】「名前のない少年、脚のない少女」

「名前のない少年、脚のない少女」

 舞台はブラジル、ドイツ系住民が集まって農園を経営している田園地帯の中の小さな町。祭りが近く華やいだ気分も見られる中、少年の表情はどこか鬱屈したように暗い。彼は毎日インターネット上に自作の詩を投稿している。そして、いつも見ているサイトにあるのは、ある少女がアップしていた写真や動画。彼女は自殺したのだが、ネット上ではあたかもまだ生きているかのようだ。ある日、少年は、彼女と一緒に飛び降り自殺を図ったものの自分一人だけ生き残った男が町に戻ってきているのに出会った。一緒に車に乗り、自殺現場となった鉄橋を通りかかる。少年はこの橋を渡って向こうの世界へ行けるのか──。

 ネット上の動画で、ボブ・ディランのコンサートへ行こうよ、と誘われたことが、少年が町を出たいと考え始める直接のきっかけになる。ボブ・ディランの曲が一つのモチーフになっているのだが、私は世代的に知らないので、この映画の中でどんな位置付けになるのはよく分からない。

 ネット上で今も生き続けているかのような美少女のどこかはかなく寂しげな表情は、永遠にたどり着くことのない少年の憧れか。生還した男には、こちらの現世で生き続けなければならないもう一つの自分自身の姿を見出しているのだろうか。ねっとりと包み込むような霧の中に立ち上る町の光景や少女の映った映像、これらの白みがかった淡い色彩が幻想的に美しい。対して、自殺現場となった鉄橋がかかる峡谷に降り注ぐ穏やかな陽光も、その明るさゆえにいっそう際立った印象を残す。緑の麦穂が青々と広がる中のあぜ道、ヘッドホンを耳にした少年がただ一人歩いているシーンを見て、ふと、これは何かで見たような既視感にとらわれた。岩井俊二監督「リリィ・シュシュのすべて」だ。

 この映画はストーリーとして明瞭な筋立てが見えてくるわけではないし、ましてや先入観としてのブラジルらしさを思い起こさせる要素は何もない。むしろ、少年の心象風景をリリカルな映像詩として映し出したという感じだ。思春期特有の出口が見えない息苦しさ。それは国籍には関係なく、観る人それぞれが自らの思いをこの詩的な映像に投影しながら何かをかみしめていく、そんなタイプの映画だろう。

【データ】
監督・脚本:エズミール・フィーリョ
脚本・出演:イズマエル・カネッペレ
ブラジル・フランス/101分/2009年
(2011年4月16日、渋谷、シアター・イメージフォーラムにて)

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適当に読んだウェーバー関連書

 羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪──『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』(ミネルヴァ書房、2002年)。ウェーバーの代表的な論文『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が議論を進めるにあたって依拠していたはずのルター聖書やフランクリン自伝を精査してみると、ウェーバーは自分の議論に合うように恣意的な改竄をしていることが分かった、という趣旨。彼はなぜこんなことをしてまで自分の議論を押し通そうとしたのか?という問題意識から書かれたのが、同『マックス・ヴェーバーの哀しみ──一生を母親に貪り喰われた男』(PHP新書、2007年)。ウェーバーの家族関係に踏み込み、パーソナリティー的な背景から彼の理論展開との関係について推測を進めていく。こちらでは彼は本当は学問が好きじゃなかったんだ、とまで言い切る。あとがきを見ると、ウェーバー研究で有名な折原浩と激しいバトルを展開している様子。資料操作上の間違いは確かだとして、それでウェーバーの議論を全否定してしまうのは飛躍のようにも思うのだが…。私は専門じゃないからどう判断したらいいのか分からないけど、前著を見ると、文献考証の厳密さの割には感情的にクセの強い文体とのアンバランスが不思議な印象を受けた。

 ウェーバーのパーソナリティー上の背景から彼の理論構造を解釈しようとした伝記としてはアーサー・ミッツマン(安藤英治訳)『鉄の檻──マックス・ウェーバー 一つの人間劇』(創文社、1975年)もある。原著刊行は1971年、この頃のアメリカでは例えばエリクソンの『青年ルター』『ガンディーの真理』のように歴史上の人物を精神分析的視点から捉える伝記が流行っていたから、そうした流れの著作と言えるだろうか。

 牧野雅彦『新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』』(光文社新書、2011年)は、ウェーバーのこの有名な論文を初学者向けに解説する入門書。マルクス、ゾンバルト、ニーチェ、シュミットなどの議論と比較しながらウェーバーがこの論文を通して意図した問題意識を浮き彫りにしていく構成で、単に入門書というのではなく、比較思想史的な関心から読んでも面白いと思う。上掲羽入書の批判にも註で触れられている。同『マックス・ウェーバー入門』(平凡社新書、2006年)は同時代における議論と比較しながらウェーバーの位置付けを考える。彼はドイツ歴史主義的思考を共有しており、個別具体的な因果連関で歴史を把握→一回限りの個性的条件が重なって近代ヨーロッパが成立したと把握、言い換えると条件が違えば別の可能性もあった偶然的結果と捉えられるという指摘に関心を持った。

 高城和義『パーソンズとウェーバー』(岩波書店、2003年)はタルコット・パーソンズの議論におけるウェーバー理解を時系列的に整理している。
・英米型=実証主義的思想潮流と独型=理想主義的思想潮流との統合として主意主義的行為理論を構築しようと試みた(パーソンズは自らの試みの先駆者はマルクスと考えた。しかし、英米的功利主義による欲求充足に個人行為者の動機を求める考え方にマルクスは挑戦しなかった→この点ではデュルケム、ウェーバーの方が勝っていたと結論)。行為の「動機」理解、宗教的理念と結び付けて「価値態度」を織り込みながら理論構築をしていた点をウェーバーから学ぶ。「普遍化概念としての理念型」を機能主義的に純化、システム論により体系化。
・一方、合理化の諸過程が進展→人間がシステムに従属していくというウェーバーの「鉄の檻」のペシミズムにはパーソンズは違和感を持つ。「理念型」は方法的フィクションだが、ウェーバーの議論ではこの中に歴史具体的な意味を入れ込んで実体化しかねない危険、複雑な現実社会の事象に適用すると硬直的に一面化した見方になりかねない可能性。
・近代社会の不安定性→ウェーバーの概念を用いてファシズム分析。合理的・合法的支配としての市民社会が確立されたとしても、伝統社会に逆戻りする危険→カリスマ的パターンとしてのファシスト独裁の登場。
・「現世内的禁欲主義」→伝統社会を突破し合理化過程を徹底的に進めるテコとなるというウェーバーの議論をパーソンズは「突破の社会学」と理解して評価。
・パーソンズの価値絶対主義批判→合理的選択理論、コスト‐ベネフィット分析、市場万能論への批判。

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2011年4月16日 (土)

安達正勝『物語 フランス革命──バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』『死刑執行人サンソン──国王ルイ十六世の首を刎ねた男』、他

