アンドレイ・ランコフ『スターリンから金日成へ──北朝鮮国家の形成 1945~1960年』
アンドレイ・ランコフ(下斗米伸夫・石井知章訳)『スターリンから金日成へ──北朝鮮国家の形成 1945~1960年』(法政大学出版局、2011年)
金日成はソ連によってピックアップされて北朝鮮へ送り込まれ、権力者の地位に据えられたことはよく知られている。北朝鮮政治体制の基本要素はソ連型スターリニズムの輸入であり、1950年代は完全な衛星国家であったと本書は捉えている。建国当初、国内(南朝鮮)派、ソ連派、延安派、そして金日成のゲリラ派という4つの分派があったが、金日成は熾烈な権力闘争を勝ち抜いて1960年代までに権力を完全掌握、中ソ対立、ソ連における非スターリン化といった動向の中でソ連とは距離を置き始め、主体思想が本格化、以降、独特な民族的スターリニズム体制が確立したと指摘される。なお、金日成個人崇拝に対して反対派も巻き返しを図ったが、つぶされた(1956年の八月事件)。このときに反対派はソ連・中国の大使館と連絡を取っていたらしいが史料は未公開だという。他方、金日成体制は経済運営には失敗、1980年までには実質的に停滞し、情報封鎖とイデオロギー統制によって強引な国内支配を進めることになる。
ソ連系朝鮮人の動向に注目しているのが本書の特色である。朝鮮半島からソ連領へ逃げ込んだ人々は「日本帝国主義のスパイ」と疑われて粛清されたため、いわゆるソ連派は朝鮮半島に足を踏み入れたことのなかったソ連生まれが中心だったという。他の3派とは異なり、彼らはソ連で行政的な実務経験を持つ唯一のグループであったため、北朝鮮の党・国家機構の整備に当たり大きな役割を果たした。
とりわけ注目されるのが許哥誼(ホガイ、アレクセイ・イワノヴィッチ・ヘガイ)である。彼は1908年、ハバロフスク生まれ。朝鮮名はなく、許哥誼というのは当て字である。当時、ロシア領内朝鮮人の多くはボルシェヴィキ支持で、彼も1924年にコムソモールに参加、さらに共産党幹部となった。中央アジアへ強制移住させられたが、1937年に名誉回復、党務に復帰。1945年に北朝鮮に送り込まれて共産党組織の立ち上げに従事、南北労働党合併後は第一書記として事実上のナンバー・ツーになる。南労党系の朴憲永とも関係は良好だった。当然ながら金日成の猜疑心を招き、告発されて1953年に「自殺」したとされる。真相は分かっておらず、殺害された可能性が高い。
著者のアンドレイ・ランコフは1984年にソ連から交換留学生として金日成総合大学に留学、その後はレニングラード大学、オーストラリア国立大学、韓国の国民大学で教鞭をとっており、北朝鮮・韓国双方の国内事情を知悉した上で北朝鮮事情を分析できるというポジションの研究者である。邦訳されている『民衆の北朝鮮──知られざる日常生活』(鳥居英晴訳、花伝社、2009年)は留学時の見聞も踏まえながら日常生活から政治・経済システムまで網羅した現代北朝鮮概論となっている。北朝鮮の現体制が経済自由化を進めたらその時点で体制崩壊が起こるだろう、従ってそのことに気づいている現体制トップは一般庶民の苦しみを無視するからこそ支配体制は安定しているという逆説を指摘、今後の見通しについては悲観的である。
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