隈研吾『反オブジェクト』『自然な建築』
建築家として二十世紀はどんな時代だったかと問われたら、著者の隈研吾はコンクリートの時代と答えることにしているという。場所を選ばず可塑性があってデザインの自由がきき、お化粧すればコンクリートの塊でもどんな姿にも化けられる。すなわち、存在と表象との分裂が特徴だったと言える。近代の特徴を、物質と意識、世界と主観、それぞれ後者が前者の統制を図ろうとする発想を持った時代であると捉えるならば、この二項対立的な両者を架橋するオブジェクト=建築にとって最も適合的であったのがコンクリートなのである。そして、地表から浮いたように見える立体として設計された、言い換えるなら世界から切り離された自由なるオブジェクトという形でこうした時代を体現していたのがル・コルビュジエであった。
しかしながら、コルビュジエの造型したオブジェクトはあまりにも自己主張が強すぎる。この自己中心的な威圧感から逃れたい、人間と自然とをもっとゆるやかにつないでいくことはできないか、これが著者の設計を進めていく際の思いである。建築とは人間の意識とその周囲を取り巻く物質との関係の取り方の表現であり、建築について考えるとはすなわち自分たちの置かれた環境との接続の仕方を再定義することに他ならない。こうした感覚について自身がこれまで仕事をしてきたケースを踏まえながら、『反オブジェクト──建築を溶かし、砕く』(ちくま学芸文庫、2009年)では現代建築論・思想論として展開、『自然な建築』(岩波新書、2008年)では様々な制約がある中で空間、地形、素材などを選んでいく試行錯誤のプロセスを通して考えていく。
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