 フランス革命はアメリカ独立革命と共に、いま我々が暮らしている近代社会の基本的理念が政治の現実の中で具体化された初めてのケースとして画期的な出来事であったが、そればかりでなく、矛盾や暴力も絡まりあって変転する革命のプロセスそのものにドラマとしての迫力がある。日本でも例えば幕末・維新期の動乱は時代劇的エピソードの豊かな宝庫となっているが、それと同様の面白さがあると言っていいだろうか。

 安達正勝『物語 フランス革命──バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』(中公新書、2008年)は革命の進展をまさにそうした多様な人物群像の織り成すドラマとして描き出してくれる。個々の登場人物それぞれに思惑を抱きつつも、意図せざる相互反応の連鎖が大きなうねりをなして、その中で意に沿わぬ成り行きに当惑したり、裏切られたり、或いは図らずも頂点に立ったり、翻弄される悲喜こもごもの凄み。もともと開明的な君主であったからこそ革命に巻き込まれていくルイ16世、「腐敗し得ぬ」潔癖な理想主義者だったからこそ恐怖政治に突っ走っていくロベスピエール、結果として革命を成就するナポレオン等々、多彩な登場人物それぞれの内在的ロジックを明らかにしながら描かれるからこそ、この大きなうねりに巻き込まれていく姿はドラマチックだ。本来ならば歴史の表舞台に立つことのなかったはずの女性や低階層出身者が、革命をきっかけになったからこそ活躍し始めたところに注目しているのが特色と言える。エピソード豊富で面白い。

 こうした人物群像の一人として興味がひかれるのが安達正勝『死刑執行人サンソン──国王ルイ十六世の首を刎ねた男』(集英社新書、2003年)の主人公、シャルル‐アンリ・サンソンだ。身分が固定されて職業選択の自由などあり得なかった時代、人々から蔑まれながらも親から死刑執行人の家業を継いだ彼は、やはり家柄ゆえに断頭台に立つことになったルイ16世の死刑を執行する立場になる。立憲君主制支持者として、かつルイの温厚な人柄に触れたことがあって敬愛していたにもかかわらず手を下さざるを得なくなった煩悶。旧体制では身分ごとに死刑執行方法は異なり、貴族は斬首、庶民は絞首刑と決まっていた。ところが、革命ですべての人間は平等であるという理念から斬首刑に一本化された。また、従来は執行人が刀を振り下ろして首を斬っていたが、失敗して余計に苦痛を与えるケースも多かった。そこで、苦痛をできるだけ少なく機械的に迅速かつ確実に執行するという人道的配慮から考案されたのがギロチンであった(刃渡りを斜めにして確実さを高めたのは、ルイ16世自らの提案によるという。彼は刑罰の人道主義化に熱心であった上に、錠前作りという趣味からうかがえるように精密科学への造詣が深かったことも指摘される)。ところが、革命の進展につれて死刑判決を受ける政治犯が急増、本来、刑罰の人道化を目指したギロチンが、その機械的使いやすさから死刑執行数の増加に拍車をかけてしまった。サンソンはやりたくて死刑執行人をやっているのではない。凶悪犯を処刑するならばまだしも自分の仕事への納得のしようもあったが、大義名分も何もなく多くの人々が断頭台へと送られてくる状況は精神的にも耐えがたく、彼は死刑廃止を訴えるようになる。

 佐藤賢一『フランス革命の肖像』(集英社新書ヴィジュアル版、2010年)はフランス革命に登場した人物の肖像画を集め、合わせてそのプロフィールをつづった歴史エッセイ。意外とイメージと異なる風貌の持ち主もいたりして、この革命ドラマを見ていく上で奥行きが出てきて面白い。佐藤さんの『小説フランス革命』シリーズ(集英社)はいずれ時間をみつけてゆっくり読んでみたいと思っている。

 フランス革命関連で私が初めて読んだのは桑原武夫編『世界の歴史10 フランス革命とナポレオン』(中公文庫)だった。高校三年生のとき、受験世界史の勉強に役立っただけでなく、息抜きにも面白かった覚えがある。それから大学一年のとき、高名な歴史家の定評ある古典的史書を読もうと思って最初に手に取ったのがジュール・ミシュレ(桑原武夫編)『フランス革命史』(中公バックス)。手に取る前は何となく敷居の高そうな感じもしていたが、いざ読み始めるとこれがまた小説的に面白くて一気に読み通した(抄訳ではあるが)。そういえば、第二外国語でとったフランス語の授業のうち1コマはレチフ・ド・ラ・ブルトンヌ『パリの夜』の講読だった。

 アルベール・ソブール『フランス革命』(上下、岩波新書)、ガリーナ・セレブリャコワ『フランス革命期の女たち』(岩波新書)、平岡昇『平等に憑かれた人々』(岩波新書)といった本もその頃古本屋で買って蔵書にあるはずだが、すぐには見つからない。

 ロベスピエールなどの理想主義者が、まさにその理想を追求するがゆえに常軌を逸していくという逆説は、私がとりわけ関心をひくところだった。アナトール・フランス『神々は渇く』(岩波文庫)は、ジャコバン派支持者となったある貧乏画家の変貌を通してそうしたあたりをよく描き出しており、興味を持った覚えがある。

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石島紀之『雲南と近代中国──“周辺”の視点から』

石島紀之『雲南と近代中国──“周辺”の視点から』(青木書店、2004年)

・中央中心の歴史の見方では見落としてしまうもの→雲南という周辺部に視軸を置いて中国近代史を捉えなおしてみる試み。辺境とされる地域でも政治史全体の動向に関わるダイナミズムが見えてくるのが興味深い。
・山間盆地を単位として少数民族や漢族が雑居する地域。
・フビライが大理国を滅ぼして雲南行省を設置。明代に漢族系が大量に移民。清代に社会経済的変動、改土帰流政策→土司勢力の縮小。19世紀に回民起義→独立政権も成立。しかし、少数民族の漢族化傾向あり。
・イギリス・フランスの勢力進出→外国商品の流入。1870年代初め、昆明にフランス人技術者による官営軍需工場→雲南における近代工業化の始まり。
・対外的危機と清朝地方官僚の腐敗→東京への留学青年(1906年に東京で『雲南雑誌』刊行)と新式軍隊が反清革命の担い手。とりわけ、雲南講武堂の教官では留学経験者や革命支持者が多数派→蔡鍔(かつて梁啓超や譚嗣同に学び、日本へも留学)が中心となる。彼は強力な中央政府を支持する国家主義者だが、他方で省内には地方主義や他省との対立意識も胚胎していた。蔡鍔は第二革命では袁世凱を支持したが、袁が帝政運動を始めると反発→蔡鍔、梁啓超、唐継尭(日本留学経験あり)らは雲南を反袁世凱の護国戦争の基地とした。蔡鍔は1916年に病死→唐が雲南を支配(1913~27年)。
・1910年、滇越鉄道の開通→対外交易の拡大。東南アジアとの経済的交流が活発になる一方、広東商人が貿易の担い手であったため華南商業圏に組み込まれた。
・貧困、土地問題。漢族と少数民族、また少数民族同士の大きな経済的・社会的格差。
・キリスト教の普及。
・新文化運動の波及→五・四運動、日貨ボイコットが昆明で盛り上がる。
・国民革命と連動する形で雲南でも政変→龍雲(イ族出身)が台頭。蒋介石の国民政府を支持しつつも、実質的には半独立状態。1938年に汪兆銘がハノイへ脱出、日本との「和平」を唱えた際に途中で昆明に寄り、龍雲と会談。彼は曖昧な態度をとっていたが、最終的に蒋介石を支持、ただし関係は微妙なものとなる。
・抗日戦争の基地。日本軍の空襲。昆明には西南連合大学(1938~46年)。
・戦後、ベトナム北部の日本軍の武装解除のため、蒋介石の命令で雲南軍(龍雲の部下の慮漢が指揮)を派遣→雲南の主力部隊がいなくなったスキをついて蒋介石側が龍雲政権崩壊の策動→龍雲はいったん失脚したが、混乱の中で慮漢が政権を樹立。二人とも最終的には共産党側につく。

