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2011年3月11日 (金)

仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』

仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』(講談社現代新書、2009年)

 ハンナ・アーレントの主要著作を参照しながら議論が進められるので彼女の思想の入門書として読めるが、むしろアーレントを踏み台にしながらいま我々が生きている社会における「公共性」を問い直していこうという趣旨。何気なく手に取ったのだが、著者の問題意識がアーレントの提示した論点とうまくかみ合っていてなかなか良い本だと思う。

 孤独・アトム化した不安に耐え切れない人々を単一の世界観にまとめ上げ、それとは異なる立場もあり得ること(複数性)をつぶしていく動きとして全体主義は捉えられる。これはアーレントが目の当たりにした20世紀前半の出来事ばかりではなく、現代でもあり得ることなのではないか。右派であれ、左派であれ、ある種のこわばった政治的言説が自らの立場を正当化するため、どこかに陰謀論的に「敵」を設定、そいつのせいだ!と言って世論を一つにまとめ上げようとする。こうした「敵」イメージの見えやすさが、著者の言う「分かりやすさ」である。いわゆる「理由なき殺人事件」を目にした識者が「若者の閉塞感」「心の闇」といったコメントをしたが、これに対して「公的領域」を成り立たせる「人格=仮面」の議論を踏まえながら、「心の闇」なんてのは誰にだってある、むしろ「自分にもそうした心の闇があるかもしれない」「共感する」「理解できる」と安易に公言する人々が現れたことを、公/私の揺らぎ、公共圏の不全として捉える観点に興味を持った。

 声高に政治的主張をすることが「政治」なのではなく、自分とは異なる立場もあり得ることを常に留意しながら互いにコミュニケーションしていくところに「政治」の本質を見出そうとするのが基本的なポイントだろう。アーレントに多少なりとも関心を持つ人にとっては当たり前のことで、むしろこうした考え方に触れて欲しい人は最初から本書を手に取らないであろうことが難しいところだ。

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