酒井健『シュルレアリスム──終わりなき革命』
酒井健『シュルレアリスム──終わりなき革命』(中公新書、2011年)
第一次世界大戦が引き起こしたカタストロフィは、それが高度な産業化・機械化によって増幅された惨禍であったがゆえに近代文明に対する懐疑をもたらし、この精神史的動揺の中から様々な思想潮流が生まれる。シュルレアリスムもそうした中にあった。精神科医としてキャリアを始めたアンドレ・ブルトンも野戦病院へ駆り出され、そこで兵士たちが苛まされる狂気を目のあたりにし、フロイトの研究からの示唆もあってとりわけ自動記述という現象に関心を持つ。つまり、人間の無意識の領野を抑圧してきた「理性」に基づく書き言葉中心の世界=近代に対して亀裂を入れ、「超現実」における極限的な「未知なるもの」を、矛盾していてもその矛盾のあるがままに表現のレベルへと引き出していこうとした。そうした点でシュルレアリスムは脱近代を志向した芸術運動であった。
本書では、シュルレアリスムと関わりを持ちながらもややスタンスを異にした人々、例えばエルンスト・ユンガー、トリスタン・ツァラ、ジョルジュ・バタイユ、ヴァルター・ベンヤミンなどとの対比によってシュルレアリスム本流(という言い方を著者はしないが)のブルトンやアラゴンたちが逆照射される。巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫、2002年)もイメージを前面に押し出す形で面白い本だが、本書はもっと良い意味で思想史的に堅実な書き方で説得力を持つ。
実は私はブルトンという人があまり好きではない。シュルレアリスムをスローガンとして掲げながらも、実際生活では党派を組んで組織化を図り、自分についてこない人々への非難攻撃を行なったところに偽善的な嫌味を感じるからだが、さらに大きな問題がある。せっかく非理性的な何かを意識下から引きずり出しても、言語表現というレベルではそれをフランス語ならフランス語らしくきちんとした文章に修正しようとする契機が出てきてしまう。未開社会で見られるような矛盾を矛盾のあるがままに放っておくということは理念として語ることはできても実際には難しい。つまり、イメージそのものは荒唐無稽でも構文的には整合的にしてしまう。矛盾したものを整合的なものへと仕立て直さねば気がすまない習性、この点で脱近代を志向したブルトンも近代の傾向から逃れられなかった。そうした葛藤からブルトンを否定してしまうのではなく、むしろ「近代」なるものの強烈な呪縛を見出すという本書の着眼点に興味を持った。
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