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2011年4月15日 (金)

アニア・シーザドゥロ『デイ・オブ・ハニー:食べ物、愛、戦争の思い出』

Annia Ciezadlo, Day of Honey: A Memoir of Food, Love, and War, Free Press, 2011

・著者は「クリスチャン・サイエンス・モニター」「ザ・ニュー・レパブリック」など各紙と契約して中東で活動しているフリーランスのジャーナリスト。
・レバノン出身のやはりジャーナリストである夫と共にバグダッド、ベイルートで暮らしながら取材活動。フセイン政権崩壊後、アメリカへの反発から混乱するイラク。宗派対立やシリア、イスラエルとの関係も絡まって自爆テロや要人暗殺が相次ぎ再び内戦の危機が高まるレバノン。緊迫した政治情勢下でも親しく交わった人々との思い出がつづられる。
・本書のカギとなるのは、文中で折に触れて紹介される、現地で出会った料理の数々。古代以来、紛争の絶え間のない地域ではあるが、人の移動と同時に食材やレシピの交流の広がりもあり、民族や宗派は違っても知らずしらず似たような料理を食べていることもある。互いに憎悪を向け合うような緊張状態だからこそ、食事を共に分かち合うことの意義が改めて確認される。著者がアメリカに戻っても、思い出されるのは戦争ではない。料理をめぐって想起される味、におい、光景、その場に居合わせた友人たちの思い出。巻末にはレシピ付。

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2011年4月13日 (水)

堀江邦夫『原発ジプシー』

堀江邦夫『原発ジプシー』(現代書館、1979年)

・1978~79年にかけて美浜原発、福島第一原発、敦賀原発の現場作業員として働いた潜入ルポ。たとえて言うと、鎌田慧『自動車絶望工場』『死に絶えた風景』の原発労働者版といった感じだ。日記風の記述で、その日その日の被曝線量が克明に記されているのが生々しい。
・ケガをしたら労わられるどころか、どなられる。「ケガをしたら電力会社に申し訳ない」「労災を適用すると日当は6割になるが、労災扱いしなければ全額面倒をみてやる」といった雇用者側の発言。事故隠し、労災隠し。電力会社は原発の安全性を主張するための「配慮」、しかしそれが現場作業員を集める下請け会社、さらには労働者自身にしわ寄せされた構造。釜ヶ崎の日雇い労働者の待遇から抜け出したくてもがく人々の苦衷。ピンはねされた低賃金の上、放射線被曝による遺伝に不安、さらには恐怖を感じながら働く日々。
・設備管理のためアメリカのGE社から派遣されてきた黒人労働者の姿も見える。ろくに英語も話せない人もいて、こちらも明らかに底辺労働者が危険な作業をやらされている。
・1979年にはちょうどスリーマイル島で原発事故が発生。「あっちの労働者は、ずいぶん放射能を食ったろうなあ」といった会話。
・原発のいわゆる「協力会社」の現場作業員に対する待遇は現在では改善されているのだろうか? いずれにせよ、電力供給をまかなうため、こうした人々に身体上の不安もある過酷な作業を押し付けてきたことには考え込んでしまった。

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プロチノス『善なるもの一なるもの』

プロチノス(田中美知太郎訳)『善なるもの一なるもの』(岩波文庫、1961年)

・プロチノス(Plotinos、3世紀)は、プラトン哲学におけるイデア論を彼岸と此岸とに分断して捉えるような二元論には陥らせず、世界を根源的に一つのものとして解釈しなおしたところから新プラトン主義と呼ばれる。彼が主張していたイデアをも成り立たせる究極的に一なるもの(仮に「一者」と呼ぶ)が後に「神」と比定されることで、結果として古代ギリシア哲学をキリスト教神学へと媒介したとも位置付けられる。
・存在そのものとしか言いようのない、言語的表現を絶する究極的な何か、そこから流出した知性の働きによって我々はこの現世界を見ようとしている存在であるとして解釈する。ただし、本源的に「私」も含めてすべてが世界そのもの、すなわち一つのものなのだから、「私」が対他的に対象としての「一者」を見るという関係にあるのではない。論理整合的に理解するというのではなく、感覚を研ぎ澄まして直接的につかみとるしかないという意味で神秘主義とされる。
・井筒俊彦が人間の思惟構造の共時的把握という試みの中でしばしばプロチノスに言及している。つまり、人間の意識の深みにある存在の普遍性としか言いようのないレベルへと向けてギリギリまで推し進められる思索の中で、例えばスーフィズム、古代ユダヤ思想、古代インド哲学、老荘思想、禅の思想などと共にプロチノスの哲学も並べられている。「一者」とその反映としてのこの世との両方を捉える眼差しのとり方は、意識のゼロポイントと現世とを往還する思索のあり方と共鳴していると言ったらいいのだろうか。

