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2011年2月 7日 (月)

劉明修『台湾統治と阿片問題』

劉明修『台湾統治と阿片問題』(山川出版社、1983年)

 図書館でたまたま見かけたので借り出した。著者の名前に見覚えがないと思って検索したら、伊藤潔が日本に帰化する前の本名のようだ。

 アヘン問題を切り口として台湾における日本の植民地支配を考察した研究である。日本は後進帝国主義としての体面にかけて台湾のアヘン問題に取り組まざるを得なかった。日本本国にはアヘン問題はないのだから道義的観点から厳禁すべきという議論もあったが、それでは実質的な効果は上がらないという考え方から民政長官となった後藤新平は漸禁主義をとる。つまり、アヘン吸引者に特別許可を与えて総督府が製造・販売したアヘンを売る専売制度を実施、収入は衛生制度の拡充に充てながら少しずつ中毒者を減らしていくという方針である。その結果、台湾財政の本国からの独立(当初はアヘン収入が地租上回った)、アヘン販売業者が御用紳士として総督府に協力する形となった。その後は専売制度の財政上の利点が優先されて本来の漸禁という考え方は脇に置かれ、さらに台湾製造の余剰アヘンの大陸に対する密貿易が行われ、日本は国際世論の批判にさらされることになる。

 一方、台湾民族運動はアヘン吸引禁止の主張も掲げていた。とりわけ台湾人初の医学博士である杜聡明がアヘン中毒問題に取り組み、成果を挙げていく。戦時期になって杜聡明によるアヘン断禁の意見書は総督府に受け入れられたが、その背景としては、皇民化政策によって台湾も内地化されつつあったこと、台湾経済の工業化、戦時下にあってアヘンが不足していたことなどが挙げられる。

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