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2011年3月 2日 (水)

アリー・シャリーアティー『イスラーム再構築の思想──新たな社会へのまなざし』

アリー・シャリーアティー(櫻井秀子訳)『イスラーム再構築の思想──新たな社会へのまなざし』(大村書店、1997年)

・イラン・イスラーム革命で「赤いシーア派」(Red Shia)とか「イスラーム的マルクス主義」(Islamic Marxism)と言われる勢力が大きな役割を果たし、とりわけその理論的指導者となったアリー・シャリーアティー(Ali Shariati)による著作である。最近、Vali Nasr, The Shia Revival: How Conflicts within Islam Will Shape the Future(Norton, 2007→こちら)という本を読んだときにこの人物に関心を持ったのだが、日本語の関連文献などないだろうと半ばあきらめていたところ、先日、近所の図書館でこの日本語訳を偶然見つけたので早速目を通した。以下、メモ書き。

・シャリーアティーは1933年、イスラーム学者の家庭に生まれ、1958年にマシュハド大学文学部を卒業、その後フランスへ渡り、1964年にソルボンヌ大学で博士号を取得、専攻は宗教社会学。父親の影響でモサデク支持サークルのメンバーとなったほか、アルジェリア問題の支援活動を通してフランツ・ファノンと知り合い、彼の『知に呪われたる者』のペルシア語訳をしている。また、サルトルをはじめとした知識人とも交流があった。1964年に帰国後、反体制運動に関わった容疑で投獄されたが、1967年からマシュハド大学でイスラーム史の講義を担当する。1971年に大学を追われて再び投獄されたが、知己であったアルジェリア外相の働きかけで釈放。1977年に国外脱出したが、イギリスに到着して間もなく謎の死を遂げる。秘密警察SAVAKが関与したと言われている。彼の死から2年後、1979年のイラン・イスラーム革命においてシャリーアティーの思想は大きな影響力があった。なお、黒田壽郎による序論では現代イスラーム世界で特筆すべき思想家としてシャリーアティーとイラクのバーキルッ・サドルの二人を挙げ、サドルがイスラームの伝統的価値を肯定的に再評価したのに対し、シャリーアティーは現代的な再解釈をしたところに特色があると指摘している。

・宗教学者層の出現によって宗教的な思想や行為を統一させたプラス面がある一方、他方で、硬直化・停滞化、新しいものを拒む障壁となってしまった。人間と神との直接的な関係を説くのがイスラームであり、公式には聖職者などいない。
・階層、人種などの差別は多神教的な世界観であり、タウヒードはこうした矛盾を受け容れない。
・クルアーンは現世と来世、精神世界と物質世界、自然世界と抽象世界といった区別は立てない。すべてが調和的に一体となった世界なのである。
・不可視なもの→知性、霊感、啓示、哲学、感受性などの向上によって認知可能、明示的となる。不可視な本源的存在→アーヤ(徴)を通してうかがい知る。個々の存在者は一義的な存在の顕現。モッラー・サドラーの〈存在の本源的実在性〉の思想に立脚(※モッラー・サドラー『存在認識の道』を井筒俊彦が翻訳しているが私は未読)。

・タウヒード、統合的な世界観:「存在を認識するということは、一つの生きたメカニズム、つまり創造世界を理解と自覚を備えた一つの存在として感得することである。それは、〈目的と意図〉という理性的秩序をともなって回転する、正確なメカニズムのようである。この世界を認識するとは、それを究極的な目的を備える体系に従って思考、観察、実感することである。この存在世界のすべての物事は、そのような正確、かつ論理的な計算に基づいており、無為、無駄、偶然とは無縁である。人間とは、このように意味深長で、正確に計算し尽した存在の一部であり、進歩を目指し、それに照準を合わせるような意志、理解力、自覚をともなっており、決して自らを見失うことはない。そして美醜、善悪に対して正確で、論理的な対応を行うのである。人間は、そのような調和のとれたメカニズムによって自らの生活、思考、感情、行為を組立て、このような観点から自らを厳格に統制し、おのおのの叡智が獲得した、確定的な法と確実な諸規律を踏みはずさぬよう努めるのである。」(180ページ)

・西欧のユートピア思想を引き合いに出しながら空理空論ではダメと指摘。社会、経済、慣習、時代状況など、これらの現実にも神の意志としての法則が一貫しているのだから、そこを踏まえながら現実を観察する必要。保守主義と理想主義の中間にイスラームがある。

・人間の自由意志=責任:「クルアーンにおける人間は、矛盾から成り立っている。二つの対立する力が、人間を二つの相反する世界へと招き寄せるのである。その一つは悪臭を放つ腐土でいっぱいの巷に向かい、他方は天使が絶えず人間に平伏している頂上を目指している。ここで重要なのは、絶えず対立するこの二つの力に身をさらしながら、この二股の分かれ道に立たされている人間が、いずれか一方を選択することである。責任の起源は、まさにこのような状況下にある。」「これが〈人間の二元性〉であり、イスラームのいう二元性の意味である。イスラームが人間世界、すなわち人間の霊魂と創造にのみ限定的に認める二元性は、そこにのみ存在と現実をもつ二元性である。」(217ページ)
・「タウヒード的世界観は、人間がいかなる社会的権力にも依存せず、彼があらゆる次元で〈存在を支配する意識と意志〉に専ら依拠することを要請する。」「タウヒードは、人間に自立と尊厳を授け、あらゆる存在の法規範である神のみへの〈服従〉が、偽りの権力、恐怖や貪欲という卑しい桎梏に対して人間を〈反抗〉させるのである。」(225~226ページ)
・「人間は二つの対立を内に含む弁証法的存在、神のもたらした二元的奇跡であり、神は人間の本質と運命における、唯一、〈無限の方向〉である。」「二元的で、矛盾した組成のゆえに弁証法的現象であるといえる人間は、つねに変動の中に身をおかねばならない。彼自身がまさしく、対立と闘争の場であり、そこでは二つの力が完成へ向かう不断の運動を惹起させる。」(230~231ページ)

・「イスラームとは〈宗教的、社会的な闘争、知的、精神的な努力〉そのものであり、〈盲従、党派精神、従属〉を甘受するものではない。われわれは〈クルアーン〉のイスラームに遵い、〈天国への鍵〉といったイスラームは斥けるべきである。」(258ページ)

・民衆自身が〈神の代理人〉であるはずだが、現実には一部の特権集団と民衆との対立関係が生じている。カインによるアベル殺害→収奪、独占、抑圧、殺害といったカイン的な悪の極/分配、公平、相互扶助といったアベル的な極→両者の弁証法的運動として歴史を把握する。前者から後者へと向かう運動の担い手としてナース(民衆)を捉え、こうした人々が連帯した動的側面を表現したのがウンマ(共同体)であるとされる。

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