・「すべての存在は、一つであることによって存在なのである。」(11ページ)
・…「われわれの求めているものは一なるものであって、われわれが考察しているのは、万物の始めをなすところの善であり、第一者なのであるから、万物の末梢に堕して、その根源にあるものから遠ざかるようなことがあってはならない。むしろ努めて第一者の方へと自己を向上復帰させ、末梢に過ぎない感覚物からは遠ざかり、いっさいの劣悪から解放されていなければならない。なぜなら、懸命な努力の目標は善にあるからである。そして自己自身のうちにある始元にまで上りつめて、多から一となるようにしなければならない。ひとはそれによってやがて始元の一者を観るであろう。すなわち知性になりきって、自己の精神をこれにまかせて、その下におき、知性の見るところのものを正覚の精神が受け容れるようになし、一者をこの知性によって観るようにしなければならない。」(19ページ)
・「それはちょうど昼間の光明がいずれも太陽から発しているようなものである。そしてこの故に「語られもせず、記されもせず」というようなことが言われるのである。これをしかし我々が語ったり、書いたりするのは、ただかのものの方へと送りつけて、語ることから観ることへと目ざめさせるだけなのであって、それはちょうど何かを観ようと意う人のために道を指し示すようなものである。すなわち道や行程は教えられるけれども、実地を観ることは、すでに見ようと意った者の仕事なのである。」(23ページ)
・「本当をいえば、一者には合う名前が一つもないのである。しかし何らかの名前で呼ばなければならないとすれば、これを共通に一者というのが適当であろう。…またそれは知性を存在性へと導くものであって、それの本性はおよそ最善なるものの源泉となるがごときものであり、存在を生む力として、自己自身のうちにそのまま止まって、減少することのないようなものであり、またそれによって生ぜしめられるもののうちに存在するということもないものなのである。なぜなら、それはそれらが生ぜしめられるより先のものだからである。われわれがこれを一者と名づけるのは、互いにこのものを表示するための必要に出ずるのであって、われわれはこの名称によって、不可分なるものの思念に導き、精神の統一を計ろうとするのである。」(27~28ページ)
・…「かくて、もし本当に何か自足的なものがなければならないとすれば、一者こそそれでなければならぬ。なぜなら、ひとり一者のみが自己自身に対しても、また他に対しても不足を訴えたり、求めたりするようなことのないものだからである。すなわちそれは、自分がただあるためにも、またよくあるためにも、何ら他に求めるところのないものであって、自分がそこに座を与えられるために何かを必要とするようなことも決してないものなのである。なぜならば、自分以外のものに対して、それらの存在因となっているものが、自己の正にあるところのものを他から授けられてもつということはないし、またそのよくあるということにしたところで、一者にとって一者以外の何がそれであり得ようか。すなわち一者にとっては、よきということは外から附加されるようなものではないのである。それはつまり自己自身がまさにそれだからである。」…「かくて一者にとっては、それが求めなければならない善というものは一つもないのである。また従ってそれは何ものも欲しないのである。むしろそれは善を超越したものであって、他のものに対しては、それらのものが何かそれの一分を共有することが出来る場合においては、善となるけれども、自分が自己自身に対して善であるということはないのである。」(30~32ページ)
・…「われわれの存在は、われわれがかのものの方に傾きさえすれば、それだけ存在度が多くなるのであって、その存在をよき存在たらしめるものもまたかしこにあるのである。そして存在がかのものから遠ざかれば、それだけで存在度は少くなるのである。かしここそ精神のいこい場なにであって、いっさいの邪悪から清められたその場所へ馳けのぼることによって、精神は邪悪を脱するからである。精神が知性にめざめるのもそこにおいてであり、もろもろの悩みを受けずにすむのもそこにおいてなのである。否、真実の生というものもそこにおいてこそ生きられるのである。なぜなら、現在の生、神なき生というものは、実は生命の影に過ぎないのであって、かしこの生を模したものなのである。これに対して、かしこの生はすなわち知性の活動なのであって、この活動あることによって、それは神々を生むのであるが、これはまたかのものへの静かなる接触によるのである。そして美を生み、正を生み、徳を生むのである。つまりこれらは、精神が神にみたされることによって、うちに孕むところのものだからである。そしてこれが精神の終始するところのものなのである。始めというのは、精神はかしこから出て来たものだからであり、終りというのは、究極において求められる善がかしこにあるからであって、精神はかしこに生ずることによって、自分自身が本来あったところのものになるからである。というのは、この世にあって、この世のものによって生きるというのは、脱落の結果であり、追放のためであり、天かける翅を失ったからなのである。」(41~42ページ)
・…「見るはたらきも、またそのはたらきによってすでに見るところのものも、もはや論理ではない。むしろそれは論理以上に大いなるものであり、論理に先立ち、論理の上に君臨するものなのであって、そのことは見られる側のものについても同様である。」(45ページ)
・「…見る者は見られたものと相対して二つになっていたのではなくて、見られたものと自分で直接に一つになっていたのであるから、相手は見られたものというよりは、むしろ自分と一つになっているものというべきであったろう。」(47ページ)
・「すなわちそれは没我(エクスタシス)であり、一体化であり、自己放棄であり、接触への努力であって、また静止であり、思念を凝らしてかれへの順応をはかることなのであって、いやしくもひとが玄宮内部のものを観ようとするならば、このようにするより外はないのである。」(48ページ)
・「すなわち精神というものは、元来全くの非存在にいたるというようなことはむろんないのであって、それは下降によって劣悪なものにいたり、またその意味において非存在にいたることはあるにしても、全然の非存在にいたることはないはずなのである。また急いで逆の方途に引き返すにしても、精神は自分と違ったものの中へ入りこむことになるのではなく、自分自身のうちにかえることとなるのである。」(49ページ)

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2011年4月10日 (日)

奥波一秀『フルトヴェングラー』、中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』、川口マーン恵美『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』

 芸術表現として世俗の汚穢から超越した至高の価値が認められるべきはずの音楽、それが時に政治性をもはらんでしまうという緊張関係は、ドイツ第三帝国期における音楽家たちをめぐって問われ続けてきた問題である。例えば、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー。彼は当時の政治状況の然らしむる中で第三帝国音楽局副総裁、枢密顧問官などの役職を引き受けざるを得なかった。だからと言ってナチス・シンパではなく、むしろユダヤ人音楽家やヒンデミットのようにナチスから睨まれた人々に対する迫害を何とか抑えようとしていた。綱渡りのように危ない駆け引きが必要であったわけで、世間知らずどころかそれなりの政治感覚があったこともうかがえる。では、音楽家ではないユダヤ人は無視しても良かったのか。そもそも機会はあったのになぜ亡命しなかったのか。彼はナチズム信奉者ではなかったにせよ、ドイツ音楽の至高性への確信は一種のナショナリズムとして共鳴する部分はなかったのか。いずれにせよ肯定・否定という単純な二分法では捉えることはできない。奥波一秀『フルトヴェングラー』(筑摩選書、2011年)はそうした彼をめぐって錯綜する複雑な機微をたどり返していく。

 世界の頂点に立つオーケストラ、ベルリン・フィル──この常任指揮者の座をめぐってフルトヴェングラーとカラヤンとが火花を散らした確執は音楽史ではあまりに有名なトピックだろう。中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』(幻冬舎新書、2007年)は、さらに戦後の非ナチ化政策で演奏活動のできなかった時期に二人にかわってベルリン・フィル再生に活躍したセルジュ・チェリビダッケを合わせた三人が三つ巴になって繰り広げた人間ドラマを描き出している。

 フルトヴェングラーとカラヤン、どちらの音楽の方が優れていたのか? 川口マーン恵美『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書、2008年)は、双方のタクトで実際に演奏し、それぞれの迫力を実体験したベルリン・フィルの元楽団員を訪ねて聞き書きした記録である。人それぞれに言い方のニュアンスは異なるにしても、二人の演奏にはその演奏なりの素晴らしさがあるのであって、一律なことは言えない、比較すること自体がナンセンスだ、という趣旨の返答をする人が大半だ。カラヤンから排斥されて徹底して憎悪する人もいれば、家族ぐるみで親しかった人もいる。そうした立場的相違によるのか、各人それぞれに感性が違うからなのか、同じポイントを尋ねても答え方が多種多様なのが面白い。ある意味、藪の中。ただし、往時を回想しながら答える語り口にはその人なりの音楽観、組織観、人間観が自ずとにじみ出てきて、中には含蓄深い表現もある。フルトヴェングラーとカラヤン、どちらに軍配をあげるかと結論を出すのはどうでもいいことで、むしろインタビューのプロセス自体がとても面白い。

