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2011年3月17日 (木)

岸田一隆『科学コミュニケーション──理科の〈考え方〉をひらく』

岸田一隆『科学コミュニケーション──理科の〈考え方〉をひらく』(平凡社新書、2011年)

 科学で要求される抽象的な論旨思考、つきつめて言えば数式を見て納得感があるかどうか。分かる人は分かるし、分からない人は皆目分からない。端的なこのギャップをどのように埋めたらいいのか。科学のおもしろさ、素晴らしさを伝えたい、という啓蒙的イベントはよく行なわれてはいる。しかし、そうしたイベントにわざわざ足を運ぶ人はもともと科学が好きな人であって、拒否感のある人は最初から聞きになど来ないのではないか。

 別に科学を好きになってもらう必要はない。ただし、持続可能な社会をこれから作り上げていく上で科学知識は不可欠なのだから社会全体で共有していく必要があるというのが本書の出発点である。

 抽象的な数式であってもデータ検証という具体性によって裏付けられた納得感がある。しかし、そうした科学的専門知の手順を習得するには一定の訓練が必要であり、そのジャンルに関心のない人々にとっては数式で示された世界観からリアリティーを感じ取るのは難しい。そこで、情感の伴ったエピソード記憶によるヴィヴィッドなイメージがコミュニケーションの基盤となることに本書は注目、具体性をもったインプレッションによって抽象思考の苦手な人とも科学的世界観を共有できないかというところに焦点が合わされる。みんなで科学知識の必要性を認識し、それを感情レベルの共感に働きかけることで共有していこうという発想は、たとえて言うと科学知識共有の知的コミュニタリアニズムということになるだろうか。

 科学のプリズムを通した大づかみの世界観をタレント的科学者に語ってもらうのも一つの方法だと指摘される。しかし、理屈ではなく情感的共感がポイントだとするなら、そんな悠長なやり方よりも、むしろ大震災に見舞われ、想定されていなかった原発災害を目の当たりにし、ひょっとしたら放射能汚染被害が深刻になるかもしれないと現在ひしひしと感じているこの切迫感こそ、科学コミュニケーションの感情的基盤となり得るように思われてくるのが皮肉なところだ。

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