たまには植草甚一でも読んでみようか
先日読んでいた川本三郎のエッセイ集『それぞれの東京──昭和の町に生きた作家たち』(淡交社、2011年)に植草甚一が出てきて、今さらながらの感もあるが、ふと思い立って読んでみた。植草をほめそやす人たちのある種の傾向性があまり好きではなかったこと、植草というとジャズとセットになって名前をよく見かけたが私はジャズには興味ないなどの理由もあって、今まで読まず嫌いというか、読む機会がなかった。で、いざ読み始めてみると、これがまた結構はまるな。
図書館で借りてきて今日一日で何冊か読んでみた。『ぼくの東京案内』(晶文社、1977年)は植草自身の思い出を絡めた街歩き的なエッセイを集めているが、歩くのは繁華街だけ、求めるのは喫茶店、ジャズ、色々な小物、そして古書。特に気の利いた場所を回っているわけでもない。『映画だけしか頭になかった』(晶文社、1973年)。映画についてもっともらしいことを語るよりも、個々の印象的なシーンを細かく語るところが多いのが目についた。1950~60年代の洋画に私はあまり馴染みはないのだが。『ぼくは散歩と雑学が好き』(晶文社、1970年)には原書で読んだ欧米の小説の紹介が多い。それぞれ文字は小さく分量は膨大なもので、こういう本は最近見かけないな。映画にしても小説にしても、年代からして私には馴染みのないものが多いので、パラパラめくりながら拾い読み。雑文的なものでこれを読んだからといって何か得るものがあるというわけでもないが、それなりのリズムがあって、何となく植草の語り口に入り込んでしまう。それにしてもこれだけの博識はやはり並大抵ではない。自由で気ままな仙人のような人間という印象が強かったが、もちろん自身が好きでやっていることとはいえ、勉強量はかなりのものだ。
私が関心を持つのは、彼が何を書いたかよりも、彼がどんな人間なのかというところ。『植草甚一自伝』(新装版、晶文社、2005年)というのがあるが、自伝とはいうものの脱線ばかりで、むかしを回想してくれという注文に応じて自由気ままに連想を働かせて書いたという感じ。興の向くものは書く、それはきっかけに応じて自然と沸き起こるものであって、強迫的になると書けないということだろう。人物像の一端をうかがい知る上で、津野海太郎『したくないことはしない──植草甚一の青春』(新潮社、2009年)が面白かった。世間から注目されるまでの植草の生い立ちをたどっている。彼の人気は1970年代頃から急上昇して本人も驚いていたようだが、植草という人間そのものは基本的には変わらず、彼を見つめる社会の雰囲気が変わったからのようだ。気ままな人間という印象を持たれがちだが、そんな彼にも表面には出てこないところで、これまでの屈折した人生の中で引きずっているものがあったのではないか、ともほのめかされる。
まあ、ダラダラ書いても仕方がない。植草は東京下町、日本橋の生まれ。知的能力は極めて高いが、世間様から見ればその能力の使い方を間違えたというか、身を持ち崩しただらしない男ということになってしまうのだろう。だけど、自分は自分なりのものを追求しながら生きていくしかないと腹をくくっている。こうした点で、それぞれ趣味の方向性はやや異なるにしても、永井荷風、辻潤、植草甚一とどこか共通したにおいを感じる。山本夏彦の表現を借りれば「ダメの人」といったところか。私が言いたかったのはこれだけ。価値観的にマイナスという意味での「ダメ」とは違うので、念のため。これを理屈で説明するのは難しいので省略。
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