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2011年4月 9日 (土)

白戸圭一『日本人のためのアフリカ入門』

白戸圭一『日本人のためのアフリカ入門』(ちくま新書、2011年)

 アフリカと一言でいっても、北アフリカはアラブ圏に入るし、サハラ以南にしても数多くの国々がひしめきあっており、単純に概括するにはあまりにも多様かつ複雑でありすぎる。全体を概観するのは新書レベルのボリュームでは難しい。最近はアフリカ関連の書籍も次々と出てきているので個々の問題についてはそれぞれ類書を参照する方がいいだろう(本書の巻末にもブックリストがある)。

 むしろ本書がテーマとするのはこのアフリカへと投げかけられた日本人自身の眼差しのあり方そのものである。たとえ悪意はなくとも日本からは縁遠い地域だけに、実状とはかけ離れた偏見すら抱かれやすい問題点をひとつひとつ解きほぐす作業を通じてアフリカ認識を深める糸口を提示してくれる。著者が新聞社の特派員として取材した見聞はアフリカの今をヴィヴィッドに伝えるレポートになっているが、同時にアフリカをケーススタディとしたメディア・リテラシーの試みに見立てるともっと奥行きのある読み方ができるだろう。

 とりあえず関心を持った論点を箇条書きにすると、
・「貧しくてかわいそうなアフリカ」イメージ→援助すべき、啓蒙すべき対象と位置付けるパターナリスティックな視点の問題点、これによってゆがめられたアフリカ認識。
・記者が記事を書いてもアフリカ事情は本社で取り上げてくれない→欧米(特にアメリカ)で話題になってようやく追随する形で日本のメディアも関心を持ち始めるというニュースの形成過程。
・「部族対立」という表現を使うと長年にわたる伝統的な抗争が政治的停滞をもたらしているようなイメージを読者に与えかねない→実際には利害配分等における政治的不公正が民族対立を煽っているという構造的問題が見落とされやすい。
・アフリカ開発会議(TICAD)の東京開催→アフリカ連合(AU)は対等な共同開催者と認めてくれないことに不満。
・国連安保理改革(常任理事国増加の提案)をめぐってAUの支持を取り付けたつもりだったところ、中国から切り崩しを受けたジンバブエのムガベ大統領の主導で失敗。中国のアフリカ進出をどう受け止めるか。
・いじめ、自殺、タイトな仕事スケジュールなど日本の問題→アフリカは比較対象のための別の視座ともなり得る。

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2011年4月 8日 (金)

マックス・ホルクハイマー/テオドール・アドルノ『啓蒙の弁証法──哲学的断想』

マックス・ホルクハイマー/テオドール・アドルノ(徳永恂訳)『啓蒙の弁証法──哲学的断想』(岩波文庫、2007年)

・要するに、人間を呪縛してきた不合理な世界観が科学的知識や合理的思考方法(=「理性」)によって解体されてきたこと(=「啓蒙」)が近代の一つのプロセスだと言える。ところで、この合理的思考方法によると、この世のありとあらゆるものが平板化・画一化して把握され、理性的主体の働きかけによって操作可能なものへと位置付けられていく。それは他ならぬ人間自身も例外ではなく同様に客体化されていく過程でもあった。結果、質的相違が一切捨象された中で社会システムのみが自己目的的に作動し始め、人間はかえって自らの主体性を喪失していく。こうした「啓蒙」による進歩が同時に人間自身の精神的退歩を意味するという二律背反的な展開(=「弁証法」)を把握するのが趣旨。
・ナチズムの台頭を目の当たりにしている危機感の中から本書は書かれたわけだが、全体主義は単に野蛮だというにとどまらず、そもそも「理性」「啓蒙」の逆機能として現われた人間疎外が背景に伏在している、これは全体主義だけの問題ではなく近代社会全般にわたって再考すべき問題だという課題を提起。

・「啓蒙のプログラムは、世界を呪術から解放することであった。神話を解体し、知識によって空想の権威を失墜させることこそ、啓蒙の意図したことであった」(23ページ)。
・「市民社会は等価交換原理によって支配されている。市民社会は、同分母に通分できないものを、抽象的量に還元することによって、比較可能なものにする。啓蒙にとっては、数へ、結局は一へと帰着しないものは仮象とみなされる。」「事象が科学的に計算されるものになると、かつて神話のうちで思想が事象について与えていた説明は、無効を宣言される」(30ページ)。
・「神々は人間から恐怖をとり去ることはできない。神々は恐怖の硬直化した響きを、自らの名前として担っている。人間が恐怖から免れていると思えるのは、もはや未知のいかなるものも存在しないと思う時である。これが非神話化ないし啓蒙の進む道を規定している。こうして神話が生命なきものを生命あるものと同一視したように、啓蒙は生命ある者を生命なきものと同一視する。啓蒙はラディカルになった神話的不安である。その究極の産物である実証主義がとる純粋内在の立場は、[経験の外へ出ることを禁ずるという意味で]いわば普遍的タブーにほかならない。外部に何かがあるというたんなる表象が、不安の本来の源泉である以上、もはや外部にはそもそも何もあってはならないことになる」(43ページ)。
・「啓蒙にとっては、過程はあらかじめ決定されているということのうちに、啓蒙の非真理があるのである。数学的方法においては、未知のものは方程式の未知数になるとすれば、ある価値がまだ代入される前に、未知のものは、前から知られていたものという徴しづけを帯びていることになる。自然は量子力学の出現の前後を問わず、数学的に把握されなあければならないものである。わけのわからないもの、解答不能や非合理的なものさえ、数学的諸定理によって置き換えられる。…啓蒙は思考と数学とを同一視する。それによって数学は、いわば解放され、絶対的審級に祭り上げられる。」「思考は物象化されて、自発的に動きを続ける自動的過程になり、その過程自身がつくり出した機械を手本にして努力するために、ついには機械が、その自動的過程にとって代りうるようになる」(58~59ページ)。
・理性=「計算的思考は、自己保存という目的に合わせて世界を調整し、対象をたんなる感覚の素材から隷従の素材へとしつらえる以外にいかなる機能をも知らない。…存在は、加工と管理という相の下で眺められる。一切は反復と代替の可能なプロセスに、体系の概念的モデルのたんなる事例になる」(183ページ)。
・「理性は、目的を欠いた、それ故にまさしくあらゆる目的に結びつく合目的性になった」(191ページ)。
・「理性がいかなる内容的な目的をも設定しない以上、情念はすべて、ひとしなみに理性とはほとんど無縁同然のものとなる。…啓蒙にとって理性とは、事物の固有の実体を自らのうちに吸収し、理性そのものの純粋な自律のうちに揮発させる化学的動因である。」…(理性による神話からの解放→)「しかしその解放は、人道的だったその創始者たちが考えていたよりは、はるか先にまで到達した。鎖を解き放たれた商品経済は、理性の実現過程であると同時に、また理性を亡ぼす原因となる力でもあった」(192~193ページ)。
・「文化産業においては、批判と同じように尊敬も消失する。つまり批判は機械的な鑑定に、尊敬はたちまち忘れ去られる有名人への崇拝に、とって代わられる」(326ページ)。
・「唯々諾々とたゆむことなく現実に適応することの非合理性は、個々人にとっては理性よりも理性的なものになる」(416ページ)。

