【映画】「神々と男たち」
「神々と男たち」
地中海性気候をうかがわせる乾燥しつつも穏やかそうな風景、ゆるやかな丘陵地帯にある貧しいが牧歌的な集落。村人たちの中にフランス語を話す修道士の姿が混じっている。彼らの存在はもちろんアルジェリアにおけるフランス植民地支配の名残りとも言えるが、他方で信仰と慈善活動に身を捧げる彼らはムスリムの隣人としてコーランの教えにも注意を払っており、村人たちにとっても生活の中の分かちがたい一部となっていた。ある日、近くでクロアチア人労働者が殺害される事件が起こった。無分別なイスラム過激派の仕業である。彼らは間違いなくカトリックの修道院も標的にするはずだ。アルジェリア政府から帰国命令が通達される一方、村人たちからは一緒にいて欲しいとせがまれる。逃げるか、それとも残るのか、修道士たちの気持ちは揺れる──。
1996年、実際に起こったイスラム過激派によるカトリック修道士殺害事件を題材とした映画である。彼らは危険を知りながらもなぜ敢えて逃げなかったのか?という問いかけから製作されたのだという。
1962年のアルジェリア独立以来、民族解放戦線(FLN)が一貫して政権を担ってきたが、長期政権は必ず腐敗するという法則に例外はなく、人々の不満は高まっていた。民政移行を約束して総選挙が実施されたものの、政権への不満はイスラム救国戦線(FIS)の圧勝という結果をもたらし、危機感を募らせた軍部が選挙無効のクーデターを断行した。軍事政権はFISを弾圧、政府とイスラム主義勢力との対立は事実上の内戦状態へと展開してしまう。もちろん、イスラム主義=過激派というわけではない。ただ、一部の貧困青年層が軍事的劣勢をはね返そうと政府関係者に対するテロ活動を行い、外国人もまた政府支持者とみなされて標的となった。事件はこうした情勢下で起こってしまった。ただし、イスラム過激派が修道士たちを誘拐したのは事実であるにしても、軍事政権が掃討作戦中に誤って殺害してしまった、あるいは過激派内にもぐりこんだ軍事政権のエージェントが彼らの評判を落とすために仕組んだことだ、などと諸説とびかっているらしく、事件の真相はいまだに判明していない。
映画を素直に観れば分かるように、キリスト教とイスラム教との対立をテーマとしているわけではない。修道士たちはムスリムである村人たちの友人として一緒に暮らしていたし、修道院へ最初にやって来た過激派リーダーの態度には宗教的共存への配慮もうかがわれた。それにもかかわらず、宗教を口実としてある種の暴力が増幅されてしまった構造的連関は一体何であったのかという問いはまず第一に必要であろう。
ただし、この映画がヒューマンドラマとして本意とするのはもうちょっと違うところにあるように思われる。修道士たちは殺されるかもしれないという脅威をひしひしと感じつつも敢えて逃げなかった。良心に照らして神から与えられた自分の持ち場を離れなかった。恐怖と良心との狭間で引き裂かれそうな動揺の中で、敢えて神の意志=自由な存在としての自分自身の意志を選び取ること。後悔しながらこれからの人生を生きるのではなく、過酷な運命が待ち受けていても自らの胸奥に問うた上で確信した正しさを信じる、そのひたむきな敬虔さ。折に触れて彼らが歌う聖歌は、まさに彼らの極限の心象風景を表しているからこそ荘厳に美しく響きわたる。もしこの映画のテーマを宗教だと考えるならば、宗教対立という表面的なレベルではなく、むしろこうした胸奥の発露としてのひたむきさ、敬虔さをいかに描き出すかという意図がうかがえるところにあると言えるだろう。
【データ】
原題:Des Hommes et des Dieux
監督:グザヴィエ・ボーヴォワ
2010年/フランス/123分
(2011年3月26日、シネスイッチ銀座にて)
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