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2011年3月 8日 (火)

岡田温司『マグダラのマリア──エロスとアガペーの聖女』『処女懐胎──描かれた「奇跡」と「聖家族」』『キリストの身体──血と肉と愛の傷』

 キリスト教でいう“受肉”とは、見えざる宗教的真実がキリストという人間の形を取ってこの世で可視化されたものだとされている。しかしながら、形を持つとは無限なものを有限へと狭めることであって、聖なるもの、究極的に至高な神的存在を、絵画なり、彫刻なり、明瞭な形を持つ造型によって果たして表現し得るものなのだろうか。ここには本来的に矛盾があるわけだが、むしろ矛盾であるがゆえに何がしかの納得を求めて様々にヴァリエーションを伴った宗教芸術がたゆまず作られ続けてきたと言えるのだろうか。

 岡田温司『マグダラのマリア──エロスとアガペーの聖女』(中公新書、2005年)、『処女懐胎──描かれた「奇跡」と「聖家族」』(中公新書、2007年)、『キリストの身体──血と肉と愛の傷』(中公新書、2009年)の「キリスト教図像学三部作」は、西欧キリスト教絵画における図像学的系譜を一つ一つ解析しながら、それらの背景に込められた意味合いを検証していく。

 悔い改めた聖なる娼婦、マグダラのマリア。聖母マリアの処女懐胎とは素朴に生物学的な意味で不可思議であるが、であるがゆえに「無原罪」、「~がない」という形には取りえないものの定式化。そして磔刑像、聖遺物、何らかの手掛かりによってイエスとの共感を求めようとしてきた数々のイメージ。様々な聖画像の中にはもともと新約聖書に記述がなく、後の歴史的解釈によってふくらまされたものもあるらしい。こうした芸術的造型は単に教義上の要請から作られたのではなく、社会的現実における葛藤の中からそれぞれの時代における人々の思いが反映されており、それはさらに後代には芸術的イマジネーションの源泉として受け継がれていった。こうした流れを大きく捉え返していくと、造型イメージを通したヨーロッパ精神史の一つのスケッチとして浮かび上がってくるところが興味深い。

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