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2011年4月 7日 (木)

ユルゲン・ハーバーマス『公共性の構造転換──市民社会の一カテゴリーについての探求』

ユルゲン・ハーバーマス(細谷貞雄・山田正行訳)『公共性の構造転換──市民社会の一カテゴリーについての探求』(第2版、未來社、1994年)

・私的自律性を備えた個人が公開の場における討論を通して合意を形成していく、いわゆる討議倫理的なあり方が民主主義の基盤=市民的公共性であるという考え方を前提に、こうした意味での公共性がヨーロッパ史の中でどのように形成され、近代に入って解体されたのかを検討するのが趣旨。
・近世以来のイギリス、フランス、ドイツの歴史を検討→自由市場の進展、ブルジョワ階級の成立、読者層の拡大→私的コミュニケーションの範囲が拡大→国王・貴族中心の国家権力と対峙する形で公共圏の成立、国家と社会の分離。公共圏の担い手は有産階級中心という限定つきだが、少なくとも自律的個人によるコミュニケーションという理念型が成立したことによる可能性の広がりを強調(このあたり、何となくハンナ・アレントの議論も想起される)。
・「公共性は、それ自身の理念によれば、その中で原理的に各人が同じ機会をもって各自の好みや願望や主義を申告する権利をもったというだけでは、民主主義の原理となったのではない。このようなものは、ただの意見(opinions)にすぎない。公共性は、これらの個人的意見が公衆の論議の中で公共の意見、公論(opinion publique)として熟成することができたかぎりでのみ、実現されえたのである。万人の参加可能性の保証ということの意味も、はじめから、とにかく論理の法則に従う賛成弁論と反対弁論のための真理保証の前提という意味で理解されていたのである」(288ページ)。
・有産階級中心に成立した公共圏だが、19世紀以降、無産階級の台頭→具体的利害をどのように配分するかが公共圏における中心課題となった。自律的個人同士の討論によって合意を形成するよりも、公論を強制権力へと転化させようとする動き、多数者の専制(トクヴィル)。
・国家と社会とが相互浸透するようになり、公共圏の範囲は拡大したが、他方で質的に変容していくという逆説→福祉国家。
・「社会圏への国家的介入に対応して、公的権能を民間団体へ委譲するという傾向も生じてくる。そして公的権威が私的領域の中へ拡張される過程には、その反面として、国家権力が社会権力によって代行されるという反対方向の過程も結びついてくるのである。このように社会の国有化が進むとともに国家の社会化が貫徹するという弁証法こそが、市民的公共性の土台を──国家と社会の分離を──次第に取りくずしていくものなのである。この両者の間で──いわば両者の「中間から」──成立してくる社会圏は、再政治化された社会圏であって、これを「公的」とか「私的」とかいう区別の見地のみからとらえることは、もはやできなくなっている」(198ページ)。
・「かつては私生活圏の自立性が法律の普遍性を可能にしていたが、国家と社会の相互浸透によってその私生活圏が解消されるにつれて、論議する私人たちから成る比較的同質の公衆のよって立つ地盤もゆるがされた。組織された私的利害の間の競争が、公共性の中へ侵入してくる。かつては個別利害は私有化され、それゆえに階級利害という公分母の上で中和されて、公共的討論の或る種の合理性と有効性をも可能にしていたのであるが、今日では合理的討論の代りに、競合する利害の示威行動が現れる。公共の論議において達成される合意は鳴りをひそめて、非公共的に戦いとられ、或いは力づくで貫徹された妥協に席をゆずる」(235ページ)。
・「討論はいつのまにか独特の変質をとげたのである。つまり討論そのものが消費財の形態をとってくる」(220ページ)。「マス・メディアが作り出した世界は、もうみかけの公共性にすぎない。しかしまた、それが消費者に保証している私生活圏の充実感も、幻想的なものである。…今日ではマス・メディアが文学的外被を市民の自己理解から剥ぎとり、それを消費者文化の公共サーヴィスのための便利な形式として利用しているために、その根源的意味は錯倒されている」(227ページ)。マス・メディアは討論の場ではなく、広告の手段となった。

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2011年4月 4日 (月)

王徳威『叙事詩の時代の叙情──江文也の音楽と詩作』

王徳威(三好章訳)『叙事詩の時代の叙情──江文也の音楽と詩作』(研文出版、2011年)

 日本の植民地支配下にあった台湾に生まれ、日本に留学して音楽家としてデビュー、日中戦争の最中に日本軍占領下の北京へ渡って師範大学教授となり、戦後はそのまま北京に留まったものの、漢奸として指弾されて文化大革命で迫害を受ける──江文也(1910~1983年)がたどった波瀾に満ちた生涯の軌跡はそれ自体がドラマティックで関心がかき立てられるし、台湾、日本、中国と渡り歩いた越境的な道のりからはアイデンティティの相剋という現代的関心もまた呼び起こされる。実際、1980年代以降、台湾や中国で江文也が再び注目を集めたときにそうした問題関心が見られたが、彼は台湾人なのか、中国人なのかという不毛な議論がかわされたらしい。しかしながら、モダンな感性を持った芸術家であった彼にとって政治的帰属意識など問題にはならず、強いて帰属先を求めるならば音楽そのものだったとしか言いようがないだろう。そもそも彼が中国文化へ関心を寄せたきっかけは民族意識回帰とは無縁で、亡命ロシア貴族の音楽家アレクサンドル・チェレプニンの示唆により芸術的インスピレーションを得るためであった。

 タイトルで端的に示された本書の問題意識は、チェコの中国学者ヤロスラフ・プルシェクが近代中国文学を考察するに当たり個の立場で情感を歌い上げる抒情と政治的集団意識を意味づける叙事詩との区別として行なった議論を踏まえている。すなわち、「抒情は個人の主体性の発見と解放への熱望であったのに対し、叙事詩は集団主義の構築と革命への意思を指していた。したがって、抒情と叙事詩は一般的な意味で異質なのではなく、むしろ様式(モード)や語り方のちがい、感情の起伏の度合いの差、そして最も重要なことは社会的政治的なイメージのちがいを意味している」「リアリストが、現実をありありと反映する道具として言葉を見ているのに対し、抒情の書き手は精緻な言葉の形式を用いながら、そうした擬似現実主義の試みにとどまらずに、言葉の音響効果から心象を表現する強大な可能性を実証する。言葉のオーケストレーションを通じて、抒情主義は歴史のカオスにひとつの明晰な形式を与えることで、生来備わっている人間の巨大さや、人間の不確実性の外にある、美学的倫理学的秩序を認めるものである」「江文也の音楽、詩作そして儒教音楽学の理論的考察は、1930年代から40年代中国における抒情のディスクールの一部をなすものと理解されるべきである」(70~80ページ)。

 江文也の中国への関心にはむしろオリエンタリズムとも言うべき動機が潜んでいたかもしれない。しかし、彼が交響曲「孔廟大成楽章」や論文「上代支那正楽考」に取り組みながらつかもうとしていたのは、時代は違っても同じ音楽家として共鳴する孔子のイメージであり、そこにある種純粋で超越的な法悦を見出していた。本書の問題意識で言うなら抒情である。他方で、儒教的イメージは多様な立場からの読み込みが可能であり、例えば日本の儒学思想理解では王道→大東亜共栄圏と結びつける契機もまた同時にはらまれていた。彼が生きていたのは叙事詩の時代、政治的社会的大動乱の時代であった。彼自身の音楽への思いとは関係のない位相で、彼がまなざしを向けた抒情は叙事詩のロジックに絡め取られてしまった。

 江文也は20世紀における東アジアの文化史を考える上で非常に興味深い人物だと思うのだが、日本語で読める一般的書籍は少ない。彼を取り上げた単行本としては井田敏『まぼろしの五線譜──江文也という「日本人」』(白水社、1999年)があるが、遺族とトラブルになった経緯があって現在絶版となっている。そうした中、本書のように江文也を考察した単行本が刊行されたのは嬉しい。なお、彼の文章は『上代支那正楽考──孔子の音楽論』(平凡社・東洋文庫、2008年)で読める。片山杜秀による解説論文は政治史的背景も踏まえて1945年までの江文也の足跡をたどっており、とりわけチェレプニンとの関係に注目しているところが興味深い。

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王育徳『「昭和」を生きた台湾青年──日本に亡命した台湾独立運動者の回想 1924─1949』

王育徳『「昭和」を生きた台湾青年──日本に亡命した台湾独立運動者の回想 1924─1949』(草思社、2011年)

 台湾語研究で名高い言語学者であり、かつ亡命先の日本で台湾独立運動に生涯を捧げた王育徳(1924~1985年)。彼の死後、蔵書の整理中に見つかった遺稿をもとにまとめられた回想記である。彼が生まれた時点で日本による植民地統治はすでに30年ほど経っていたが、生家にはまだ清朝期の遺風や台湾土着の習俗が色濃く残っていた。植民地的近代化過程で変容しつつある台湾社会の世相を見る彼の観察が興味深いだけでなく、1937年以降の皇民化運動、1945年の日本敗戦、続く国民党による台湾接収、こうした時代的転換に翻弄される彼自身の運命はまたドラマティックですらある。

 王育徳は古都・台南で生まれた。商売で成功した裕福な家だったようだが封建的遺風もまた強く、三人の夫人たちやそれぞれの子供たちの間でのいさかいには家庭内の複雑な人間関係がうかがえる。進学熱が強いが、公学校の小学校に対するコンプレックス、体罰は当たり前のスパルタ教育などが目を引く。台湾社会ではもともと台湾人自身の言葉や習俗も許容されていたが、皇民化運動が始まってから台湾人と日本人との関係がギクシャクし始め、台湾人意識が強まったという指摘もあった。後にアラビア学の泰斗として著名になる前嶋信次が若い頃に台南一中で教師をしていたことは知っていたが、王育徳も彼の授業を受けている。また、同級生に葉盛吉の名前もあった。邱永漢も台南の出身だが学校は異なり、台北高校尋常科受験で台北へ出たときに兄・育霖の紹介で初めて知ったらしい。

 日本の敗戦により、ようやく自分たちの台湾語で自由におしゃべりできると思ったが、やって来た国民党政権によって事実上禁止されてしまう。二・二八事件では公開銃殺された湯徳章の遺体を目の当たりにし、さらには慕っていた兄・育霖もまた殺害されてしまった。このとき台南の学校で教壇に立っていた彼の身辺でも一人また一人と連行されていき、身の危険を感じた彼は先に香港に移住していた邱永漢を頼って亡命する。以後、故郷の土を踏むことは二度と出来なかった。

 なお、まだ新来の中華民国に期待を抱いていた頃、光復記念の演劇をやろうという企画が持ち上がり、頼まれて彼は脚本を書いた。台湾語で書いたのだが、台湾語には漢字起源意外の語彙も多く、漢字では表記しきれないことを実感、これが後に彼独自の台湾語表記方法を考案するきっかけになったという。いずれにせよ、若き日の苦難をたどりかえすと、篤実な言語学徒と情熱的な独立運動家という一見相反するような彼の二つの顔がしっかり結び付いて見えてきて興味深い。

 日本亡命後の王育徳については、次女で本書の編集に当たった近藤明理による「おわりに」で紹介されており、亡命の経緯(東大の中国文学者・倉石武四郎が世話している)、台湾独立運動、台湾人元日本兵補償問題などに触れられている。また、日本への亡命後、一時期中河與一のもとで小説の勉強をしていたこと、1961年に李登輝(当時は台湾大学助教授、農業経済学専攻)が密かに訪ねてきて話がはずんだことなどは初めて知った。

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黄自進『蒋介石と日本──友と敵のはざまで』、関榮次『蒋介石が愛した日本』

 黄自進『蒋介石と日本──友と敵のはざまで』(武田ランダムハウスジャパン、2011年)は、スタンフォード大学フーヴァー研究所で公開された蒋介石日記等の史料を踏まえ、彼の視点を軸にしながら日中関係の政治外交史を描き出している。日本留学経験から近代化・国民国家形成など中国自身の課題について学ぼうとしていた一方、日本の大陸侵略に直面して当の日本と戦わざるを得ないはめに陥ってしまった。さらに国民党内の政敵、軍閥、共産党、国際情勢の変動などの絡み合った複雑の局面の一つ一つに対して彼がどのような判断を下したのかがたどられていく。反共という立場からであるにせよ戦後日本の早期復興をうながしていたことが強調される。また、日本の近代化に関心を示しつつも、その視点は軍事的効率性に重きが置かれ、立憲体制や産業政策などへはあまり注意が払われていなかった点も指摘されている。コンパクトながらも全体としてバランスのとれた政治的伝記となっている。

 関榮次『蒋介石が愛した日本』(PHP新書、2011年)も同様に日本との関係に注目した蒋介石の伝記である。女性たちとの関係やエピソード的なことも散りばめられ、オーソドックスな伝記としては読みやすい。ただし、日本との関係を深く掘り下げているわけではない。もしこのようなタイトルをつけるならば、単に親日的だったというレベルではなく、彼の人生観なり政治構想なりに日本という要因がどのような形で入り込んだのかを描いて欲しかったのだが、タイトルからずれているという印象を持った。版元から考えると、ある読者層を当て込んでつけられたタイトルだとは思うけど。

 なお、蒋介石日記を駆使した伝記としてはJay Taylor, The Generalissimo: Chiang Kai-shek and the Struggle for Modern China(The Belknap Press of Harvard University Press, 2009)があり、中国社会の近代化を目指して奮闘した生涯という視点で描き出している(→こちらで取り上げた)。他にも蒋介石関連で読んだ本をいくつかこちらでも取り上げた。

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2011年4月 3日 (日)

大澤真幸『生きるための自由論』、橋本努『自由の社会学』

 自由な存在としての私の意志はいったいどこに由来するのか。心の中に生ずるのか、それとも外的要因によって動かされているのか。脳科学の進展は後者の説得力を強めているようにも見える。だが、科学的研究成果がいくら精緻化してきたとはいっても、そこにこだわっているだけでは問いの論理構造そのものは結局のところいわゆる「スピノザの石」のレベルと全く同じ地点で堂々巡りするだけになってしまうようにも思われる。

 大澤真幸『生きるための自由論』(河出ブックス、2010年)では、第三者の審級という著者独自の用語を用いながら社会的関係性の中で自由が把握されている。「他者の視点から捉えたときに、私の行為は、承認や否認の対象になる。他者(第三者の審級)は、私の行為を肯定的若しくは否定的に評価する。他者(第三者の審級)に承認されるような行為を採用したとき、私は、妥当な行為を選択したことになる。逆に、他者(第三者の審級)に否認されたとき、私は、不適切な行為を選択したことになる。他者の肯定・否定のまなざし、他者の審問から独立に、私の行為の「選択」という現象自体がありえないのだ。それゆえ、自由は、本来的に社会的な現象である。」「私は、その他者(第三者の審級)の承認(・否認)のまなざしを、信用取引のように、先取りしながら行為することも可能になる。その場合、私の行為は、他者(第三者の審級)の審問への応答responseという形式をとることになる。したがって、私の行為は、他者の意志や欲望に、つまり想定された他者の欲望・意志に規定される、まさにそのことにおいて、自由な選択たりうるのである。」「…自由は、自己と他者との狭間、二つの視点の狭間に生ずる。私が、他者の視点、私の行為を承認したり否認したりするかもしれない第三者の審級の視点を内面化した行為したとしたらどうであろうか。その場合こそ、私は、自分の行為をモニタリングしながら、つまり意識しながら、行為を選択していることになるだろう。意識とは、このように、他者の視点の自己への内面化の産物である。それは、自由な行為の前提条件ではない。むしろ、意識は、自由な行為の帰結である」(80~83ページ)。だが、不本意な出来事に遭遇したときそこに意味を持たせる参照枠組み=第三者の審級が撤退し、したがって自由そのものの基盤が失われつつあるところに現代社会の特徴を指摘、行動面での自由が増している一方、空虚感・閉塞感が感じられているという逆説が見いだされる。

 橋本努『自由の社会学』(NTT出版、2010年)は、自由な社会を構想する上で必要な三つの条件を提示し、それぞれを踏まえて思考実験的な代替提案も検討しながら現代社会が抱える個別イシューを一つ一つ考えていく。第一の「卓越(誇り)」原理は尊厳→誇り→卓越という連鎖をとり、各自それぞれが自らの尊厳を持って生きていけるような条件を整備することで、消極的な自由を積極的な自由へと転成させていくように促すことが意図されている。第二の「生成変化」原理は偶有性→変化→生成→成長→進化という連鎖をとり、社会環境が固定的に停滞して抑圧的にならないよう常に新たなものへと変化を促していくこと。「自由な社会は、人生も社会システムも、他であり得る可能性に開かれていなければならない。諸々の潜在的可能性は、実際には現実化できないとしても、理論的には発見していくことができる。少なくともそのような発見は、自由な自我と自由な社会の統治力の両方を育んでいくだろう。自由は、現実的な制約のもとで、機能的代替物の可能性を探るという、思考実験的な性質を帯びている。自由な社会とは、人々が現行のアーキテクチャーを疑い、他のアーキテクチャーを選択肢として構想できるような社会である。自由な社会は、現行のアーキテクチャーが不完全かどうかに関わりなく、代替的なアーキテクチャーが多様に構想され、可視化され、討議されるような社会でなければならない」(148ページ)。第三の「分化」原理は画一的社会批判→分散統治→その補完術→創造的多様性という連鎖をとる。各自が未知の可能性を模索していくところに自由の本意が見いだされており、かなりポジティブな議論だという印象を受けた。

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2011年4月 2日 (土)

柿崎一郎『東南アジアを学ぼう──「メコン圏」入門』

柿崎一郎『東南アジアを学ぼう──「メコン圏」入門』(ちくまプリマー新書、2011年)

 東南アジアは大まかに言って大陸部と島嶼部とに二分される。大陸部を構成するベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマーの五カ国のいずれをもメコン川が流れており、さらに上流にあたる中国の雲南省なども含めてメコン圏と呼ばれる。本書はメコン圏を横断的につなぐルートを旅しながら、この多様で活気に満ちた地域の歴史や社会を紹介してくれる。国境を越えた人や物の動きはそれだけ経済関係の進展がうかがえるが、他方で中国とタイの存在感が突出するばかりで、他の取り残されがちな国との関係のあり方は気になるところだ。いずれにせよ、旅人の視点でスケッチする構成には臨場感があって入門書としてとても読みやすい。著者は鉄道に関心のある人らしく、『王国の鉄路──タイ鉄道の歴史』(京都大学学術出版会、2010年)という著作もある。鉄道という切り口からタイの歴史や社会をうかがうところは私としては興味深いのだが、こちらは一般読者層を意識している割には読みづらい本だった。版元の性格の違いゆえか。

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河内信幸編『グローバル・クライシス──世界化する社会的危機』

河内信幸編『グローバル・クライシス──世界化する社会的危機』(風媒社、2011年)

 執筆者の一人である友人からいただいた本です。執筆者各自の研究関心による視点から現代の国際社会における問題点を見通す内容になっています。ちゃんと読んでからコメントしようと思っていたのですが、なかなか全部を読み通す時間がとれず(すみません)、とりあえず目次を以下に掲げておきます。

序章「グローバル・クライシス:危機の広がりと連鎖」(河内信幸)
第1章「地球的軍縮措置の現状と課題:非核(兵器)地帯の構成要素の変容を通して」(福島崇弘)
第2章「アフリカ地域機構への主要国による協力支援」(滝澤美佐子)
第3章「現代テロリズム研究の展望」(福田州平)
第4章「オバマ政権と「グリーン・ニューディール」(河内信幸)
第5章「台頭する中国と日米中関係」(三船恵美)
第6章「日本の安全保障」(加藤謙一)
第7章「アメリカ政治とネオコンのリンケージ」(河内信幸)
第8章「オバマ演説の情と理」(三浦陽一)
第9章「ソ連の溶解、ロシアの迷走:体験的グローバリゼーション考」(高山智)

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